2019年9月
かれい臭の草



ノダケ  Angelica decursiva



 榛名山の火口原に広がる沼ノ原のシシウドの花期は長く、9月になっても散形花序の先端に白い小さな花が花火のようについている。セリ科の多くは、こんな小さな白い花をまき散らしたような姿で、ちょっと見ただけではなかなかその正体がわかりにくい。イネ科の地味な植物ほどではないけれど、正体を見極めようと行動を起こすには少しエネルギーが必要となる仲間たちだ。

 9月のある日、マツムシソウが真っ盛りの沼ノ原からスルス岩あたりの南側の外輪山の縁へ登ると、一見してセリ科とわかる姿の植物に出会った。シシウドのような散形花序だが、そこに白い花は無かった。白い花の代わりに、濃い紫色の何かがくっついている。もう花の季節は終わったのかと思うような姿である。だが、よく見ればそれが花だった。ノダケである。
 1つの株からいくつかの花序が出ているのだが、それぞれの花序は異なった様子を見せている。雄しべが伸びている花序、雌しべが目立つ花序…、同じ時期に同じように花期がやって来るというわけではなく、花序ごとにその時期を微妙にずらせているようだ。これもこの植物の戦略なのだろう。
 このノダケというセリ科の植物について、以前、埼玉県であった観察会のときに、「ノダケはかれい臭がする」と教えらもらったことがあった。かれい臭≠ヘ「加齢臭」だったか、それとも「カレー臭」だったか…?確かそのときは花も実も無く、あるのは葉だけで、実際に臭いを確かめることもなく終わってしまったようで、記憶に残っているのは「かれい臭」という言葉だけ。その実態が頭の中には入っていなかった。いったいどっちだっけ?
 オヤジギャグ満載のガイド役のYさんの植物解説は、植物のある野外ならば、ほとんど移動することなく軽く1時間は話が途切れずに続いていく。もちろん、ギャグだけではなく、植物に関する面白い話も盛りだくさんなのだが、その話を整理し、頭の中にしまっておこうとすると、だいたい半日くらいで頭のメモリーは一杯になってしまう。それでもYさんの植物解説とオヤジギャグは止まるところを知らず、もうこれ以上頭には詰め込めないというような状況でもさらにたくさんの言葉が頭上を通過していくことになるのだ。おそらく、ノダケのかれい臭≠フ話があったのはこんな状況になっていたころだったのだろう。かろうじて、オヤジギャグの部分だけが頭のどこかに引っ掛かっていたに違いない。
 紫色の花序に鼻を近づけてみる。
 これは… カレーだ。臭いに鈍感な鼻でも判る。かれい臭≠ヘ「カレー臭」だったのだ。Yさんの笑っている顔が思い浮かぶ。
 ところで、カレーの臭い…、いやいや「匂い」とは、いったい何なのだろうか。
 「カレー」と一言でいっても、世の中にはたくさんのカレーがあるが、ノダケのカレーの匂いは、スーパーなどで売っているごく普通のカレーの匂いだ。
 その匂いの源を調べてみると、クミン、コリアンダー、フェンネル、チョウジ、シナモン、カルダモン、ナツメグ…と、香辛料の名前がいくつも並んでくる。いろいろなカレーのメーカーがその分量を試行錯誤しながら研究していることだろう。なかでも、カレー匂いを特徴づけるのがクミンなのだとか。クミンアルデヒドというのがこの匂いの化学成分だという。
 クミンは日本には自生しないのでその姿を見ることはないがセリ科の植物である。さらに言えば、コリアンダーとフェンネルもセリ科の植物という。カレーはセリ科植物なしでは考えられない食べ物だったのだ。そう考えれば、ノダケの花や実がカレーの匂いがするというのは当たり前とは言わないまでも、そうだろうね、くらいの話なのかもしれない。
 ノダケを山菜として利用するということは聞いたことはないけれど、ドクゼリやトリカブトのように毒があるということも聞いたことがない。花や実ではないが、漢方の方では根を「前胡(ぜんこ)」という名前で薬として利用するのだとか。
 それなのに…、いまだに誰もノダケカレー≠ネるものを作ったというのを聞いたことはないのは、匂いのみで味覚の方は全くダメなのか、それとも、完成されたカレーに満足して、あえてやってみる価値を見出せないからか。
 それにしても、秋の明るい陽ざしの下、微かな香りに引き寄せられてやってくるカレー好きな昆虫とはいったいどんな面々なのだろう。





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