2018年12月
シロダモ




シロダモ Neolitsea sericea  の実  榛名山南麓


 榛名山南麓にある「はるなくらぶち聖苑」の近くで、青々とした葉に赤い実がついている樹木を見つけた。この季節、標高700mの自宅周辺のクリ、コナラ、クヌギ、カエデなどの雑木林の木々は落葉し、緑色に見える樹木はモミやスギやヒノキくらいしかないのだが、今は高崎市となった旧榛名町の中室田町あたりではこんな瑞々しい緑色の樹木が林を作っているのだ。
 何という木だろう。普段見慣れない樹木はすぐにその正体がわからない。葉を見てみると、クスノキのような葉柄から3つに分かれる葉脈が見えた。縁には鋸歯がなく、丸くなっている。全縁の葉だ。クスノキって、赤い実を付けるんだっけ…?いやいや、クスノキの実は黒っぽかったはずだ。結局、その場ではわからず、帰ってから図鑑を開いて見当をつけると、シロダモにたどり着いた。シロダモもクスノキ科の樹木である。
 それにしても、ここは普段生活している標高700mの植生とずいぶんと違う。冬になっても青々とした葉がついている木が作る林は、照葉樹林である。枝ばかりとなった木々に慣れてしまった目には新鮮な風景だ。
 寒さが厳しい場所の広葉樹は冬をのり切るために葉を落とすが、それよりも少し暖かい場所に生育する広葉樹は葉を落とさず、その代わりに葉は肉厚の頑丈なものになって、その表面を保護するためにクチクラ(=キューティクル)とよばれる保護膜が作られる。この保護膜が蝋物質でできているので、こんな植物の葉はテカテカと光沢があるように見えるのである。「照葉樹」と呼ばれる所以だ。

 生態学者の吉良竜夫氏が提唱した「暖かさの指数」というものがある。
 一般的に、植物が育つには月の平均気温が5℃以上は必要であると考えられている。そこで、月平均気温が5℃以上になる各月について、その平均気温から5℃を引いて、その値を足し合わせた合計値を「暖かさの指数」と決めた。この暖かさの指数が、その土地の人の手の加わらないときに成り立つ植生を示してくれるというのだ。本来、植生を決める大きな要素は気温と降水量になるのだろうが、日本の場合、どこでも降水量は十分に足りているので、効いてくるのは気温ということになる。
 

暖かさの指数 植  生
240以上 熱帯多雨林
240〜180 亜熱帯多雨林
180〜85 照葉樹林
85〜45 夏緑樹林
45〜15 針葉樹林

 日本気象協会の2017年のデータを使って、暖かさの指数を計算してみた。
 中室田町に一番近い場所に置かれているアメダスは、高崎市の上里見にある。標高は183m。このデータを計算してみると、暖かさの指数は109.9だった。これは人類がいなくなれば、そのうちに上里見町は照葉樹林の林が蘇えるということを示している。上里見のアメダスが置かれている標高は183mなので、シロダモの生えている榛名山南麓の中室田よりもずっと低い。シロダモの生えていたあたりの標高は400mくらいだ。
 アメダスのある同じくらいの標高の場所を計算してみると、下仁田町西野牧(標高375m)の暖かさの指数は97.1、中之条町(標高354m)は94.4と計算できた。確かにこれは照葉樹林を示す数字だ。
 アメダスのない中室田はどれくらいの値になるのだろうか。国際民間航空機関(ICAO)が定めた国際標準大気では、海面から上空11kmくらいまでは1kmにつき6.49℃の割合で下がっていくという。中室田に一番近い上里見がこの割合で標高400mまで上がったとしたら、暖かさの指数は96.7。やはり照葉樹林に落ち着くことになる。同じ計算を標高700mに当てはめてみると、82.1。これは夏緑樹林、つまり落葉樹林である。「暖かさの指数」は現実の状況とよく合致しているようだ。
 標高が高くなれば照葉樹林は成立しない。シロダモの生えていた榛名山南麓・中室田のあたりは照葉樹が林を作れる限界あたりになるのだろう。
 林野庁の2012年の「森林資源現状調査」によれば、日本の面積の67%くらいが森林とされている。ただし、このうち41%は人工林である。残り26%に落葉樹、照葉樹、針葉樹等が含まれることになる。
 環境省はホームページ上に「現存植生図」というものを公開している。1989年から1992年にかけて全国的に行われた「第4回自然環境保全基礎調査」に基づいて、日本地図の上に調査時の植生を約1km×1kmのメッシュで表したものである。この図の中で照葉樹林を見つけることは非常に困難だ。1km2の面積で優先的に照葉樹の林が広がっている場所など無いに等しい。かなり昔のデータだが、日本の社会の様子を見てみれば、その後、照葉樹林が増えたとは考えにくい。やはり日本の照葉樹林はもはやほとんど残っていないのだろう。
 照葉樹が生えるのは、暖かい場所。それは人間の住みやすい場所に他ならない。だが、街の中に大きな木を見ることは少ない。まして、それがまとまって森を作っていることなど奇跡に近い。海岸線から平野部にかけて、暖かく平坦な土地は人間が占領してしまって、樹木は倒され、地面はコンクリートやアスファルトで固められてしまった。平坦な場所でかろうじて生存が許されたのは古くからあった神社や寺の森くらいだろう。あとは傾斜地で、人間が使い道に困ったような土地に細々と生きながらえているにすぎない。
 榛名山南麓で見つけた照葉樹も、コナラやクリなどの広葉樹、あるいは植えられたスギやヒノキに混じって生えているくらいだ。1km2のメッシュはとても照葉樹林にはならない。
 思いがけず見つけたシロダモが気づかせてくれたのは、どこにでもある、あるいは、どこかにあると思っていた常緑の林が、いつの間にか、どこにもない幻の林になろうとしているという現実だった。






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