2025年7月

沼の原の風に揺れるバッタのミイラ



2025.7.8.  沼の原



 梅雨の季節、沼の原の草原はカラマツソウやカワラマツバの白い小さな花が目立つようになっていた。オカトラノオ、アカギキンポウゲ、ナワシロイチゴ、アカショウマ、ノハナショウブ、シモツケ、キバナノヤマオダマキ、ノリウツギなどといった草木もところどころで花を開いている。ユウスゲも開花し始め、ノギランやネバリノギランは花茎をのばし始めてもうすぐ開花の様相である。この季節、沼の原は花でいっぱいだ。
 そんな花の咲き乱れる沼の原には昆虫たちもたくさん集っている。ヒョウモンチョウの仲間やセセリチョウの仲間、ヒメシジミなどたくさんの蝶たち。運が良ければゼフィルスにも出会うことができる。終盤を迎えたエゾハルゼミの合唱もまだ続いている。コガネムシの仲間、ホタルの仲間、カミキリの仲間など、視点を変えれば甲虫たちの姿も見えてくる。小さな生物たちもまた、この季節はとてもたくさんの種類が活動しているのだ。
 そんな沼の原の草原にはバッタの姿もあった。花ばかり見ているとなかなか目に入ってこないのだが、葉の上などでじっとしていて、こちらが近づくとピョンと飛び出したりしてその存在を知ることになる。ナキイナゴ、ヒロバネヒナバッタなどが比較的よく目にする種だ。
 
 木道を行くと、草原に生えるイネ科の細長い葉の先の方に、しがみついているようなバッタの姿を見つけた。茶色い姿。動く様子はない。近づいても逃げることもない。慎重に指先で突いてみるが、やはり動くことはなかった。死んでいるのだ。
 よく見ればミイラのようになっている。昆虫は外骨格で体を覆っているので、乾燥してミイラ化しても外見はそう変わらず、生きていたときの姿を保ち続けることができる。標本箱の中に入っている昆虫標本は、採集してきた昆虫を乾燥させて作ったミイラのようなものだ。
 この葉にしがみつくようにして死んでいるバッタは、おそらく昆虫病原糸状菌のエントモファガ・グリリ(Entomophaga grylli)に感染した個体だ。
 昆虫病原糸状菌は菌糸を持った菌類のうち、昆虫に感染するもので、ボーベリア菌がよく知られている。ボーベリア菌に感染した昆虫の体は白いカビに覆われたような姿になるが、エントモファガ・グリリに感染した昆虫はカビ状になることはなく、ミイラのようになって死んでいくようだ。
 ミイラ化したバッタの周りを注意して見てみると、同じように葉や茎にしがみついて死んでいるバッタがいくつも見つかった。なかにはまだ微かに足を動かしているような個体もある。いずれも地面近くではなく、風通しの良い高い場所である。
 エントモファガ・グリリはバッタの体内に入り込むと、バッタを草の高いところへ登らせ、そこで体を固定するように誘導するというのだ。それは風通しのよい高い場所から自らの胞子を飛ばすためのエントモファガ・グリリの戦略。こうやって、高いところへ登らされたバッタの体内からエントモファガ・グリリの胞子が飛散され、その近くにいたバッタにまた感染して、そのあたり一帯にバッタのミイラが広がっていくことになる。他者の神経を乗っ取り、死に場所へ誘導とは、なんと恐ろしいマインドコントロールだろう。
 そしてなにより、菌類がバッタの動きをコントロールしてしまうという驚きの事実。いったいどんな仕組みが働いているのだろうか。興味深い謎である。
 
 





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