2019年5月
ヒカゲツツジ



ヒカゲツツジ Rhododendron keiskei
2019.5.6. 二ツ岳山腹



 「そはやき」という不思議な響きを持つ言葉がある。
 ひらがなで書かれることが多いが、漢字があることを最近知った。「そはやき」は「襲速紀」と書くのだそうだ。ますます意味不明…?
 襲≠ヘ「襲の国」、これは現在の九州南部を表している。速≠ヘ「速吸瀬戸」、四国の佐多岬と九州の大分の間の豊予海峡付近。紀≠ヘ「紀伊の国」、紀伊半島である。
 植物学者であった京都大学の小原源一氏が作った言葉で、九州〜四国〜紀伊半島を中心とする植物群に対して「そはやき要素」と名付けたのである。
 このあたりは、地質的には西日本を2つに分ける大断層の中央構造線の南側にあたる場所で、西南日本外帯という地質区に分類される。西南日本外帯は北から南に向かって、三波川帯、秩父帯、四万十帯とよばれる地質区分に細分されるのだが、これらはプレートによって運ばれてきた海の堆積物や火山島などが日本列島の基盤に衝突してできた「付加体」と呼ばれる古い地層や変成岩からできている。こんな古い岩石の上に成立した古い植物群が「そはやき要素」ということになるらしい。
 そのそはやき要素の一つにヒカゲツツジという植物がある。環境省のレッドリストには載っていないが、関東地方では群馬県を除く1都5県で絶滅危惧T類、絶滅危惧U類、準絶滅危惧のいずれにリストアップされている絶滅が心配される樹木である。
 このヒカゲツツジが不思議なことに榛名山にある。それも榛名山で最も新しい時代の火山活動があったはずの二ツ岳とオンマ谷に、である。オンマ谷は相馬山の東側にできた爆裂火口で、二ツ岳はそのオンマ谷の爆裂火口の中に出来上がった溶岩ドームだ。「億年前」のオーダーの三波川帯や秩父帯の岩石に対して、榛名山が形成され始めたのは50万年前とされるから、まったく比較にならないくらいの時間の差がそこにはある。
 榛名山のあたりは、そはやき要素に対して「フォッサマグナ要素」と名付けられた植物群である。糸魚川―静岡構造線の東側にあたるフォッサマグナ地域南部の、地質時代の区分では第四紀という時代に形成された新しい火山地帯にできた新しい植物群だ。そんなところにヒカゲツツジが入り込んでいるのはどうしてなのだろうか…。

 まだ樹木に葉がそろわない5月の上旬。そろそろヒカゲツツジの花が見られる頃、と思って、二ツ岳の山麓を訪れた。そのうちに木陰になってしまうであろう林の中間層で、早春のミツバツツジが赤紫の花をつける同じ頃、薄い黄色の花を咲かせるのだ。沼の原にあるレンゲツツジやヤマツツジの花はまだ少し先のようだが、ヒカゲツツジは一足早いのである。
 予想通り、二ツ岳の山腹にヒカゲツツジは咲いていた。最盛期というわけではなく、少し早いくらいだったかもしれない。どうも今年の花暦はずいぶんと遅い。
 遠くからは白く見える花びらは、近づいて見ると薄い黄色に見えた。クリーム色といった方がより近いだろうか。レンゲツツジやヤマツツジの派手な色彩に比べて、落ち着いた優しい花びらだ。その咲き方もぎっしりと咲き競うという感じではなく、まばらに余裕を持って咲いているように見える。「ヒカゲ」とはいえ、花の時期にはそこはまだ明るい林の中なのだが、もう少し季節が進めば上空を大きな落葉樹の樹冠に覆われ、いっそう落ち着いた様子になることだろう。
 
 3月の終わり、連れ合いの実家のある高知県土佐清水市へクルマを走らせたことがある。3月の終わりといえば、榛名山麓の林はまだほとんど冬の様相である。
 上信越道を使って、群馬から長野へ。そして中央道で木曽路を名古屋へ。群馬の山も、長野、岐阜の山もそう変わった様子はない。
 名神高速で名古屋から大阪へ。中国自動車道、山陽道と乗り継いで、淡路島をめざす。近畿地方の林の様子は何だかわからないまま過ぎていった。都市部を走っていることが多いのに加えて、走り慣れない道路で、風景を見ている余裕などなかったのだろう。
 風景に劇的な違いが見えたのは神戸淡路鳴門自動車道で明石海峡を淡路島へ渡ったときだった。群馬で暮らしていると海の風景も珍しいのだが、緑鮮やかな常緑の林が新鮮な風景として目に飛び込んできた。落葉の季節の山から来たから余計にそのインパクトは強かったのかもしれない。
 淡路島から四国へと渡ると、そこは同じ日本とは思えないような常緑の林だった。その中に混じって桜も咲いている。特に海岸線に近いあたりは見慣れない林が連続していて、緑の濃密さが違うように感じられた。おそらく、照葉樹の林だったはずだ。
 中央構造線は淡路島のすぐ南側を、島をかすめるように通っているので、淡路島の南側の鳴門海峡を四国へ渡ったあたりで地質区分は西南日本外帯になる。とすれば、あれがそはやき≠フ林だったのか。
 とはいえ、九州から紀伊半島にかけての多くは常緑の照葉樹だが、標高1982mの石鎚山を最高峰とする四国山地は1000mを越える場所が少なからずある。さすがに四国とはいえ、1000mを越えるような高さでは照葉樹林ではなく、落葉樹林となるようだが、そこに育つ植物たちは榛名山のものたちとはずいぶんと違うのだろう。中央構造線の南側の古い岩盤の上に成立した古い日本固有の植物群の中には、標高の高いところに育つものもいたはずだ。ヒカゲツツジの故郷はそんな場所だったのだろうか。
 榛名山から最も近い三波川帯や秩父帯の岩石があるところまでおよそ25km。古い大地から離れて、新しい火山地帯へやって来たヒカゲツツジの足どりは興味深い謎である。
 
 





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