2020年2月
月面X





 NASAの火星探査機「バイキング」が撮影した画像の中に人面石が発見されたのは1976年のことだった。The Face≠ニ名づけられたその岩石をめぐって、火星人や地球外知的生命体の遺跡ではないか、と想像をたくましくする人たちもたくさんいた。だが、その後1996年に打ち上げられた火星探査機「マーズ・グローバル・サーベイヤー」が撮影した詳細な画像によって、人工物説は儚く打ち砕かれることとなった。当初からのNASAの見解どおり、自然の地形が光の当たり具合によって偶然そのようなものとして見えただけだったというわけだ。
 何かが別の物に見えるという錯覚は日常でもよくある。木のコブや岩や雲の形が何かの顔や姿に見えたり、あるいは敢えてそう見たりして、脳は錯覚し、ときには楽しむ。
 月面にはXがあるのだという。もちろん、宇宙人が作ったという人工物ではない。火星の人面石と同じように地形と光が作り出す自然のXだ。それは月齢7のときの3〜4時間の間だけ見られるXなのだという。上弦の月のころのわずかな時間である。
 月は約30日かけて、月齢0の新月から月齢15の満月を経て月齢29.5(=月齢0)のサイクルを繰り返しているから、月齢7の日は一年間でおよそ12回あることになる。だから、月面にXを見るチャンスは一年間で12回あることになるのだが、月齢7のときのさらに3〜4時間に絞られるとなると、それは昼間の時間帯であったり、月が地平線の下にあるときであったり、低空であったりと、なかなか条件の良いときは少ない。加えて、雲に隠されていてはどうしようもないから、さらに見られるチャンスは絞られる。そう考えると、月面Xの難易度はそう低くはなさそうだ。1年間で12回めぐって来る月齢7の日のうち、見られるのは数回といったところだろう。
 2020年2月1日は月面Xの日だった。Xができる時刻は午後8時の前後2時間程度。この時刻、月の高度は十分高い。絶好のXデーだ。
 心がけよろしく、この日は快晴。その時刻に望遠鏡を向けると、あっけなく月面のXは見つかった。月の真ん中よりも南側の欠け際、高地と呼ばれる場所である。チャンスは少ない…と思っていたのに、ちょっと拍子抜けだ。
 月面図を見てみれば、そこは「ラカイユ」と「ブランキヌス」と「プルーバッハ」と名付けられたクレーターがあるはず
だった。これらのクレーターの縁に斜めから太陽の光が当たってXが作られているのである。


月面 X

月面 V

 昔、ヒトは月面にウサギの姿を見ていた。同じ月面には、ライオン、カニ、ヒトの横顔… もあった。脳がそう見れば見えてくるいろいろな図形。そして、今は望遠鏡を使って月面のもっと小さな地形を眺めては、Xだとか、Vだとか、Lだとか…。それは、春の高山の残雪を何かに見立てた「雪形」と全く同じ発想だ。ヒトは自らの脳をいろいろ試して、自分の頭の中に絵を描いていく。昔からヒトの発想は根本的に変わっていないのだろう。見慣れているはずのものがその見方を変えると、急に別の物に見えるという脳のお遊びは、手の届かない遠いところの風景を見るときに一層発揮されるのかもしれない。
 Xの現場は、ちょうど夜明けだ。水蒸気の全くない月面で、昇って来る太陽の光は眩いばかりのものだろう。大気がほとんどない月面の気温は、太陽の光が当たらない夜の部分では-100℃以下、光が当たる昼間の部分では100℃以上になるという。極寒と灼熱が繰り返される過酷な世界だ。あのXの辺りはちょうど極寒から灼熱へと変わりつつある頃だろうか。
 頭の中にできあがったちょっとメルヘンチックな錯覚と、過酷な環境であろう現実の姿。月面には2つの顔がある。それをどう見るかはヒトの脳次第。月面ウォッチングはまだ思わぬ見所がたくさんありそうだ。







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