2026年3月
ニホンセセリモドキ



ニホンセセリモドキ Hyblaea fortissima    2026.3.1. 榛名山西麓



 3月の始め。「春」とはいえ、標高700mの榛名山麓はまだ冬と春の間のような季節である。野外の水は夜になれば凍り、水分を含んだ地面も凍りついている。雑木林は葉を落とした木々、そしてその落葉が林床を覆っていて、新緑の植物はまだなかなか見つけることができない。林の中で動くものといえば鳥たちくらいで、越冬中の昆虫の姿はあっても、活動している昆虫たちを見つけるのはなかなか大変だ。
 それでも、冬の透明度の高い空から水蒸気の多いぼんやりした空に変わると、暖かい太陽が春の気配を届けてくれる。寒さと暖かさを繰り返しながら、春は少しずつやってきているらしい。
 そんな春の日の午後。庭先で歩いていく前方からパッと小さな茶色いものが飛び立つのが見えた。昆虫… それも蛾か蝶のような感じだった。昆虫たちがたくさん活動している季節なら見逃してしまっていたかもしれないが、小さなものが動くこと自体が新鮮な季節である。
 飛んで行ったあたりを凝視しながらゆっくりと近づいていく。が、何も見つからない。しばらくして、また何かが飛び上がった。見ていたあたりからだった。そこにいたはずなのに、見つからないのだ。昆虫が人間の目を欺く技にはいつも感心させられてしまう。
 近づいては足元から飛び出し、また近づいては飛び出し… の繰り返し。
 幸いなことに、この何者かは遠くまで飛んでいくことはなく、ちょっと飛んでは地面に着地するというパターンを繰り返していたため、何度目かでやっとその姿をとらえることができた。
 それは小さな蛾だった。下の翅にはオレンジ色の斑点が少し見えている。初めて見る蛾のようだ。ちょっと見た感じはヤガの仲間のように見えた。この季節、春のキリガたちが夜の世界で活動していたりするから、その一種かもしれない…。
 
 ところが、撮影した画像から判明したのはキリガの仲間ではなかった。
 「ニホンセセリモドキ」
 ヤガ科ではなくセセリモドキ科の蛾とある。蛾の中にセセリモドキ科という科があるということ自体、認識していなかったのだが、日本で確認されているセセリモドキガ科の蛾はわずか3種のみで、世界中でも20数種しかいないのだという。ヤガ科の蛾は日本だけでも1200種類以上いるらしいから、それに比べてとても小さなグループである。
 ニホンセセリモドキは年1化の蛾で、夏に羽化したのちは翌春まで全く活動せず、成虫で越冬したのちの早春に交尾・産卵をして一生を終えるという。多くの昆虫が成虫の期間に比べて幼虫の期間の方がずっと長いのに、このニホンセセリモドキは圧倒的に成虫の期間の方が長いというのは興味深いところだ。
 ところで、ニホンセセリモドキの「モドキ」の対象のセセリはミヤマセセリなのだという。しかしこちらは蝶である。幼虫で越冬し、春先に成虫となって交尾・産卵するという年1化の春の蝶だ。ちょっと地味な姿をしているスプリングエフェメラルのひとつである。
 雑木林の樹木に産み付けられた卵から孵ったミヤマセセリの幼虫は春から秋までコナラなどの葉を食べ続け、そのままの姿で冬を越す。こちらは幼虫の時期が長いタイプの昆虫である。幼虫の形で冬を越すというのはオオムラサキやゴマダラチョウなどもそうだが、蝶や蛾の仲間の中では少数派だろう。
 このミヤマセセリに姿が似ているというので“セセリモドキ”。
 ニホンセセリモドキの後翅の様子は確かによく見ればミヤマセセリに似ているともいえなくもない。さらに標本として展翅され、ミヤマセセリが翅を開いてとまったような姿と同じようになっていれば、なるほど、と思うのだが、最初に見たときにはヤガの仲間ではないかと思ったくらいで、生きている姿からはなかなかニホンセセリモドキとミヤマセセリが似ているとは言い難いというのが実感ではある。その飛び方を見てもミヤマセセリと見間違うことはあまりないかもしれない。
 だが、早春の、他にあまり目立つ蝶や蛾がいない季節に、ちょっと似た姿の蛾と蝶が成虫として現れるというのは何か不思議なものを感じる。
 
 榛名山麓では3月の始めころはまだミヤマセセリを見ることはない。ミヤマセセリの姿が雑木林に現れるのは3月の終わりころからだ。幼虫の食べるコナラなどの葉もまだない。ニホンセセリモドキの幼虫の食べるムラサキシキブの葉もまだ出ていない。
 まだ春というには早すぎるような季節ではあるが、ニホンセセリモドキは春の気配を察したのかミヤマセセリに先駆けて早々と活動を始めたようである。
 ミヤマセセリよりも、コツバメよりも、フキノトウよりも早く、春を告げる小さなスプリングエフェメラル・ニホンセセリモドキ。これまでまったく気づかずにいたこの小さな蛾もこれからは榛名山麓のスプリングエフェメラルの一つとして、春の指標としておくことにしよう。

ミヤマセセリ  Erynnis montanus
2025.5.8. 相馬山





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