2018年9月
アカソ



クサコアカソ Boehmeria tricuspis var. unicuspis
2018.8.29. 榛名山麓


  「アカソってわかる?」
 それは連れ合いのそんな言葉から始まった。
 一瞬なんのことかわからなかったが、それが植物のアカソを指していることに思い当たるのに時間はかからなかった。すぐに庭の林の縁にある茎の赤いイラクサのような葉をつけた植物が頭に浮かんだ。最近そこでフクラスズメの大きな幼虫を見たばかりだったのだ。
 あそこにあるのが− と、話すと連れ合いは妙に納得したようで、やはりね…というような顔をしている。
 聞けば、隣の中之条町のWさんのところで、軽トラックいっぱいに採ってきたアカソをドラム缶の中で煮て、その繊維を採るのを見てきたのだという。その繊維を撚り合わせて、カゴやらカバンやらを編むのだとか。
 連れ合いは、そんな植物の蔓や竹で編んだ工芸品にめっぽう弱い。知らない街を歩いていても、そんなものが置かれている店を見つければ、昆虫ゼリーに引き寄せられるカブトムシのようにフラフラと寄っていき、ひとしきり見ていかないと気が済まない。あるいは、そうして何か見つけると、それを使う自分を想像して、いつの間にか財布の中身と相談しているのだ。そうやって買った物たちが、居間のタンスの上にいくつも並べられている。「この中にお弁当を入れて、ピクニックへ持って行くといいね…」と言って買ったバスケットも、長い間出番を待ったまま待機中である。
 それだけに飽き足らず、ついに自分でもカゴを編みだした。もともと仕事がら土瓶の弦を編んだりはしていたのだが、最近では沼田市のかご編み教室に通い、作っていたりした。
 そんなわけで、たまたま?目撃したアカソを原料とする編み物の材料作りに興味津々だったのだろう。
 アカソはイラクサの仲間である。イラクサには葉や茎にトゲがあるが、アカソにはない。同じように編むのに使われる植物としてカラムシが有名だが、こちらもイラクサ科の植物である。縄文の昔から、このイラクサの仲間たちは植物性の繊維として利用されてきたようだ。
 あらためて林の縁に生えているアカソと思っていた植物を確認するために庭へ出てみた。
 ちょうど花が咲いている。根元から立ち上がっている赤い茎はアカソと同じ… だが、葉は特徴的なアカソの形ではなかった。
 アカソに似ているものに、コアカソやクサコアカソというのがある。コアカソは木本で、葉が小さく、鋸歯も少ない。クサコアカソはアカソの変種で、葉の形、特に先端の形が異なっている。
 …いろいろ比較してみると、これはクサコアカソのようだ。もちろんアカソの変種程度の違いだから、繊維としての利用はアカソと同様だろう。


雌花

雄花
 雌雄同株のクサコアカソは上部に雌花、下部に雄花が付いている 
        
 「アカソを採ってきて」
 どうやら自分もやってみたいらしい。一度火がついてしまったら消すのは至難の業だ。
 幸い、アカソ≠ヘどこにでもありそうな植物である。道路沿いの林の縁でもあちこちで目にするし、人が通らない山の作業道や山の斜面にも群生しているのを見かける。草刈りで刈り倒すこともよくあるから、野生植物を採集するという罪悪感もない。むしろ、夏草の茂った道路をきれいにするくらいの感覚で採集することができる。
 あらかた庭のクサコアカソを採ると、前の道路沿いでも採ってきた。だが、それだけでは足りなかったようで、連れ合いは本業の陶器の素焼きの準備の合間を利用してさらに周囲のアカソ≠集めてきたらしい。
 そうして、私が出かけた後、一人で煮はじめたようだ。ドラム缶はないので、草木染で使うホーローでできた大きな容器を使って、焚火をしながらグツグツ…と。その後で、今度はその茎の表面を剥く。使うのはこのはがした茎の繊維なのだそうだ。後で聞けば、夕方暗くなるまでこんなことをしていたとか。
 草刈り、焚火、皮むき… まるで縄文の時代の時間のようだ。縄文人の末裔を自認する連れ合いは全く苦にならないようで、作陶の仕事がなければいつまでもやっていられる、と豪語している。
 そんなふうにして出来上がった繊維は、集めてきたアカソ≠フ量に比べて、驚くほどわずかでしかなかった。これっぽっちで、何か作れ、と言われても鳥の巣くらいしかできそうにない。
 こうして、必然的に家の近くから次第に遠いところへとアカソ♀りが拡大していくことになった。どこにでもある、と思っていたアカソ≠セが、実際にはどこにでもある、というわけでもなかった。軽トラックで農道をゆっくりと流しながら走っていくと点々とあるのだが、こんなときに限って、市や町が行ったらしい夏の草刈りで、意外なほど道はきれいになっているのだ。
 採集に出かけること3回。限られた時間の中で採ってくるので、軽トラックの荷台に一杯というわけにはいかなかったが、それでも相当な量の草刈りをしてきたような気がする。
 それで判ったことがある。これまでアカソと思っていたのは、そのほとんどはクサコアカソだった。一部には根元が木質化したコアカソもあったが、見て回った場所では圧倒的にクサコアカソが優占していて、アカソは一株も見当たらなかった。榛名山の植物の調査報告等を見ると、アカソもあることになっているので、きっとどこかにあるのだろうが、たまたまだったのか、棲み分けをしているのか、とにかくこのあたりでは見かけなかったのである。
 たっぷり縄文時代的な時間をかけて取り出したアカソ≠フ繊維は、結局、エリンギが入っていた60cm×28cm×30cmの小さなダンボールの箱にちょうど一杯になるほどできあがった。その量が多いのか少ないのかはよくわからない。そして、これがどんな形に変身するのか想像もつかないが、とりあえず素材づくりは終了のようだ。
 しかし、連れ合いの気の長い話は、たぶん、これからまだまだ続く。



2020年7月5日追記

 2020年6月、クサコアカソの繊維を使ったかごが完成しました。





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