2020年8月
あんにんご 豊作!


赤くなったウワミズザクラの実   2020.8.3.


 8月の初めの頃のこと。
 緑色が深くなった雑木林の中の木に赤いものがあるのに気がついた。この季節、緑色の葉が木を覆っているはずなのに、その木だけが赤い何ものかで覆われている。
 さては…、枯れて葉が赤く萎れてきているのか…? 夏場の雑木林の背の高い木の葉が赤くなっているとすれば枯れることくらいしか考えられない。落葉するにはいくら何でも早すぎる。いつも最初に葉を落とすソメイヨシノだってまだ青々とした葉が付いている。
 しかし、双眼鏡で眺めてみると、それは枯葉ではなかった。房状についたたくさんの小さな赤い実が、大きな木を覆うようにしてあるのだった。そういえば、そのあたりには2カ月ほど前に大きな試験管ブラシのような白い花がたくさんついていた。それが結実して、赤い姿を現したのである。ウワミズザクラだった。
 ウワミズザクラは山麓の桜が終わったころ、桜のシーズンの最後を飾るように咲く。とはいえ、いわゆる桜≠フ花とはずいぶん様相は異なっていて、それが桜の花とは思わない人もいることだろう。いつもその花を見ながら、新潟あたりでよく食べられるというウワミズザクラの若い未熟の果実を塩漬けにしたというアンニンゴ≠フ話をし、その花が実になるころにはすっかり忘れて、雑木林の緑の中に埋もれてしまっていたのだった。
 例年、そんな具合で季節は移ろっていく。だから、杏仁豆腐の味がするというアンニンゴ≠ヘいつまでたっても幻の味≠ネのである。
 それにしても、真夏に、この雑木林の一角に出現したウワミズザクラの赤い実は目を引く。
 いや、目を引く≠ニ思っているのは、この存在に気づいた人だけなのかもしれない。連れ合いを呼んで、この赤い実を教えると、やはり気づいていなかった。庭を訪れた客人も気づく人は皆無で、その存在を指摘されて初めて気がつく人ばかりだった。意外なことかもしれないが、見上げなければ見えない背の高い木の樹冠は死角なのだ。まだ雑木林の木々が葉を広げる前、エドヒガンが雑木林の上空で淡いピンクの花を広げても、たいてい気がつくのは落ちてきた花びらの見たときである。
 しかし、本当にこれまでもこんなに赤い実がなっていたのだろうか。それとも、ボンクラな目にもわかるくらい今年が特に豊作なのだろうか。
 
 季節が少しだけ進んだ8月の終わり。あんなにたくさんあった赤い実は、遠目ではまったく判らなくなり、雑木林はいつもの夏の姿に戻っていた。ウワミズザクラの実は鳥や動物たちの好物でもあるので、熟していくにしたがって食べられ、数を減らしていくはずだが、近づいてよく見れば、黒く完熟したらしい実はいくつも残っている。林に暮らす動物たちにとって、夏の雑木林にはウワミズザクラの実以外にも豊富に食べ物があるのだろう。
 ウワミズザクラの実が雑木林の樹冠で赤い姿を見せていたのはわずか1カ月間ほどだったようだ。この季節に雑木林の上空を見上げなければ、それに気づかないことになる。見るべきものがいくらでもある夏の季節、死角の樹冠にまで目が届かなかったとしても、節穴の眼の観察者にはありがちなこととして納得してしまう。
 
 コロナ禍≠ノ揺れ動く2020年。豊作と疫病、そしてその予防を予言したと伝えられる妖怪「アマビエ」がにわかに脚光を浴びている。ウワミズザクラの豊作との因果関係は不明だが、不老長寿の薬とも伝えられるウワミズザクラの実が妖怪「アマビエ」の代わりにはならないものかと、神頼みよろしく、まだ赤い実の頃、ホワイトリカーに漬けこんでみた。
 雑木林の樹冠から赤い実が姿を消した今、杏仁豆腐の香りのする何やら何かには効きそうな不老長寿の果実酒≠ェ熟成している。

 





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