2023年7月
かえる池の緑色のトンボ


タカネトンボ Somatochlora uchidai    
                  
2023.7.28.  榛名山西麓・かえる池にて.




 2021年12月にでき上った雑木林の中の小さな水たまりのような池に緑色のトンボがやってきているのを見つけたのは、その翌年2022年の夏のことだった。完成からわずか半年くらいしか経過していないのに、ちゃんとトンボはこの水たまりを見つけてくれたのだ。水面上空をホバリングしたり、産卵している現場に出くわしたこともあった。池から少し離れた林の縁を周回するように飛んでいることもあった。
 池ができる前にはそんな姿を見ることはなかったから、この小さな水たまりの存在がこの緑色のトンボを呼び寄せたのは間違いない。トンボはいったいどこからきたのか。どうやってこの小さな水たまりの存在を知ったのか。そして何より、このトンボの名前は…?
 
 大きなトンボではない。アカネトンボの仲間と同じくらいか、それよりも少し大きいくらいだろう。翅は無色透明、緑色に見えるのは翅や脚が付いている胸部で、腹部は黒色に見える。
 だが、緑色のトンボが何かにとまっているのを見たことはない。いつもいつも空中にいて、どこかにとまるかと期待してしばらく目で追っていても、いつもいつも見失ってしまう。
 写真にも撮れず、眼で見た記憶だけを頼りにトンボの図鑑を眺めていくと、どうやらエゾトンボの仲間らしいというところまでたどり着いた。だが、似ているのが数種類ある。生息地の情報からここにいるはずがない種を除外していくと、エゾトンボ、ハネビロエゾトンボ、タカネトンボあたりが残る。しかし、さらにここから名前を絞り込んでいくには、もうちょっと詳細な部分の確認が必要だった。
 謎を残したまま、2022年のトンボのシーズンは終わってしまった。
 
 2023年、夏。
 今年も緑色のトンボはやってきた。今年こそ正体を突き止めたい。
 確認したいのは腹部の先端にある尾部付属器、あるいはオスの胸部の下あたりにある副性器の形や色彩。どれかがわかれば種類が決定できそうだ。それには飛んでいる姿を目に焼き付けるような観察では不十分だ。節穴の眼には荷が重すぎる。
 写真を撮ることにした。とまっているのを見つけるのはとても難しいから、飛んでいる姿を写して、判断できないだろうか。
 飛んでいる姿をカメラのファインダーでとらえてからピントを合わせてシャッターを押す…というのはなかなか困難なテクニックとなる。上空を旋回する猛禽類を撮影するのならばそれも可能かもしれないが、素早いトンボの動きに合わせてその一連の作業を完了させるのは、奇跡でも起こらない限り成功しそうもない。そこで、あらかじめ適当な位置にピントを合わせて、シャッターボタンを半押しにしたまま待って、ファインダーなど見ずに、ピントが合いそうな距離にトンボがきた瞬間にシャッターを押すという方法を試みた。これも成功する可能性は高くはないだろうが、何十回かに一度くらいはピントのあった画像が得られるかもしれない。
 カメラを持って池の縁にしゃがみこんだ。関東平野では40℃に迫るような酷暑というが、木陰の水際はそれほどではない… が、代わりに蚊の猛攻撃がやってきた。虫よけスプレーもしていない無防備な皮膚に蚊たちがいいカモが来た≠ニばかりに群がりやってきたのだ。追い払っても追い払っても埒はあかない。追い払う手にも蚊がとまろうとしている…。
 そして、トンボは予想以上に素早かった。カメラのフレームの真ん中に入っていないことは当たり前で、画面に入っていないことも珍しくない。そしてピントが合っているのもほとんどない。たとえピントが合っていても、トンボの動きが速すぎて被写体ブレを起こしてしまっていたりしている。
 蚊の攻撃に加えて、足もしびれてきた…。手強い。
 何時間粘ったことだろう…?
 フレームアウト、ピンぼけ、被写体ブレ…。山のように使えない画像を作り続けたが、肝心の部分がわかるように写った画像は皆無だった。やはり奇跡は起こらない。
 最後の手段だ。もう捕まえてみるしかない… 手っ取り早く、一番確実であろう方法である。だが、何年か前、ちょっと苦い失敗したことがある。
 埼玉県の某所の小さな水辺で、やはり緑色のトンボを見つけたのだ。エゾトンボの仲間だった。同行者が持っていた大きな捕虫網を振った。軽快なトンボはそんな網をかいくぐり、何事もないかのように水辺をパトロールし続け、同行者は網を振り続けた。
 そして、ついに捕らえた。だが、トンボの体は壊れ、息絶えててしまっていた。素早く逃げ回るトンボと、それを追う猛スピードの網がトンボの体を叩きつけてしまったらしい。あるいは、エゾトンボの仲間の体は案外弱いのかもしれない。種類を確認して、また野に放そうとしたのに、後味の悪い結末となってしまったものである。
 …捕虫網を構えて、池のほとりに立つ。殺気を感じたのか、トンボは現れない。そして、相変わらず蚊の攻撃はやまない。だが、不思議なことに、蚊にさされても、すぐにかゆみは消え、跡も残らない。これまで刺され続けて、体質改善がされたのだろうか…?
 しばらくして、やっとトンボが現れた。狙いを定めて、網を一振…。やはり逃げられた。姿はもう見えない。
 逃げられてはしばらく待ち、また逃げられて… そして、
 水面上空をホバリングしているトンボめがけて網を横殴りのように振った。だが、網の中にはトンボの姿は、ない。ちょっと手ごたえはあったかと思ったのだが…。ふと、水面を見ると、アメンボたちが集まって水面が揺れている場所があった。よく見れば、翅のようなものがある。
 やっちゃった!
 恐れていたとおりの展開。網に叩き落されたトンボが水面に落ちたのだ。
 タカネトンボだった。
 せっかくやってきてくれたトンボをこんな形で正体を確認することになるとは。

 タカネトンボの幼虫が成虫になるまでには2年以上の時間を要するとのこと。とすれば、この叩き落してしまったタカネトンボは昨年の夏に産卵していったトンボの子供ではなく、どこからか飛んできた個体ということになる。こんな危惧した通りの気持ちの晴れない結末になってしまったけれど、来年はこの水たまりからタカネトンボの子供達が飛び立ってくれるといいな、と思うのはムシが良すぎるだろうか。
  
 





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