2019年3月
鉄バクテリア



沢の底の赤い沈殿と油膜のような水の表面の被膜



 榛名山の北面を流れる深沢川の標高550mあたりに砂防ダムが作られている。
 砂防ダムは時間の経過とともに土砂が堆積して、ダムの上流側は水の代わりに土砂が埋めつくし、開けた河原のような外観になることがよくある。だが、この砂防ダムはまだ水をためる力を持っていて、生物たちにちょっとした水場を提供している。
 水辺にはわずかではあるがカモやサギの仲間が集うこともよくある。しかし、ヒトが滅多に近寄らない場所であるため、公園の池のカモのようにはヒトに慣れておらず、なかなかその姿をじっくりと観察するまでにはならない。
 砂防ダムに蓄えられた水はダム自体のコンクリートの壁のあたりがおそらく一番深く、上流側に向かって徐々に浅くなっていくように見える。水辺には小さいながら芦原もあるのだが、水位の変化があるので、水没するような状況になることもしばしばある。そこには細かい泥の粒子が堆積していて、水をたっぷり含んでいるため、この砂防ダムの上流は底なし沼¥態である。かつて、この水際にヤゴを見つけて、もっとよく見ようと足を踏み込んだとたん、この恐怖の底なし沼に捕まったことがある。
 その見かけ上は陸地になっているように見えて、実は底なし沼≠フようなぬかるんだ泥地帯の中を上流から細い流れが砂防ダムに続いている。その流れは異常なほどオレンジ色に染まっていた。水の流れていない場所は真っ黒な泥で、水路だけがオレンジ色に見えているのだ。以前からそれは気になっていたのだが、周囲が底なし沼¥態になっていたので、近づくことができなかった。ところが、この冬の異常ともいえる降水量の少なさから砂防ダムの水位はぐんぐん下がり、上流側の底なし沼£n帯もぐっと幅が狭くなっていた。
 慎重にその小さな流れに近づいていくと、流れのない水たまりに、油が浮いたようなものが見えた。これは… 鉄バクテリア!いや、正確には鉄バクテリアの作った薄い膜だ。オレンジ色に見えるのは鉄の沈殿だろう。
 かつて、澱んだ止水域でこんな油膜のようなものを見ると、誰かが油を捨てたのだろうと何も考えずに思ったものだが、それが油とは限らないということを知ったのはそれほど昔のことではない。こんな油膜のようなものも自然界にあるものたちが作り出すことがあるのである。
 しかし、この油膜のようなものが鉄バクテリアが作り出したものだと知った後も、まだしばらくの間、「鉄バクテリアが油膜をつくる」と思っていたのだから、おバカである。何で鉄バクテリアが油を作らなければならないのか。
 生物の教科書には「光合成」というものが必ず載っている。植物が生きるために、太陽の光エネルギーを使って二酸化炭素からブドウ糖という物質を作り、その中に化学エネルギーという形でエネルギーをため込む仕組みだ。しかし、生物がエネルギー物質として有機物を作り出す仕組みはそれだけではない。光エネルギーを使わずにエネルギーを作り出す生物がいる。「化学合成細菌」と呼ばれるバクテリアたちである。
 化学合成細菌たちは、光のエネルギーの変わりに、無機物を酸化させることで発生する化学エネルギーを利用して、光合成と同じような炭酸同化作用を行う。代表的な化学合成細菌としては、硫化水素(H2S)を酸化させてエネルギーを取り出すイオウ細菌、アンモニア(NH3)を使う亜硝酸菌、亜硝酸(NH2)を使う硝酸菌などが知られていて、鉄バクテリアもその仲間の一つだ。鉄バクテリアは2価の鉄である水酸化鉄(U)を酸化させて水酸化鉄(V)をつくり、その際に発生する化学エネルギーを使って炭酸同化を行うという。水の流れの中のオレンジ色の沈殿はそうやって鉄バクテリアが作った水酸化鉄(V)で、水の表面に油膜のよう浮かんでいるのも鉄の酸化によって作られた被膜なのだ。
 バクテリアたちが何かを材料にして、それを別のものに作り変えることは日常のことである。「発酵」はその代表的なもので、「腐敗」もまた同様である。ヒトにとって、バクテリアが作ったものに利用価値があれば「発酵」で、不快なものができたときには「腐敗」と呼ぶにすぎない。バクテリアにとっては、その物質を作るのが目的ではなく、エネルギーを作り出すのが目的なのだ。「発酵」で作られた物質も、「腐敗」で作られた物質も、鉄バクテリアが作った水酸化鉄(V)も、エネルギーを作る際にできてしまった副産物でしかない。
 この砂防ダムの上流側には、おそらく鉄イオンをたくさん含んだ地下水が湧き出しているのだろう。その鉄イオンを使って、鉄バクテリアは彼らの日常を過ごしている。その結果、沢がオレンジ色に染まろうと、油のような被膜が浮かぼうと、それは彼らの関知することではない。
 鉄は地球にはありふれた元素だ。身の回りを見回してみても、鉄そのもの、あるいはステンレスなどの鉄が含まれている合金で作られた物がいくらでもある。我々の体内にも鉄の元素は含まれているし、地球の中心部は鉄とニッケルの合金状態だろうと推測されている。
 しかし、その鉄という元素は地球で作られたわけではないらしい。天文学、物理学は、鉄という元素ができるのは恒星の核融合反応の最終的な産物であると教える。鉄という元素が地球にあるのは、この太陽系ができる前にあったはずの恒星がその星の内部で核融合反応によって形成したからなのだと。
 そして、地球にありふれた鉄は、いつまでもそこに同じ状態であり続けているわけではない。元素としては安定した物質だが、その状態は単体であったり、化合物であった、イオンであったりと、いろいろと変化しながらその環境に応じて変わっていく。地下にある鉄がマグマとなって地表にのぼってくることもあれば、水にイオンとして溶けだすこともある。酸化して赤く錆びるようなこともある。鉄もまた地球の環境の中で循環していくのだ。いや、その循環は地球だけではなく、もっと大きな、遠大な視線でみれば、やがて宇宙に飛び散り、次の星をつくる材料になるのかもしれない。そして、さらには…?
 榛名山麓の小さな水の流れにも、鉄という元素が鉄バクテリアという生き物を通して、姿を変え、物質の循環の中に流れていく現場があった。しかし、それは鉄だけの話ではない。炭素も、酸素も、水素も、すべての元素が同じ状態でいつまでもあるわけではない。この宇宙にあるすべてのものは常に変わり続けている。
 それにしても、あらゆる物質が最後にたどりつくのはいったいどこなのだろうか。小さなバクテリアの存在もきっとどこかで想像もつかないような壮大な宇宙の最期へとつながっているはずだ。





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