2018年12月
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茂みの向こうから顔を出した子供 2018.12.22. |
子供のイノシシが姿を現したのは12月の上旬のことだった。厚く落葉の敷きつめられた雑木林の林床を、ガサガサという大きな音を立てながら、そんな音をまったく気にする様子もなく、彼(彼女?)はやって来た。それも昼間、太陽が空の高い位置にあるときのことである。 昼間に限ったことではないが、イノシシとの遭遇は緊張感が走る。タヌキやキツネならば間違いなく向こうから逃げていくから、こちらの身の危険を感じることなく、運が良ければ良い写真が撮れるかも…という期待が生まれるのだが、イノシシの場合、何かの加減で逆襲に転じるかもしれない。基本的には逃げていくのだが、気が変わって反撃に転じたら、相当に危険な事態が予想される。 やって来た子イノシシはこちらの存在を察知たらしく、歩みを止め、まっすぐこちらを見ていた。イノシシ特有のあのブタ鼻が妙に目立って見える。ウチの飼いイヌに比べて一回り大きいくらいの大きさだから体重は10kg程度というところだろうか。この大きさなら、戦っても勝てるだろう。それでもイノシシの子供特有のあのウリ模様は見えない。しばらくの間、そうやって見合っていたが、彼はくるりと向きを変えると、一気に斜面を小走りで登って行き、向こうに消えていった。 それがファーストコンタクトだった。それ以降、そのイノシシは夜昼関係なく、付近に出没するようになったのである。最初の頃、こちらは少し身構えて、追い払おうと何度も試みた。追いかけたり、何かを投げつけてみたこともあった。そのたび、彼は足早に雑木林を走り去っていったものだ。 それでも、けたたましく犬が鳴くとき外に出てみると、かなりの確率でイノシシは近くにいて、雑木林の落葉をかき鳴らしながら何喰わぬ顔で歩いていくのだった。そうやって、わずかの間に家の周囲の落葉は彼の餌探しのためにほとんどかき回され、同じように道路沿いの落葉も、もちろん雑木林の林床もすっかりとひっくり返されることとなった。 そして、人との距離がだんだんと詰まって来た。 あるときは、イヌも気がつかないうちに庭に侵入していて、日の当たる枯草の上ですっかりと眠りこけているときもあった。草刈機を使って雑木林の下草を刈っているときに、ふと違和感を感じて見ると、近くにいて、こっちをじっと見ているようなときもあった。連れ合いが窯場で薪割機を使って赤松を割っているときにも、割った薪を積んでいるときにも、いつの間にか近くにいて見ていることがあったという。あるいは、夜、星を見るために望遠鏡のある小屋へ入ろうとすると、近くにいてブスッ≠ニか鼻を鳴らしながら存在を示したりして、こちらを驚かせることもあった。人懐こい飼い猫のような錯覚さえ覚える。こうなると、野良猫ならぬ野良イノシシである。 彼のお気に入りの場所は、敷地の入口にある「野の窯」の看板のあたりだった。朝日があたるそこは、他の場所に比べて暖かく、風もほとんどなく、穏やかな場所だったのだ。今日は見かけないな…、と思ってイヌを連れて散歩に出かけようとすると、よくそこで日向ぼっこをするようにじっと立っていたものだ。 こうなってくると、本気で追い払う気持ちも無くなってくる。そうかといって、このままここに居着いてしまって、巨大な大人のイノシシになったら大変なことになるのもわかっている。地域の人達にとって、畑を荒らすイノシシは間違いなく厄介者である。 歓迎されない存在でしかないイノシシ。しかし、大して逃げる様子もなく、まるで人にまとわりつくかのような振る舞いは、イノシシとして生まれてしまった宿命を一層切なく感じさせる。 いったいどうしたらよいものか…? しかし、日が経つにつれて、追われたときの逃げ方がだんだんと短い距離になってきたのが感じ取れた。そして、ついには追い払おうとしても、ほとんど逃げないようにまでなってしまった。触る気なら、背中にタッチすることも難しいことではなかっただろう。吠えて向かってこうとするイヌが近づいても、まるで無視するかのような態度である。 実は、昼夜問わず現れる彼を見たとき、こうなることは薄々予期していた。 ファーストコンタクトの時から気づいていたことだが、皮膚の一部が剥げていたのだ。目の周りも皮膚がただれたように見え、目が明いていないようにも見えていた。遠目ではわからないが、近くで見ると痛々しい姿をしていたのだ。疥癬である。 疥癬はヒゼンダニというダニが原因となる動物の皮膚病で、イノシシに限ったわけではなく、タヌキやキツネ等でも見かけることがよくある。以前にも、毛の抜けたタヌキが昼間からウロウロしていたことがあった。疥癬にかかってしまった動物は、やがてだんだんと力が衰え、昼間もフラフラと人の前に姿を現すようになってくる。人から逃げるとか、隠れるとか、そんなことも考えられなくなってくるのかもしれない。タフなイノシシとはいえ、冬の寒いときに体毛が無くなってしまったら、厳しい季節を乗り切ることは難しいだろう。初めのころから、どうしたものかね≠ニ言いながらも、年は越せないかもしれないね≠ネどという会話が交わされていたものだ。
もうすぐ大晦日という日の夕刻。 イノシシは登り窯の脇に現れた。その日何度目かの出現である。ゆっくりと近づいていくと、彼は仕方なさそうにヨタヨタと望遠鏡の小屋の方へ上がっていった。望遠鏡の小屋の下には、いつの間にか彼が集めてきたらしい落葉が分厚く敷きつめられていて、しばらくの間ねぐらとしてそこを使っていた形跡があった。だが、彼はそこへ入るのではなく、そのままわずかな傾斜の林をゆっくりと歩いて登っていって、夕闇の始まりかけた雑木林に消えていった。おりしも、年末の寒波がやってくると伝えられていた日のことである。 それが最後だった。 寒波がやって来た日から、消息は途絶えた。イヌの散歩に出かけるたびに、入り口の看板のあたりで日向ぼっこでもしているのではないかと、見回すけれど、もちろんその姿は見当たらなかった。望遠鏡の小屋の下のねぐらで落葉に埋もれているのではないかと覗いては見るが、やはり戻ってはこない。 生きているものの宿命とはいえ、何ともやりきれない時間だけが、今はただ流れている。 |
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