2017年3月
ゾウリムシ




分裂中のゾウリムシの一種



 榛名山から烏川へ流れ下る長井川の上流部で採集した沢の水を顕微鏡で覗いてみた。
 正確にいえば水を見たわけではなく、沢の中にあった石の表面をブラシでこすって、そこに生息している微生物たちを集めて見たのだが。
 日陰にまだわずかに雪の残る山麓の沢は、まだ春とは言い難い様相で、生物の気配はあまり感じられない。だが、顕微鏡下に広がったミクロの世界にはたくさんの動くものたちの姿があった。
 全身に繊毛をまとい、スライドグラスとカバーグラスの間にはさまれたわずかな水の中を動いているゾウリムシの仲間。そのゾウリムシの近くを粒としか見えない正体不明の微生物が動いていく。その比較からして、ゾウリムシが巨大な生物に見える。同じ単細胞なのにゴジラとヒトとの違いくらいありそうだ。
 鏡下でスライドグラスを移動させていくと、ときには有機物には思えないような規則的な透明な物体にも出会う。ケイソウの殻だ。ケイソウの殻は二酸化ケイ素でできているため、水で封入したのでは、その屈折率がほとんど変わらないので細かな模様までは見ることができない。これをよく見るには少し準備が必要だ。水で封入した今回はさっと通り過ぎるしかない。
 正体不明の原生動物らしいのもときどき鏡下を横切っていく。いったいどんな分類の場所に納まる生物たちなのだろう。
  …そんなふうにして、プレパラートの中の小さな世界を眺めていると、それまでにない大きさの生き物が見つかった。巨大なゾウリムシのようだ。ゾウリムシというと、一番ポピュラーなのは生物の教科書にも載っていることもある
Paramecium caudatum だが、そんな姿とは少し違う。真ん中が少しくびれている特徴的な姿だ。
 ゾウリムシという原生動物は一種類だけではない。保育社の「日本淡水プランクトン図鑑」には2種類しか掲載されていないが、
Web上の「原生生物図鑑」(原生生物情報サーバ)によると27もの形態種に分かれるのだという。ゾウリムシといえど、種名まで特定するのは容易なことではなさそうだ。
 だが、この特徴的な形は、もしかしたら種名にまだたどり着けるかもしれない。そう思ってしばらくの間、眺め続けた。通常、ゾウリムシなどを観察する場合には、塩化ニッケルを少し加えて繊毛の動きを止めるとか、エタノールを加えて繊毛を抜くとかして、動けないような状態にするのだが、そんなことはもちろんしていないから、ゾウリムシを視野の中に入れておくこと自体がなかなか難しい。まして、高倍率で詳細を観察するなどということは至難の業だ。
 ところが、しばらくしてその動きが鈍ってきたように思えた。さすがに、このスライドグラスとカバーグラスの間に挟まれて、下からは明るい照明に照らされた極悪の環境では動く力も無くなるか…。
 ふと気がつくと、くびれが大きくなったような気がする。ゾウリムシの方向が変わったのか、それとも…?
 もしや、これは分裂
!?
 動きが鈍くなったのは弱ったからではなく、分裂のため!?
 …
 じっと見ているとその変化はなかなか判らないが、時間をおいて比べてみれば、明らかにくびれは大きくなっている。これはくびれがある大きなゾウリムシではなく、やはり分裂が始まったゾウリムシだったのだ!
 最初の発見から約50分。くびれはやがて細い糸のようになり、そして切れた。
 大きなゾウリムシだったそれは、見ている前でその半分の大きさの2つのゾウリムシに変わった。


最初に発見した状態
(倍率は左の画像2つとは異なる)

まん中のくびれがはっきりしてきた

かろうじてつながっている状態


 それにしても、考えようによっては、分裂というのは不思議なことだ。分かれたどちらにも同じ遺伝子が入っているから2つの個体はクローンである。
 もしゾウリムシに“心”があったとしたら、“心”も分裂して、どちらも自分と認識するのだろうか。そして、もともとの“心”はどうなるのか…?
 ゾウリムシに“心”は無いだろうから、そんな思考もナンセンスなのだろうが、つい考えたくもなる。いったい“心”とは何だ?多細胞生物のヒトにある“心”の正体についてその答えは現在の科学はまだとても出せそうにない。
 また、分裂を繰り返して、“自分”がどんどん増えていくと、半永久的に死なない“自分”がこの世に存在しそうな錯覚も起こる。自分の子供ではなく、自分自身が増えていくのだから“自分”のどれがが死んでも、別の“自分”が生き残って、また分裂して“自分”を作ることができるはずだ…。
 …と、思ったら、分裂だけで増えていくと、やがて老化して死んでしまうということがわかっているのだとか。何回分裂したら死ぬ、というのが種類によって決まっているというのである。“永遠の命”はそう簡単な話ではない。

 ところが、分裂ではなく、ゾウリムシは「接合」ということをすることがある。クローンではない遺伝子型の異なるゾウリムシが出会ったとき、2つのゾウリムシがくっついて、核にある遺伝情報の半分を交換するのである。入ってきた新しい遺伝情報は、残っている半分の遺伝情報と融合して、新しい核が作られることになる。元の体はそのままに核の中の遺伝情報が半分入れ替わることになる。こうなってしまうと同じ“自分”とは言い難いが、遺伝子半分と体本体である細胞質はそのままである。
 この接合が行われると、なんと、それまでの分裂の回数がリセットされるのだという。若返りである。これを繰り返していれば“永遠の命”も夢ではない。「不老不死」の鍵はゾウリムシが握っているのかもれしない。





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