2017年2月
イシハラカメムシ



イシハラカメムシ  Brachynema ishigarai  2008年7月1日 撮影


 しばらくの間、ずっと気になっていたカメムシの写真がある。
 撮影したものの、種名までたどり着けない生物の写真は今もたくさん残っていて、ときどき見返しては正体を探るのだが、その多くは大きな特徴となる手がかりが少なく、少しも進展することがなく、再び不明種のファイルに戻されてしまうことが多い。そんな状況の中で、そのカメムシは何か判りそうな雰囲気があった。
 臭いは別として、カメムシの大きな特徴はその翅にある。カメムシの翅は、付け根部分は硬く、先端部分は軟らかくできている。硬い部分を革質部、軟らかい部分を膜質部というのだが、このような翅の特徴からカメムシの仲間は「半翅目」と呼ばれるようになった。

 もう一つ、カメムシの体を背中側から見ると、体の中央あたりには「小楯板」という名前がついている三角形の部分がある。甲虫ならば2枚の外側の体を覆う硬い翅の合わせ目に見える小さな三角形の部分なのだが、カメムシの仲間は、この部分が大きく発達していて、体の半分くらいを被うほどの大きさになっているものが多く、中にはアカスジカメムシのように体全体をカバーするほどの大きな小楯板を持つ種類もある。翅を閉じた状態では、革質部は小楯板の両脇に、膜質部は尾部の上を隠すような場所に位置することになる。
 この問題のカメムシの小楯板はくすんだ緑色をしていて、二等辺三角形の頂点にあたる先端部分には鮮やかな黄色の部分がある。小楯板の両脇の革質部は明るい茶色。膜質部は黒色で、けしてそれほど鮮やかな色彩ではないが、何か上品な感じのする色合いだ。
 この特徴的な色合いを手がかりとして、図鑑を見ていけば見つかりそうだ…、と思って「日本原色カメムシ図鑑」(1993年全国農村教育協会)の写真を最初から見直すのだけれど、これだ!というのにたどり着かなかった。
 ところが…、撮影した2008年7月から8年6ヶ月目にして、ついにネット上にそっくりなカメムシを発見した。イシハラカメムシ。初めて眼にする名前だ。頼りのカメムシ図鑑にも載っていない種だった。(※原色カメムシ図鑑は現在3巻まで出ていて、手持ちの1巻にあたる図鑑には既知種の半数程度しか掲載されていないようだ)
 珍品…とある。
 「珍品」とはどの程度のことをいうのだろうか。環境省のレッドデータリストには載っていないから、それほどの珍品ではないのかもしれない。念のため、さらにレッドデータを調べてみると、都道府県別では、茨城県で絶滅危惧T類、埼玉県で準絶滅危惧種に指定されている。その他、高知県、島根県、山口県では情報不足とある。
 榛名山地域の生息生物の目録が作られている「榛名町史」「倉渕村史」のリストにはない。群馬県の中では丁寧に調べられていると思われる上野村史の調査にもリストされていなかった。
 埼玉県昆虫談話会が埼玉県内の過去の市町村誌や会誌等の調査報告などを精査し、リストとしてまとめた「埼玉県昆虫誌」(1997〜1999年)の中には7カ所の記録があった。寄居町や秩父地域など埼玉県西部の山地やその周辺にあたる場所である。
 埼玉県の昆虫相は他県に比べてとてもよく調べられていると思われるが、その埼玉でのイシハラカメムシの取り扱いが「準絶滅危惧種」ということは、ノーマークの他県は「情報不足」というのが実状ではないのだろうか。
 ところで、“イシハラ”の名前は、日本昆虫学会の会長も務めたこともある愛媛大学教授だった故石原保博士を記念してつけられた名前とのこと。正式な学名は「Brachynema ishigarai LINNAVUORI,1961」とあるから、1961年に新種として記載されたものだ。
 わずかな情報の中に、「食性はミツバウツギの単食性」とあった。ミツバウツギにのみ依存しているカメムシなのだ。家の周りの雑木林の中層木としてミツバウツギはいくらでも生えているから、ここにこのカメムシがいたとしても状況は不思議なことではない。
 「珍品」というちょっと魅力的な言葉がどこまで正確に通用するものなのか判らないが、今年の夏、カメムシモードの眼でミツバウツギの林を歩く楽しみができた。





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