2019年10月
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いつもの朝の散歩道で見慣れないものを見つけた。最初に見つけたのは、一緒に歩いていたほたる(雑種メス犬・推定5才)だ。得意の嗅覚で異臭を察知して、そこへクンクンと鼻を鳴らしながらリードを引っ張って行った。 ほたるが見つけた異臭の正体はイカだった。細い長い枝の先にかぎ型に曲げられた針金がぶら下げられ、そこに生のイカが刺さっていたのである。イカがぶら下がった枝が突き刺さっていれば、犬にとってはさぞや刺激的な臭いだったことだろう。 林の縁に生イカが風に吹かれてプラプラしている。それはなんとも不思議な、そして滑稽な光景だった。イカで何を釣ろうとしているのだろうか…?それとも、イノシシを罠に呼び込むための寄せ餌か?あるいは何かのおまじない?明らかに人間が何らかの意図をもってそこにイカをぶら下げていることは確かだった。 …その謎はその日のうちに解けた。 連れ合いの話によれば、正確にはうちに栗拾いにやって来た人から連れ合いが聞いたという話によれば、これは、ジバチをおびき寄せるための餌だったというのだ。知り合いがクリを拾っているとき、道路では例のイカをぶら下げたものを仕掛けている人が出現し、興味津々でそれを見に行ったところでその真相を聞き出したという。見ている前でハチがやってきて、彼らは目印を付けたハチを追いかけて行った… とか。 ジバチ採りは「スガレ追い」あるいは「スガリ追い」などとも呼ばれている。「スガレ」や「スガリ」はジバチの別名で、他にもたくさんの呼び名があるようだ。 目印を付けたジバチをどんどんと追いかけて行って、その巣を見つけ出して、掘り出して幼虫を頂こうというのだ。もちろん食べるために、である。 ジバチ採りの話は何度か聞いたことがあるが、まさか家の目の前でそんなことが行われているとは思いもしなかった。あのぶら下げられたイカの不思議な滑稽さは、昔からののどかな山村風景につながっていたのだ。 さらに、客人の観察によれば、このジバチ採りの人達は諏訪の方からはるばるやってきたようだ、という。クルマのナンバーが「諏訪」だったというのだ。長野県の諏訪や伊那は昆虫食で有名である。ハチの子以外でも、ザザムシ(カワゲラなどの水生昆虫の幼虫の総称)、イナゴ、カミキリムシの幼虫、カイコのサナギなど、諏訪・伊那地方での昆虫食のレパートリーは多岐にわたる。 かつて住んでいた栃木県ではチチタケというキノコがマツタケのように珍重されて、季節になると、栃木県内にとどまらず、隣の福島県など遠くまでチチタケ採りに出かけていく人がたくさんいた。諏訪や伊那では、これと同じように、遠くまでジバチを採りに行くのだろう。栃木ではチチタケがソウルフード≠フ一つだったのと同じように、諏訪・伊那の人達にとってはジバチがそんな存在なのかもしれない。 ところで、その「ジバチ」だが、漢字で書けば「地蜂」である。土の中に巣を作るのでそんな名前が付けられたのだろう。一般的には、スズメバチの一種のクロスズメバチを指すのだが、よく似たものでシダクロスズメバチというのもいる。見分けるポイントは顔面の様子だが、クロスズメバチが種として記載されたのが1858年という大昔なのに対して、シダクロスズメバチは1980年に記載されている。それまで、クロスズメバチもシダクロスズメバチも同じ種類とされていたのが、昭和も終わりころになって顔つきの違うものをシダクロスズメバチという新種として分けたのだ。 しかし、スガレ追いをする人にとってはどちらも同じようなもので、多分見分けてはいないだろし、見分ける必要もない。どちらもおいしいジバチである。
翌日、家から少し離れた場所に吊るされていたイカは、前日と同じようにそこにあった。スガレ追いが終わったら回収していくのかと思ったのだけれど、忘れていってしまったのか。近づいて見ると、クロスズメバチ(シダクロスズメバチ?)が2頭、イカに噛り付いている。ハエなども一緒にいそうなものなのだが、イカにいたのはそれだけだった。こちらが近づいても目の前の御馳走から離れる様子はない。この執着具合ならば、目印をつけるにしても、持たせるにしても、そう難しいことはではないのかもしれない。 さらにその翌日。置かれてから3日も経つと、生だったはずのイカからは水分が抜けて、少し透明感のあったその身は白くなってきていた。それでも、そこにはあいかわらずクロスズメバチの姿があった。不思議なことにやはりクロスズメバチしかいない。このあたりでバーベキューなどしようものならどこからともなくハエが湧いて出てくるようなのに、まったく不思議なものだ。 それにしても、スガレ追いの後で、こうしてイカにやって来るということは、彼らの巣は無事だったということなのだろうか。残されたイカを見るたびに、はるばる長野から遠征してきた人達の収獲が妙に気になってしかたない。 |
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