2019年12月
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2019年10月 ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したボリゾフ彗星 https://hubblesite.org/contents/media/images/2019/53/4578-Image |
太陽系の外から彗星がやって来る! 天文学的に衝撃的なニュースがもたらされたのは2019年9月のことだった。 2019年8月30日にクリミア半島で Gennady Borisov氏 が発見した17等級の彗星の軌道が明らかになると、天文の世界ではそれを驚きを持って受け止めた。計算されたそれは楕円軌道でも、放物線軌道でもない、離心率3を超える双曲線軌道だというのだ。 楕円軌道の彗星ならば、ある一定の周期をもって再び太陽に近づいてくる。計算上、数千年とか数万年とかかかるものもあるけれど、太陽の重力の影響を受け、戻って来ることになる。しかし、彗星の中には放物線軌道や双曲線軌道のものもある。これらは一度太陽に近づいた後は二度と戻ってこない。それでも、これらの彗星も離心率は1をわずかに超える程度で、太陽の重力の影響を十分に受けていることに変わりはない。 ところが、「ボリゾフ彗星」(C/2019Q4のちに2I/Borisov)と名付けられたこの彗星の離心率は3以上。双曲線軌道には違いないのだが、その漸近線は140°という大きな角度で交わる。これは、漸近線の方向からやって来た彗星が、太陽のあたりでその重力の影響を受けて約40°だけ方向を変えて、再びもう一つの漸近線の方向へ飛び去って行くというようイメージだ。もはやこの軌道は、太陽の重力の影響を受けているとは言えない。たまたま、どこからか太陽の方向にやって来た天体が、太陽に近づいてちょっと進行方向を変えたというようなものだろう。 天文ガイド(2019年12月号)に掲載されている中野主一氏の記事によれば、過去の漸近線の方向はペルセウス座とカシオペア座の境界付近へのび、未来の漸近線の方向はぼうえんきょう座の方向へとのびているという。ペルセウス座とカシオペア座の境界付近からやって来たボリゾフ彗星は、太陽をかすめるように通り、その巨大な重力を振り切って、ぼうえんきょう座の方向へ飛び去って行くというわけだ。まさしく、太陽系の外からやってきた彗星なのである。 この彗星に重なるイメージは白色彗星帝国≠セ。荘厳なパイプオルガンの旋律とともに、宇宙の彼方からやって来る白色彗星帝国・ガトランティスは1978年の「さらば宇宙戦艦ヤマト」に登場する敵役として忘れられない存在である。当時、太陽系外から彗星がやって来るという設定に、ちょっと引っ掛かるものがあったのだけれど、ついに現実が追いついてきたような感慨がある。 人類が初めて見つけた太陽系の外からやってくる彗星。もしかしたら、ガトランティス人のような異星人がいるかもしれない!? これは是が非でも見たいものだ…。 しかし…。予報として出されている予想光度は最高に明るくなっても15等級をわずかに切る程度でしかない。15等級という明るさは、公共の天文台の望遠鏡を使ったとしても、肉眼で感じることは難しいだろう。これはいくら何でも無理というものだ。 せめて、その存在を自身で確認したい。それには、彗星のあるべき位置を撮影してみるしかない。過去、15等級の恒星が撮影できていることは確認できているから、もしかしたらその姿を映しとめることができるかもしれない。しかし、点光源の恒星の15等級と淡く広がった天体の15等級はずいぶんと違う。そして、15等級の恒星が写っていたのを確認したのは、透明度の良い暗夜の天頂付近を撮影したときのことである。はたして、その存在を捉えることはできるのだろうか。 ボリゾフ彗星が最も地球に接近するのは12月29日と計算されている。このときの予想光度は14.9等だが、彗星は南の地平線に近づいて、条件はあまり良くない。低空だと街の光に邪魔されるのに加えて、彗星の微かな光が地球の大気圏を長い距離通過することで、地上に届く光はずっと少なくなってしまう。淡い光を捉えるのならば、高度は高いほど良いのである。 太陽に最も接近するのは12月8日ころ。地球から最も近いというわけではないが、太陽に近づいたときには彗星の活動も活発になり、明るさも増す。コップ座あたりにあって、高度はそれほど高くはならないが、撮影できる可能性があるとすれば、この前後だろう。 10月に入ると、WEB上にはわずかながらアマチュアの撮影したボリゾフ彗星の画像が見られるようになってきた。この頃の等級は16等級ほど。まだ、自分の望遠鏡ではこの明るさは写らない。 最初のトライは11月8日。ボリゾフ彗星はしし座の南側のろくぶんぎ座にある。予想光度は15.4等級。明るさはこれからもっと増すはずだが、薄明前の高度はどんどん低くなっていくので、条件はなんともいえない。加えて、月の存在も考えなければならない。月明かりがあったら、とても15等級の彗星なんて捉えられるはずがない。 …この日の失敗は高度の見積もりだった。星座早見盤で見れば、彗星のある位置は薄明時にはかなり高い位置になるはずだったので、スライディングルーフの望遠鏡の設置してある小屋から撮影できるはず…、と判断したのが間違いだった。予想以上の上に伸びた雑木林の枝が、その場所を隠し続けて、待っている間に、気が付けば薄明が始まっていたのである。薄明の始まった星空から星が消えていくのは速い。その場所が枝から出てきたとき、もはや15等級の星が写るような空ではなくなっていた。 2回目のトライは2日後の11月10日。月齢13の大きな月があるので、これが地平線に沈んでから薄明までのわずかな時間が勝負だ。前回の反省から場所を変え、庭先に望遠鏡をセッティングして待った。 …しかし、結果はあまり変わることはなかった。彗星はさらに南へ下がり、彗星のあるべき位置が撮影できるころには、やはりなんとなく本当の暗い空ではなくなっていた。10等級よりも明るい彗星なら写ったかもしれないが、15等級はまったく期待できるような空ではなかった。寒さだけが身にしみるような夜明けである。 11月10日のトライの後、しばらくの間は夜明けの空に月が残ることになってしまうのでチャンスはない。この間も彗星の位置はどんどんと南へ下がり、太陽へと近づいている。 3度目は彗星が太陽に最も近づくという3日前の12月5日の午前3時すぎ、今度は、もっと東の空が開けている榛名山麓の南西に伸びた小さな尾根筋へ望遠鏡を持って出かけた。そこは見晴らしが良いのと人工的な照明が無いので、星を見るにはうってつけの場所なのだが、集落のお墓でもあるので、慣れるまではなんとも落ち着かない場所でもある。 見晴らしが良い分、風も吹き抜けていくが、12月にしてはそれほど寒くない。…ということは、抜けるような空ではないということなのかもしれないが、見る限りは澄んだ夜空で、冬の豪華な星座たちが西の空へ傾きながら瞬いていた。 この日のボリゾフ彗星の位置はコップ座のδ星のすこし南のあたりで、予想等級は14.9等。 望遠鏡を組み立て終わったころ、コップ座はすでにしし座の下の方に姿を見せていた。もちろんδ星も肉眼で確認できる。だが、悪いことにそのあたりが夜空の中で一番明るい。高崎か渋川の街の明かりが上空を照らしているのだ。地平線から上空へ向かうにつれて夜空は黒さを深めている。彗星の位置が高度を増して来れば撮影の条件は良くなるが、そのうちに薄明が始まり、空全体が黒さを失っていくことだろう。 彗星のあるべき位置へ望遠鏡を向け、撮影を開始する。露出は120秒…。だが、これでは露出オーバーだった。やはり、このあたりの空は明るすぎる。天頂付近ならば2分の露出で大丈夫なのに。あらためて90秒に設定して、数コマを撮影してみる。そして、念のため写野をややずらせて同様に数カット。 撮影した現場で、モニターを確認してみるが、それらしいものは何も写っていない。10等級くらいの彗星ならば、大体はモニターで確認できるのだが、さすがに15等級の存在はわからなかった。あとは、画像処理を加えてパソコン上で見つけるしかない。 撮影してきた画像をパソコンで見てみる。コップ座δ星の南側にそれらしいものは見つからない。いや、それらしいものはたくさんあるのだが、どれも違うというのが正確だろうか。少なくとも、期待したような彗星らしい拡散した姿は見当たらない。 撮影し、画像処理を加えて1週間。 その画像の中に彗星の姿を確認するべく、時間があればその画像を眺め、WEB上に撮影したころのボリゾフ彗星の画像がないか探し、見つかればその位置を自らの撮影した画像の上で確認していった。こうすれば、ボリゾフ彗星の移動していった経路が判るはずだ。そして…、ついに、ほぼ同じ頃に撮影されたボリゾフ彗星の画像を見つけた。同じころ、同じ天体に向けてシャッターを切っていた人がいたのだ。彗星の動きに合わせて重ね合わせられたその画像にははっきりと彗星の姿が写っている。 そして、自ら撮影した画像のその位置を見てみると、確かに、何やらモヤモヤしたようにも見えるシミのようなものが確認できる。意識して見なければ何も見えないが、そこに何かあるといえば確かにある…、その程度の光のシミだ。これが、ボリゾフ彗星か。
何日もかけて探し出したその姿は、本当に在るのか無いのかわからないようなおぼろげなものでしかなかった。撮った本人以外、それを見ても何の感慨も無いに違いない。けれど、人類が初めて見つけた太陽系の遥か彼方からやって来た彗星を確認できたという究極の自己満足は、しばらくの間、脳内にドーパミンのような脳内麻薬をジワジワとにじみ出させてくれそうである。 |
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