2023年12月
ビエラ彗星の記憶



1872年11月27日、フランスで見えたというアンドロメダ流星群の絵


 1872年11月27日。全天に無数の流星が流れるのがヨーロッパで見られたという。その数は1時間に24000個とも。そして、その13年後の1885年11月27日、さらに大規模の流星雨が観察された。このときには1時間あたり75000個と推測されているが、まさに流星が雨のように見えたことだろう。2001年のしし座流星群の流星雨もすごかったけれど、それはさらに激しい流星嵐だったに違いない。子供の頃、その様子が書かれた絵を見て、そんな光景を見てみたいものだと思ったことを今も覚えている。
 その物凄い流星嵐をもたらしたものはビエラ彗星だった。小さい頃見たその絵も、彗星について書かれていた本の中にあったように思う。周期彗星として確認されたビエラ彗星が、計算上では地球に最接近するころになっても再発見できず、彗星として姿を現す代わりに大流星雨となって見られたというものだった。彗星が何度も太陽に接近するうちに崩壊し、その崩壊してできたダストの中に地球が突っ込んで、流星嵐となったということが物語のように書かれてあった。ビエラ彗星の崩壊による大流星嵐は、今も昔も、伝説のように語り継がれている。
 そのビエラ彗星の残したダストトレイルの近くを地球が通り過ぎて、その流星が見られるかもしれない、という情報が天文雑誌に小さく載った。予想時刻は2023年12月3日午前2時頃とある。
 流星の出現の予報は、2001年のしし座流星群を見事に的中させたデビッド・アッシャー氏らの「ダストトレイル理論」によってより正確なものになってきたとされている。それまでは流星の出現予想は当たったらすごいね≠ュらいのものだったのだが、当たるかも≠ュらいに精度が増したような気がする。
 このビエラ流星群≠フ正式な名称は「アンドロメダ座γ流星群」という。輻射点がアンドロメダ座のγ星付近にあるのでこの名があるのだが、実のところ、これまでこの流星を見たことがなかった。出現したとしても1時間に1個から数個くらいという予報がいつものことだったので、とてもこれだけを見るために寒い冬の空の下へ出ていく気持ちはなかなか持てなかったのだ。
 しかし、今年は…。 もしかして…?
 大昔見たあの打ち上げ花火のような流星雨の絵が脳裏にチラついた。伝説のビエラ彗星のカケラでも見えはしないか? とはいえ、予想は1時間当たり200個程度の大出現≠ナ、2001年のしし座流星群にはとても及ばない程度ではあるのだけれど。
 

 はたして…。12月2日深夜。
 気温はすでにマイナスとなっている。東の山の端からは月齢20の大きな月が顔を出していた。月が出る前にははくちょう座あたりに天の川も見えていたが、さすがに月の光に埋もれてしまっている。それでも、空気は澄み、月明かりの中に冬の星座たちが輝いていた。輻射点のあるアンドロメダ座は北西の空の低い位置へと傾きつつある。
 流星は流れない。
 変化のない星空は眠気を誘う。眠気を覚えると、見えるはずの流星も見逃すことになる。悪循環だ。
 日にちが変わって、極大予想時刻がより近づいた。しかし、月明かりが増し、空がさらに明るくなった以外、空に変化はない。眠くても、眠くなくても、流星は流れない。
 夏の夜空では特に流星群の活動がないときでも、もっとたくさんの流星が見えるものなのだが、散在流星さえなかなか飛んではくれない。
 いつの間にか、極大の予想時刻・午前2時を過ぎていた。気温はマイナス4.5℃まで下がっている。 予想は外れたのか。それとも、微かな光の流星ばかりで、月の光に埋もれてしまっていたのか。
 流星はいつまで待っても流れてはくれなかった。深々と冷える雑木林の上空を、澄んだ夜空の星々が静寂にゆっくりと西の空へ移動していくだけだった。


月明りの中で輝くオリオン〜おうし座     2023.12.3. 榛名山西麓

 伝説はそう簡単には現実のものとはならないらしい。
 ビエラ彗星と、その夢のような遠い記憶の流星雨。
 そして、その伝説のような話を知ったときのこともまた、はるか昔の記憶になりつつある。
 
 次のチャンスは2036年のことという。






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