2019年11月
アマチャヅル



アマチャヅル Gynostemma pentaphyllum
2019.11.9.  榛名山麓


 すっかり秋の気配が進んだ林の中にアマチャヅルを見つけた。黒や黒に近い濃い深緑色の小さな実がついたツルはその役割をほぼ終え、もう枯れるのを待つばかりという感じである。だが、そこにはヤブガラシの葉に少し似た特徴的な葉がまだ緑色を保った状態でついていた。
 ヤブガラシが日光のよくあたる開けた場所に葉を広げているのに対し、アマチャヅルはもう少し光の弱い、林の陰のような場所に落ち着いているようだ。葉が似ているように見えるとはいえ、よく見ればその見分けは難しいことはない。ヤブガラシが明るい光の下で図太く生きているのとは対照的に、アマチャヅルの方は薄い柔らかな葉で、繊細さを感じさせてくれる。
 アマチャヅルといえば、かつて「アマチャヅル茶」というのがブームになったことが記憶の片隅にある。
 健康食品の流行り廃りは、波のように何度も物を変えながらくりかえしてきた。
 平成、昭和の歴史を振り返ってみると、それは1970年ころにあったビタミンCのブーム≠ノまで遡ることができるようだ。今のように健康食品と医薬品の区別がはきっきりされていなかったこの頃、得体のしれない健康食品≠ヘいろいろあったのかもしれない。
 1971年には「無承認無許可医薬品の指導取り締まりについて」(通称・46通知)という、医薬品とそうでないのを規定した通達が出され、健康食品≠ノ規制がかかることになる。このころが一つのピークだったのだろう。
 今となっては謎の健康食品としか思えない「紅茶キノコ」は1974年のこととある。飲んだことも、現物を見たこともないが、その名前だけは記憶にしっかりと残っている。しかし、その正体はキノコではなく、セルロース・ゲルと呼ばれる酢酸菌の仲間が作るコロニーだったというから、驚きだ。さらにいえば、ずっと後になって登場する「ナタ・デ・ココ」も同じようなものだというからさらに驚きである。
 「アマチャヅル茶」がブレイクするのはこの少し後のこと。
 1976年、星薬科大学の永井正博助教授(当時)がアマチャヅルから高麗人参の成分の一つを抽出したと発表。さらに、翌年から1983年にかけて、徳島文理大学の竹本常松教授(当時)が次々とアマチャヅルから高麗人参と同じようなたくさんの成分を見つけた、と発表を重ねていった。いずれもサポニンと総称される、ある種の糖類と原子団が結合した構造の物質である。
 高麗人参といえば、江戸時代にはすでに日本に入っていた漢方の高価な薬草で、時代劇では夢のような万能薬のように扱われている印象がある。江戸時代の庶民には手の届かない薬という位置づけである。
 その高価な薬草と同じような成分が、そのあたりに絡みついているツル草に含まれている、と発表されれば注目されるのは必然だろう。
 強壮、利尿効果、肝臓障害、ストレス性疾患、リュウマチ、低血圧、高血圧、動脈硬化、咳止め、胃痛、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、便秘、下痢、神経痛、気管支炎、偏頭痛、喘息、糖尿病、肩こり…。ウソかホントか、効果があるとされる症状を挙げていくときりがない。もちろん、薬事法の関係で、現在販売されているアマチャヅル茶にはこんな具体的なことは表示されていないだろうけれど。
 かくして、「アマチャヅル茶」はブーム≠ノ乗った。
 しかし、こんな万能薬のような植物があるのだろうか。そして、夢のような薬効の症例を科学的に実証した例はあるのだろうか。
 今もアマチャヅルは薬事法で示された「医薬品として使用される成分本質」には入っていない。「薬効がある」という科学的な実証はされていないが、「効果がない」という結論も出てはいないようだ。科学的な検証がされていないから薬の材料としては認められていないということなのだろう。
 アマチャヅルのブーム≠ェいつ終わったのか、定かではない。それが長く続いたという記憶もないから、そう長いものではなかったのだろう。それでも、今なお細々ではあるけれど、アマチャヅル茶というのは健康食品の一つとして残っている。すっかりその存在は消え、名前だけが残された紅茶キノコとは根本的に何かが違うのかもしれない。
 いつの日か、もういちど林のアマチャヅルに脚光があたるときがやってくるだろうか。






TOPへ戻る

扉へ戻る