2021年4月
幻のシュンラン



シュンラン  Cymbidium goeringii    2021.4. 榛名山某所


 2003年に榛名山麓へやってきてから、榛名山で野生のシュンランを見たことが一度だけあった。榛名山のある場所で、早春のある日、偶然にシュンランに出会ったのだ。
 ジジババ≠フ名前で親しまれるこの春のランは、植えられたものは見ることがあるが、野生のものを見る機会はあまりない。地域によってはまだたくさんあって、春の旬の味として食用にさえしているというが、群馬県では絶滅危惧U類である。
 しかし、翌年の同じ季節にその場所を訪れたが、もうシュンランには出会うことはなかった。翌年も、その翌年も、そのまた翌年も…。今年も、もしかして眠っていたシュンランが眼を覚まし、再び地上に顔を出しているのではないかと、微かな希望を持ってその地を訪れたのだが、やはり無かった。
 レッドデータの調査をしている方にそのことを話すと、「盗られちゃったんだよ」と言う。発芽してから花をつけるまでに5年以上かかるというシュンランは、株を増やして売るために野生のものを盗ってきてしまったり、あるいはそのまま売ってしまったりと、盗掘のターゲットになっているようだ。
 しかし、あのシュンランに出会ったのはいつのことだったのだろうか。
 見たという記憶はあるが、その記録がまったくないのだ。数多くの写真を撮ったはずなのにその画像も、メモも見当たらない。パソコンのハードディスクにも、外付けのハードディスクにも、CDにも、いろいろな電子データをすべて見直してみたのだが、その画像が見当たらない。もしかして、HPにアップロードしてあるかとも思ったが、それも無かった。その生えていた場所も、その姿も、記憶にはしっかりと残っているのに。
 もしかして、夢だったのか?記憶は本当に確かなのか…?
 記憶というものの本質はまだまだ解明されていないようで、生命の不思議なものの一つだ。体をつくる細胞の物質は絶えず変化していて、そこに記憶が記録されることはないという。最近では、神経細胞・ニューロンが結合して作る神経回路の形が残され、そこに電気信号が流れると、その回路が強化されて、記憶も強化される、という説がある。ニューロンのつながり方が少し変わってしまったら、記憶も変化してしまうことになる。ヒトの記憶なんて、簡単に歪んでしまうものなのかもしれない。夢でみた記憶が微妙に書き換えられ、あたかも現実のことのように思い込んでいるだけなのかも…?これだけ証拠が見つからないと自分を疑ってみたくなってしまう。
 本当に、あのシュンランはそこにあったのだろうか…?

 今年も、記憶にあるその場所で虚しくシュンランが無い事を確認したのち、本格的にシュンランを探しに出かけた。今年こそシュンランに再会しよう。この広い榛名山のどこかに一株くらいは野生のシュンランが残されているだろう。
 しかし、やはり絶滅危惧U類である。探そうと思って、すぐに見つかるものではない。シュンランが花をつけている期間は短くはないとはいえ、季節はすぐに移ろってしまう。春の花の季節は忙しいのである。
 シュンランがまだつぼみを開く前の季節から、ヒマを見つけては榛名山のあちこちを訪れた。そして、やっと、自生のシュンランを見つけたのは3月の終わりのこと。
 くっついたように2株。一株には開きかけた花が地面から2〜3cmの高さについていた。数年ぶり、あるいは十数年ぶりに出会えた榛名山の野生のシュンランである。
 やっと、少し幻から現実に戻ってきたようだ。
 しかし− 記憶力の方はさておき、榛名山の環境を取り巻く状況に楽観的な予測はまるで立たない。榛名湖の周りで在来種を駆除しながらスイセンを植え続けるような環境整備≠ェ一般的な感覚であるならば、野生のシュンランが本当に幻となる日はそう遠くないかもしれない。






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