2019年2月
岩本彗星



岩本彗星 C/2018Y1 Iwamoto    2019.2.13. 榛名山西麓にて撮影 


 2019年2月12日の深夜。半月に近い形の月齢7の月は西の地平線へ姿を消そうとしていた。もうすぐ新しい日に移り変わろうとする時刻、夜空からは月の明るさが次第に失われ、夜の暗闇が濃くなってきた。上空には春の星座のしし座が大きな姿を見せている。
 そのしし座の1等星・レグルスの北にあるη星の近くには「岩本彗星(C/2018Y1 Iwamoto)」があるはずだ。
 2018年12月19日に徳島県の岩本雅之氏によって発見されたこの彗星は、この日、地球に最も接近することになっていた。その距離は0.3au*。地球と太陽の距離の3/10という至近距離を通過していくこの日、彗星は最も明るく見えるはずだ。見積もられている予想の明るさは5等級。彗星の明るさの予想は不確定要素が大きいようでしばしば外れるから、もしかしたらもっと明るくなっているかもしれない…と、良いように期待しながら、望遠鏡のファインダーを覗き込んだ。
 
 現在、新しく個人の名前が付く彗星は珍しいものになってしまった。
 リンカーン研究所が行っている「LINEAR」、アリゾナ大学が行っているレモン山サーベイや「カタリナ・スカイサーベイ」、ハワイの「PANSTERS」、オーストラリアの「サイディング・スプリングサーベイ」など、各地の天文台が行っている自動捜索プロジェクトがやって来た彗星たちを、アマチュアのコメットハンターたちが見つける前に次々と見つけてしまうのである。全天を掃天し、まだアマチュアが手の届かないような暗い状態の時に見つけてしまうのだから、相当な強敵である。さらに、太陽に近いところに現れた彗星は、太陽観測衛星「SOHO」の監視の網が用意されている。
 1975年以降に日本人が独立発見した彗星のリストが国立天文台から発表されている。それによると、1983年から1998年の15年間に日本人による彗星の発見は30個。のべ48人が独立発見をしている。この間、一つも発見も無かったのは1985年だけだった。このころ、天文台の組織的な全天サーベイという強力なライバルの影はまだ薄く、コメットハンターのライバルの多くは同じアマチュアだった。
 だが、天文台の全天サーベイが本格化し始めると、次第にアマチュアの入り込む余地は少なくなってくる。1998年以降、日本人による新彗星発見は1年、あるいは2年おきのようになり、最近では2018年の「マックホルツ-藤川-岩本彗星」の発見までは4年もの間隔が空いていたのだ。
 驚きはそんなプロの天文台の全天サーベイを相手にして、地道に彗星を探しているコメットハンターたちの存在だ。
 彗星は見つけようとしなければ見つからない。それでも、見つかるという確率は限りなく0に近いに違いない。何らかの理由で全天サーベイの網から漏れてくる幸運な?彗星を、見つけようとして見つけた、それは僥倖としか思えない。全天サーベイがまだ無い頃でも、コメットハンターたちは修行僧のようなストイックさで彗星の姿を探していたけれど、この現状でなお探し続け、そして、見つけてしまったという快挙はどんな称賛の言葉でも足りないだろう。
 以前、1988年から1989年にかけて6カ月の間に立て続けに3つの彗星を発見した谷中哲雄さんに話を聞いたことがある。当時の谷中さんの観測スタイルは、15cmの双眼鏡で眼視によって掃天するというものだった。その谷中さんの話の中で印象的だったのは、彗星を見つけるのに必要なのは精神の集中だったということ。心の乱れがあると見えるものも見えない。研ぎ澄まされたような精神状態のときにはじめて彗星が見えてくるのだという。本当にそれは修行僧の言葉だった。
 そうやって、1988年12月29日、3日後の1989年1月1日、2つの谷中彗星が相次いで見つかったのである。このころ、谷中さんには何かが付いていたとしか思えない。
 谷中さんの他にもわずかな期間で同じ人が続けて発見したことが何度かある。
 1994年4月14日と同年5月6日に発見した高見澤今朝雄氏、1995年12月25日と翌年1月30日の百武裕司氏、そして2018年11月7日と同年12月18日の岩本雅之氏などである。他に数いるコメットハンターではなく、まさにその人が発見するのだ。そこへ彗星発見の神≠ェ降りてきたような錯覚さえ感じる。今、それは2013年から3個連続して発見している岩本氏のところに来ているのかもしれない。

 星図に位置を落とし、期待してファインダーを覗き込んだそこに岩本彗星らしいものは見当たらなかった。予想外に暗かったのかと思い、念のため、その場所を撮影してみたが、やはりそこに彗星はいなかった。
 少し写野を変えて撮影してみるが、やはりない。 
 おかしい…?予想外に暗いとしても、予報光度は5等級である。写らないはずがない。
 もう一度星図で位置を確認し、翌日の位置も加えて、彗星の動いていく方向を見てみた。そして、その方向に沿って、撮影してみて、やっと明るい彗星の姿を捉えることができたのである。最接近のこの日、彗星は1日のうちに天球を7°も移動していくのだ。2分の露出をかけた写真には彗星が長く伸びた姿で写っていた。そして、あらためて口径6cmのサブスコープで覗いてみれば、明るい彗星の姿がどこに目を付けているのだ≠ニばかりに見えていた。
 精神の安定を欠く、修行僧とはかけ離れたところにいる人間には、そこにあるとわかっている明るい彗星さえなかなか見つからない。


* au … 天文単位。auは 「astronomical unit 」を表す。
       1天文単位は地球と太陽の平均距離で 149597870km。



18分間の岩本彗星の動き  画面左下から右上に向かって移動している



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