2022年2月 シリウスB |
南中へ向かうシリウス 2021.11.27. 高崎市倉渕町 |
冬の大三角形の一つ、おおいぬ座のシリウス。 ベテルギュウス、リゲル、カペラ、アルデバラン、プロキオン、カストル、ポルックス等、冬の夜空には固有名が付いた明るい恒星がいくつもあるが、シリウスの−1.4等級という明るさは群を抜く。焼き焦がすもの<Vリウスは、惑星を除けば、冬の夜空で圧倒的な存在感を誇っているのである。 そのシリウスという恒星は実は1つの星ではない。明るく輝くシリウスのすぐそばに、暗いもう一つのシリウスがあるのだ。明るいシリウスは「シリウスA」、これに対して暗い方は「シリウスB」と呼ばれる。我々が「シリウス」と見る恒星は、シリウスAとシリウスBという2つの星がお互いの共通重心を公転している二連星なのである。だが、シリウスBの明るさは8.4等級。とても肉眼で見える明るさではない。 シリウスが天球上で揺らぐように位置を変えることは1800年代には観測され、見えないけれどそこにはもう一つの星があるのではないかと推測されていた。これが実際に確認されたのは1862年のことという。アメリカのディアボーン天文台で新しい望遠鏡のテストのためにシリウスを見てみると、そこに小さなもう一つの星が見えたというのである。 明るいシリウスAは大きさも質量も太陽よりも少し大きいくらいの恒星だが、暗いシリウスBの方はとても小さい割に重いことが判っている。2005年のハッブル宇宙望遠鏡の観測からは、大きさは地球くらい、質量は太陽と同じくらいとされているから、想像を絶するような超高密度の恒星である。これは恒星の一生の最後のステージにある白色矮星なのだ。 この白色矮星はシリウスの伴星≠ニも呼ばれ、地学の教科書にもしばしば登場するからそれなりに有名で、少し天文学に関心を持った人ならばきっとどこかで見かけたことがあるに違いない。 だが、教科書などの写真では見ても、そのシリウスBを実際に見たことがあるという人は多分そう多くはない。恒星の8.4等級は肉眼でこそ見えないが、望遠鏡を使えば苦も無く見える明るさではある。だが、シリウスAの強烈な光に対して、すぐ近くにあるシリウスBの8.4等という等級は余りにもコントラスが大きすぎで見えないのである。カメラで撮影しても、弱い光のシリウスBはシリウスAの光に埋もれてしまって分解することができない。だから、これまでシリウスBの存在は知っていても、とても見えるものではないと、望遠鏡を向けることはなかった。 ところが…。実は、もしかしたら見える、あるいは撮れるかもしれない、という希望的観測が出てきた。探せばWeb上にアマチュアの撮影したシリウスBの画像がいくつも見つけることができるのだ。 シリウスAとシリウスBはお互いの共通重心をまわっているが、その軌道はたいへん潰れていて、円とは程遠い楕円軌道となっている。そのため、2つの天体の間の距離は8.2〜31.5天文単位の間で変化し、地球からの見え方では角度にして、2″〜11″くらいの違いが出てくるのだという。シリウスAを固定したとすると、シリウスBは約50年かかってシリウスAの周りを回転することになる。そして、シリウスAとBの位置関係を見ると、2022年が11.3″と最も離れていて、その前後の数年間は11″を超える離角である。そう、今がチャンスなのである。あるいは、今を逃したらもう見られないかもしれない…。そう気がついたのは2020年の冬のことだった。 離れてある2つの物を見分ける能力を「分解能」という。視力1.0のヒトの分解能は角度で表すと約1分(=60″)なのだとか。正常な視力を持ったヒトは角度にして1分以上離れた物を見分けることができるということになる。 望遠鏡の分解能については、イギリスの天文学者・W.R.ドーズが19世紀に経験則から導き出したドーズの限界≠ニいうものがある。分解能は「115.8÷口径(mm)」で計算されるというものだ。レンズの材質や反射鏡の鏡面精度など、望遠鏡の出来具合によって多少の違いはあるはずだが、およその目安にはなる。 自宅にある一番大きい望遠鏡は、口径20cmのニュートン式反射鏡である。分解能を計算すると約0.58″。シリウスAとBの離角が11″とすれば明るさの差を考えなければ楽勝のはずだ。 最初の試みは2020年2月23日。2月中旬のシリウスの南中時刻はすでに午後8時過ぎとなっている。恒星は毎日約4分ずつ地平線から昇る時刻は早くなっていくから、季節が進んでいくとシリウスBを見るチャンスは無くなってくる。 赤道儀に載っていた口径76mmの屈折望遠鏡を降ろし、代わりに口径20cm・焦点距離1200mmのニュートン反射鏡を載せた。レンズを使う屈折望遠鏡は色によって屈折率が異なるため、いろいろな色が混じった光を1点に集めるのは難しいのだが、レンズを使わないニュートン式の反射望遠鏡は、その鏡面の中央の像はとてもシャープなものになるはずだ。もちろん、光軸等の調節が完璧ならば、という条件はつくけれど。 シリウスを導入し、or9mmのアイピースを差し込んで、ちょっとだけ期待して覗き込んでみた。倍率は133倍。口径20cmの有効最高倍率は400倍くらいだろうから、十分許容範囲だ。 だが、やはり現実はそう甘くなかった。視野の中のシリウスはどんなに慎重にピントを合わせようとしても、ゆらゆらゆらゆら…と踊るように動き回り、ピントの位置さえよくわからない。本来ならば点であるはずの恒星像は、シャープな点とはほど遠い面積を持っている。しばらく眺めていたが、とてもシリウスBは見えそうになかった。 翌日も覗いて見たが、見え方はそう変わらない。だいたい、肉眼でシリウスを見てもキラキラ瞬いているのだから、そのキラキラを望遠鏡で拡大したところで、シャープな星が見えるはずもないのである。 それでも、その後も何度かトライしたが、期待はことごとく裏切られ続けた。 シリウスBを見るには、落ち着いたどっしりとした地球の大気の条件が欠かせないらしい、ということがわかってきた。実にチャレンジングなターゲットである。 冬の大気はなかなか落ち着かない。透明度は高く、冬の天の川さえ見えるというのに、大気は大揺れの日が続く。夏のどっしりとした高気圧の空とは大違いだ。 大したチャンスもないまま、2月が終わってしまった。3月になるといよいよシリウスB観望のシーズンオフが見えてきてしまう。反面、大気の状態は少しは安定するという期待もある。 3月のある晴れた日、近くにある「くらぶちこども天文台」を訪れてみた。ここには三鷹光機製の口径30cm・焦点距離3900mmのカセグレン式の反射望遠鏡があって、予約なしで観望させてくれるというありがたい天文台なのだ。自宅の反射望遠鏡では無理でも、さすがにここならば見られるのではないか、と大いなる期待を持っての訪問だった。 シリウスは南中を過ぎ、西へ傾いている。条件はベストとは言い難い。 「シリウスを見たい」と告げると、係の方は快く望遠鏡をシリウスへ向けてくれた。 だが、望遠鏡を操作している方が最初に覗いたのだが、やはりBは見えないという。以前にもシリウスのリクエストがあって、望遠鏡を向けたが、そのときにも見えなかったとのこと。代って覗かせてもらったが、やはり見えない。あいかわらず望遠鏡の視野の中でシリウスが踊っている。 「以前、リゲルは見えたんですけどね…。」 オリオン座の1等星・リゲルもシリウスに似た連星で、0.13等の明るいリゲルAと6.8等の暗いリゲルBCがくっつくようにしてある。その離角は9.5″とシリウスよりも小さいのだが、等級差が小さいためか、シリウスBよりも見やすいようだ。リゲルBCが見えなければ、シリウスBもたぶん見えない。 では、とリゲルをリクエストして見ると、こちらはその言葉通り、かろうじて確認できた。 だが、実は、自宅の望遠鏡でもリゲルはかなりの確率で分離して見えている。天文台の見え方とそう大きな違いは感じられない。おそらく、鍵を握るのは空気の落ち着き具合なのだ。 シリウスを見よう、と思い立って3カ月。手ごたえとしては、もうちょっと、なのだが…。離角11.2″の2020年のシーズンは成果なく終わった。
年が改まり、2021年の冬。空にシリウスの明るい光が戻ってきた。シーイングに注目して夜空を見上げるが、あいかわらず冬の大気はいつも揺らいでいる。 前年は準大接近≠オた火星を記録するために、CMOSカメラで動画を撮像して、それを重ね合わせる等の画像処理の方法を試したが、この方法でシリウスBは撮れないだろうか。 新しい試みで、若干の期待を秘めてシリウスに望遠鏡を向けたのは1月下旬のこと。 20cmニュートン反射に×2のバローレンズを付けたうえで、CMOSカメラを装着して撮像してみる。だが、望遠鏡のアイピースの位置に置かれたCMOSカメラからパソコンに送られてくる画像はやはりゆらゆら揺れる肥大したシリウスで、Bは見えない。火星やら木星を撮影したのは夏から秋で、今思えば、それは冬に比べればずいぶんと安定した大気だったようだ。 この同じシステムで夏に木星を撮影したのだが、そのときの木星の視直径は約47″。シリウスAとBの離角よりもずっと大きい。シリウスAとBの間は11″だから、このシステムで撮像したとすれば、シリウスAの中心からおよそ木星の視直径の1/4くらい離れたところにシリウスBがあることになる。 …ということは、シリウスAの画像は木星の視直径の半分より小さい形でなければ、Bの存在はAの光に埋もれてしまう。CMOSカメラの画像は光が集積すれば肥大していくので、明るい星は画像として大きくなる。一方、シリウスBの8.4等という明るさはそう短時間ではモニターには現れてこない。Bが表れるころにはすでにそこはAの飽和した光で包まれてしまっているのである。 成果が上がらないまま1月が過ぎ、またしてもシーズンオフが見えてきてしまった2月。 今日は行けるかも!≠ニ思って出かけた2月6日のくらぶちこども天文台では、それまでにないくらいクリアに分離したリゲルが確認できた。が、シリウスは見えない。 同じ日、自宅の望遠鏡でもリゲルは分離して見えたが、シリウスは同じようなものだった。 なんとも強敵である。2021年のシーズンも成果が出ないまま、シリウスは昼間の空へ移って行ってしまったのである。 2022年のシリウスBは、離角11.3″。50年で最もAから離れるという絶好のチャンスである。 晴天率の高い冬場は見る機会はいつでもありそうだが、なかなかそうはいかない。星がキラキラ瞬いて輝く夜は透明度は良くても、大気は揺らぎ、これまでの様子からして、手持ちの機材ではシリウスBは見えないことはよくわかっていた。そして、気をつけて毎日のように空をチェックしていても、見えそうな日はほとんどなかった。 それでも、もしかしたら…、と思って何度も望遠鏡を向けてみる。 光軸があっていないのかもしれない…と思って、光軸調整用のレーザーコリメーターを使って、斜鏡や主鏡を微調整してみたりもした。 1月に入って、望遠鏡を覗くこと11日間。リゲルはなんとか分解するが、シリウスはあいかわらず、なんとしても一つしか見えなかった。地上付近は穏やかな様子でも1月の空高くは風が吹きまくっているのかもしれない。 そして、2月。南中時刻はすでに午後9時代になっている。春分を過ぎるとシリウスのシーズンの終わりを感じるようになってくる。 その日も帰宅して見上げるシリウスはいつものように瞬いていた。 すぐに風呂に入って体を温め、望遠鏡の小屋の屋根をあけ、望遠鏡のカバーを外し、外気に馴染ませる。空高くの気流だけではなく、望遠鏡の小屋の中や、望遠鏡の筒の中にも気流が発生する原因があるというから、シリウスBを相手にするにはそうするしかない。1月から何度こんなことを繰りかえしてきたことか。 最初にリゲルを見てみる。見事に分離、良い感じだ。 さっそく、望遠鏡にCMOSカメラをつけ、ノート型のパソコンにつないでモニターを見ながらピントを合わせると、リゲルがゆらゆら動きながらも、伴星BCがくっきり分かれて映し出されてきた。リゲルは楽勝だ。 そのピントのままでシリウスを導入してみる。 こちらはあいかわらずだ。明るいシリウスがモニターの中で踊っている。でも、何か違う…? 息を止めるようにして、露出時間や感度(Gain)をいろいろ変えながら、モニターのシリウスの様子を眺め続ける…。すると、いままでよりも露出時間や感度を上げたときに、シリウスの像が大きくなる割合が小さいような気がしてきた。これは大気がこれまでよりも落ち着いて、星像の揺らぎ具合が少なくなっていることを意味しているのではないだろうか。 そして…。 モニター上のシリウスの左上、およそ10時の方向にときおり小さな暗い光点が現れるのに気がついた。これは、もしかして…。 モニター上では上は北、左は東になっているから、光点はシリウスに対して北東方向になる。離角はリゲルよりも少し大きいくらいだから、位置はシリウスBのあるべき場所とほぼ一致しそうだ。 小さな光点はときどき見えたり、まったく見えなくなったり、シリウスの光条に重なってしまったりしている。本当に注意深く見ていなければ、そこに微かな光の点があることなどわからないことだろう。 約1時間。見えるような、見えないような微かな光点はモニターの上に確かに存在し続け、やがて、再び宇宙の闇の中に隠れていってしまった。 それは空が気まぐれに見せてくれたシリウスBだったのだろうか。
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