2024年1月
イノシシ騒動
 


林の中で寝ているイノシシ …寝ている姿はなにやら可愛いのだが
2023.11.24.


 2023年は日本各地でクマが現れ、ヒトが襲われたりという事件が毎日のように伝えられていた。榛名山麓でも防災放送ではクマの目撃情報が同じように流れていた。そして、襲われたというニュースも全国へ発信されたこともある。里山に住んでいる人たちの多くは、クマを見かけてもわざわざ通報したりはしないから、実際の目撃例は報告されているものよりもはるかに多かったに違いない。
 しかし…、わが家に現れ、対策に頭を悩ませたのはクマではなくイノシシだった。

 秋も深まった11月19日、飼い犬のホタルを残して留守となっていた自宅に暗くなった頃に帰り着くと、なぜか吠えている。ホタルはクルマのエンジン音を聞き分けられるらしく、いつも飼い主が帰宅しても吠えることはないのに、どうしたことだろう。
 クルマから降り、犬小屋に近づいていくと、ただ事ではないような吠え方に変わった。
 そして、頭を撫でられるような距離まで近づいたとき、そこに何かの気配を感じた。そして、「ブゥ…」という声。
 この声(?)はイノシシだ!
 犬小屋の背後に黒い塊のようなものがいる。そこは連れ合いが陶芸教室として利用している手作りの小屋の壁の下だった。ホタルは加勢が来たと思ったのか、その黒い塊に向かって吠えながら突進しようとしている。ホタルは気の小さい犬らしく、家人が在宅しているときには誰かが訪ねてくるとよく吠えるのだが、留守のときに訪れた人の話では、全く吠えなかったということをよく聞くから、このときも、イノシシが近づいてきてもひたすらじっと静かに耐えていたのかもしれない。そこへ味方を得て、反転攻勢に出たといったところだろうか。
 ホタルに吠えられて、黒い塊が勢いよく動き出した。暗くてはっきりはわからないのだが、その鼻息からしてイノシシに違いない。ホタルよりもずっと大きい。1対1で喧嘩したらとてもかなわないだろう。
 慌てて犬のリードを引いて、代わりに近づき蹴り上げてみた。が、さすがに野生の獣。素早く身をかわし、体重の乗らない一撃が体のどこかにかすった程度に終わってしまった。それでもさすがにその場から少し離れたところへ逃げた。が、逃げ去るわけでもなかった。なにか未練があるように、犬小屋の近くで立ち止まってしまった。
 しかたなく追う。追わなければ、そこにイノシシがい続けることになるのだから、追い払わなければならない。とはいえ、相手はイノシシだ。一度は逃げたけれど、気が変わって逆襲してこないとも限らない。あの大きさなら負けるとは思わないけれど、捨て身でこられたらケガするかもしれない。野生の獣は小さくても、いざ対峙すると迫力があるものだ。
 大声をあげ、威嚇しながら近づき、さらに蹴った。しかし、蹴られるような近くまで近寄らせるというのもどうかしている。このイノシシはどこかおかしくなっているのかもしれない。何度か蹴られ、イノシシは渋々という様子で林の中へ消えていった。足に残った蹴った感触は、イノシシの背中がとても頑丈そうだった、と教えていた。
 それがこのイノシシ騒動の始まりだった。

イノシシが気にいってしまった陶芸教室小屋の壁の下

 ひとまずイノシシが去った後で犬小屋のあたりへ戻ってみると、最初に見つけた陶芸教室小屋の壁の下に掘り返したらしい穴が開いていた。どうやらそこに寝ていたらしい形跡もある。帰ってくるまで、イノシシはそこに寝て、そのすぐ近くでホタルはおびえながらじっとしていたのかもしれない。
 ひと騒動が終わり、家の中に入るとほどなくして、再びホタルが騒ぎ出した。
 懐中電灯を持ち、玄関を飛び出すと、また犬小屋付近に黒い影があるではないか。今度はライトを持っているので、姿が見えた。ウリボウほど若くはないが、やはり小さな子供のイノシシらしかった。
 先ほどはこちらも丸腰だったが、今度は登り窯の素焼きのときの燃料として使う長さ80cmのほどの丸棒を持ってきた。ちょうど野球のバットのようなものだ。
 イノシシはホタルに接近し、それに対してホタルは興奮して吠え続けている。どうもイノシシはホタルが気になるらしい。友達としてなのか、食べ物としてなのか、どういう興味なのかはわからないけれど…。
 威嚇しながらイノシシに近づく…、が、相変わらず反応は鈍い。さっき蹴られたばかりなのに、まったく懲りていないのか、そもそもあまり痛くもなかったのか…?
 しかし、怖がってもらわなければ困る。イノシシには人の姿を見たら逃げて行ってほしいものだ。それが里山でのイノシシとヒトとの暗黙の了解というものだろう。
 棒で殴れば相当なダメージを与えられるはずだが、殴らせてはくれなかった。手が届きそうなところまで近づくのだが、少し逃げては立ち止まっている。あまり本気で逃げているようには見えなかった。それでも、夜の雑木林の中をライトと棒を両手に持って追い回しながら、やっとのことで隣の林へと追いやった。

 ホタルはこのままでは危ない。友達として来ているのならまだしも、食べ物として来ているとも限らない。そこで、いつも外の犬小屋で寝ているのだが、この夜は玄関の中に入れておくことにした。だが、もともと野良犬出身のホタルは家の中がニガテらしく、必死で外へ出ようと、ガラスをひっかき、扉を食いちぎり、玄関を散々な姿に変えてしまった。これではいかん。
 翌日からは、軽トラックの荷台に犬小屋を乗せ、そこがホタルの居場所となった。イノシシといえど、荷台には上がってこられまい。こうしてホタルの避難所生活が始まった。

 イノシシ騒動のあった翌日から毎日のようにイノシシは現れた。
 ある時はいびきが聞こえるので何事かと思ってライトで照らしてみると、林の中で寝ていた。またあるときは、ホタルの愛用していたぼろ布団の上で寝ていたこともあった。パソコンの置いてある部屋の窓の下でブゥと鳴いていたこともあった。家の前にウンチを落としていったこともあった。そして、玄関先にも現れた。
 そのたびに怖がらせようと、手を変え品を変え追いかけた。
 近所のTさんがサルを脅すのに使ったというBB弾を発射するライフル銃(サバイバルゲームで使うもの?)。命中率はそこそこだが、あまり痛くないらしく、撃たれると嫌々逃げていくように見えた。あの頑丈な骨格と筋肉で武装した体は想像以上に強い。
 ホームセンターで鳥獣駆除(脅し)用に売られていたパチンコも試してみた。強力なゴムの弾力に大いに期待したのだが、命中精度は悪く、あまり使い物にはならなかった。商品のコンセプトはあくまで脅しなのだから、それもしかたない。
 役場へ相談に行った連れ合いがもらってきたのは爆竹とロケット花火だった。イノシシが現れたとき連れが爆竹に点火して投げてみたら、すっ飛んで逃げた≠ニいう話だったが、またすぐに姿を現したから、それほどの効果はなかったのだろう。
 BB弾、パチンコ、爆竹、ロケット花火…。子供の頃の駄菓子屋に並んでいた懐かしいグッズのオンパレードはイノシシにはほぼ無力だったようだ。
 そんな中、最も効果があったのは薪だった。家の周りにはストーブ用、あるいは登り窯の燃料用として薪が積み上げられているのだが、その薪をイノシシに向かって投げつけるのである。遠くにいるのならBB弾やパチンコだが、それほど遠くない相手なら、薪が断然いいことがわかってきた。野球のピッチャーのようにオーバーハンドで上から投げると、林の中では枝に当たって遠くまで届かないことが多いから、投げるコツはソフトボールのピッチャーのようにアンダースローで、着地点を想定して投げるのだ。これが最初に命中したとき、イノシシは驚いたようにそれまでとは一段と違った勢いで遠くまで逃げていったものである。こうして、何度か薪が当たるうち、イノシシの逃げるスピードは増し、ヒトが現れると少しは恐れるようになっていったようだ。おかげで、庭やら林の中やら、思わぬところに薪が転がっているという、事情を知らない人が見たら不思議な状況も生まれていた。
 だが、それでもイノシシは昼夜を問わず現れ続け、ホタルの軽トラックの荷台暮らしは続いていたのだがー。 
 その一方、根本的解決のために、近所のイノシシ獲り名人のNさんに罠もかけてもらった。くくり罠≠ニ呼ばれる罠で、イノシシがその場所を踏めばキュと足が閉まって捕らえられるというものである。Nさんは周辺を歩き回り、獣道をたどり、ここぞという場所を選んで仕掛けた。最初は2つ、数日後にさらに別の場所に1つ。
 こんなことで、イノシシが現れると、玄関先に積んである薪を持ち、薪を投げつけながら、なるべく罠が仕掛けられている方向へイノシシを導くように追っていった。縄文人もこんなことをやっていたのだろうか? だが、なかなか思うように事は運ばない。いい具合に逃げて行ったと思っても、罠を越えて、奥のササ藪に消えていってしまうのである。

家の道の真ん中で逃げもせずじっとこっちを見ている
2023.11.30.

 12月になってもイノシシは現れ続けていた。
 宅配でやってきたドライバーさんがイノシシに阻まれて、クルマから降りられなくなってしまったこともある。近所の人が訪ねてきて、ばったり庭で遭遇したということもある。陶芸教室にやってくる人たちにもすっかり知れ渡り、中には一緒に追いかけてくれた人もいた。

 5年前の2018年の冬、同じように子供のイノシシが昼夜問わず何度も現れたことがあった。あのときは、皮膚病の疥癬症になってしまっていたイノシシだった。症状が進むにつれて、逃げるということもできなくなって、やがていなくなってしまったものだ。
 今度のイノシシは見る限り疥癬の症状らしいものは見当たらない。だが、明らかに行動は変だ。健康なイノシシならばここまで馴れ馴れしくヒトに寄ってくることはないだろう。
 豚コレラ。豚熱(CSF)と名前は変わったようだが、イノシシ、豚に特有の致死率の高いウィルス性の病気がある。すぐ近くの倉渕町でも発症したイノシシが確認されているから、イノシシ界では流行が続いているのかもしない。

 12月10日、この日もイノシシは現れた。陶芸クラブの人達がやってきたこの日、連れ合いと陶芸クラブの二人の合計3人で薪を持ってイノシシを追いかけたのだそうだ。そして、いつものように罠にもかからずイノシシは逃げ、どこかへ消え失せたとのこと。
 そして、その夜、星を見ていると、望遠鏡のある小屋のすぐ近くでガサガサという何者かが林を歩く音がした。さっとライトを照らすと、ホタルのいる軽トラックの方向へと何かが駆けていく。だが、追いかけていったけれど、追いつくことができず、その何者かは隣の林のササ藪の中に消えて行ってしまった。
 後から思えば、それが最後だった。
 イノシシの姿はその日を最後に全く現れなくなったのである。
 それでも、ホタルの軽トラックの荷台暮らしは続いていた。いつまた現れるかわからない、という疑心はなかなか拭い去れるものではない。
 1週間…。
 2週間…。
 そして、年が明けた。
 
 新年。のんびりと朝寝して、ホタルを連れて朝の散歩に出た。穏やかな新年の始まりだ。すると、家を出てそれほど離れていないところでカラスたちが大集会をしている現場があった。林床にササが生い茂った雑木林の中である。カラスたちは畑の広がっているあたりで群れていることがよくあるが、林の中に群れていることはこれまであまりなかった。
 翌日も、通りかかると同じ場所にカラスが集っていた。
 もしかしたら、何かが死んでいるのかも…? 何か≠ヘあのイノシシであるかもしれない。
 ホタルを家に連れて戻った後、あらためてカラスの集会場所へ出かけてみた。
 カラスはそれなりに警戒心の強い鳥で、近づいていくとすぐに飛んで行ってしまうものだが、その場所に執着しているのか、頭上の高い木の梢にとまったりして、カァ〜、カァ〜と鳴いている。さらに近づくと、林床のササ薮あたりから十数羽のカラスが騒がしく飛び立ってきた。
 薮を越え、ササをかき分けていくと… いた。いや、あった。
 やはりイノシシだった。そこだけササが薄くなって地面が現れている所に横たわっているところを見ると、それは寝床だったのかもしれない。いつもの寝床で眠るように最後を迎えたのだろうか。これでもう追いかけることも、追いかけられることもなくなった。イノシシも病気に侵されて、苦しかったのかもしれない。追いかけていくと、よく立ち止まってはゴホッ、ゴホッ、と咳をしたりしたものだ。かわいそうなことをしたが、これでお互いに安らかな日々がやってきたと思うしかない。
 およそ1ヶ月半に及んだイノシシ騒動は終わった。

 





TOPへ戻る

扉へ戻る