2017年6月
ヤマナメクジ



ヤマグワの穴の中に潜むヤマナメクジ Incilaria fruhstorferi


 山麓にはヤマナメクジという巨大なナメクジがいる。
 体長10cmは当たり前。大きいのになると15cmを超えるのも珍しくない。そして、長いだけではなく、その体型は“スマート”というよりは、肥満気味のイモムシとでも表現したいような形である。体色は茶色とこげ茶の混ざった迷彩。平野部にいる灰色のナメクジ(Meghimatium bilineatum)を見慣れていると、その大きさや色彩に驚いてしまうが、山間部でナメクジといえばやはりこのヤマナメクジである。
 5月の雨の日、ヤマグワの幹を這っているヤマナメクジを見つけた。体長10cm程度の“並?”サイズ。特に珍しいというわけではないが、明るい時間帯に物陰から出て、その姿を曝しているのは珍しいといえるかもしれない。雨の日ならではのことだろう。
 雨上がり。明るい日光が差し込んでくると、雑木林の木々からは湯気のような蒸気が立ち上り、樹幹の水分は急速に水蒸気へと変わっていく。
 あのナメクジはどうなっただろうか…?あの体で陽の光に当たっていたら、たちまちのうちに干からびてしまうだろう。
 どこかに逃げ込んだことだろう、と思いながらもヤマナメクジを見かけたあたりへ見に出かけてみた。すると、それほど探し回るまでもなく、すぐに所在は判った。這っていたヤマグワの幹に開いていた直径5〜6cmの穴の中に入り込んでいたのだ。深さ5cmほどの樹洞の一番奥で丸くなっている。ここならばそれほど陽も当たらず、体から水分が蒸発していくことも少ないだろう。ナメクジの小さな家のようである。
 それから気が付くたびに穴をのぞき込んでは様子を見るようになった。安否確認である。そして、いつのぞいてもその小さな家にはヤマナメクジの姿があった。迂闊に外へ出れば致命的な環境に置かれてしまうことが判っているのだろう。
 

ヤマナメクジの潜んでいたヤマグワの穴
  それから数日後。再び雨が降った。ヤマナメクジ待望の雨である。
 さて、どうなったことだろうと、さっそくカサをさしてナメクジの家を訪ねてみた。予想通り、やはり留守である。お出かけのようだ。ちょっとだけ周辺を探してみたけれど、姿は見あたらない。遠くまで食事に行ってしまったのだろうか。
 …雨が降り続くことはあり得ない。いつかは晴れ間がやってくる。だが、ナメクジは“家”には帰ってこなかった。いかにもナメクジの家のようだったが、所詮は一時待避のシェルターだったのか。

 雨の後、数日の間、もしや帰っているかも…、と思って穴をのぞき込んだが、やはり帰ってはこなかった。ヤマナメクジにとって、ヤマグワの穴はそれほど理想的な場所ではなかったのだろう。倒木の下とか、もっと湿気が保証される場所はいくらでもある。いくら光が届きにくいとはいえ、雨がずっと降らなければ、そこは乾燥してしまうに違いない。


 雨が降ったらお出かけ、雨がやんだらヤマグワの樹洞の家へ戻ってくる…という人間感覚の想像は、浅はかな考えでしかなかったようだ。
 雨と雨の合間の一週間ほどの間、ヤマグワの小さな樹洞で過ごしたヤマナメクジは、雨と共に姿を消した。そして、季節は今年もジメジメして不快な季節がやって来た。だが、そう感じるのはヒトの感覚であって、ヤマナメクジにとっては最も好ましい活動的な季節であるのかもしれない。また、そのうちあのヤマナメクジに対面することもあることだろう。





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