2017年10月
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2017.10.25. 烏川上流・倉渕ダム建設予定地だった付近から北東を望む |
「星景写真」という言葉ができたのは1988年のことなのだという。休刊となった「スカイウォッチャー」誌(2000年休刊)の編集長・川口雅也氏が使い始めたのが最初だとか。風景の中に星空を入れた風景写真、と考えればよいだろう。一般的な認知度はともかく、星の写真を撮る人たちの間ではすっかり定着した言葉となった。 星空の風景写真はなかなか難しい。頭の中に描く画像はあるのだけれど、まずそうなることはない。本当に思い通りにならないのである。 星景写真を意識して撮影するようになると、昼間の日常見る風景の中で、ここで夜撮影したらどんな画像が出来上がるだろうか、と想像するようになる。この風景の中に星空を置いてみたらどんな具合になるだろうか、考えるのである。星の位置は方角と日時が決まれば判るから、この風景の中で、こんな光跡を描くはず…、という想像はできる。だが、いざ夜になって、その場所へ行ってみると、思わぬ所に人工の光があったりして、想像と全く違う写真にしかならないことがほとんどである。 月明かりも微妙に影響してくる。天体写真を撮るならば、月のない、できるだけ暗い夜空が理想的なのだが、星景写真に限ってはそうとばかりはいえないところがある。全くの暗夜で撮影した人工の光が無い場所では、星空の前景は真っ黒なシルエットにしかならない。都合の悪い物体を消すには好都合なのだが、せっかくの風景も輪郭にしか写せないことになってしまう。そこで、月を照明として利用し、淡く風景を映し出したいと考えたりもするのだが、これもなかなか思うようにならない。月が明るすぎては昼間のような写真ができあがってきたりしてしまうことになる。 そんな、こんな、いろいろな微妙な作用が重なり合って、星の風景写真は一筋縄ではいかないのだ。 いろいろな場所をロケハンしていくうちに、しばらく前にある場所を見つけた。 烏川を流れ下る谷の向こうに榛名山の北麓にコブのように付いている古賀良山が望める開けた場所。星空が望めそうな方向は北東方向だ。もう少し東が開けていたら、その谷間をオリオンが昇ってくるのが写せそうなのだが、そこを昇ってくるのはぎょしゃ座やふたご座になるはずだ。 昼間何度も訪れるたびに頭の中にその場所の星景写真はできあがった。あとは、地平線まで雲が無いような晴れ間と、メインとなる星達が現れる時間と、月明かりの巡り合わせが一致するときがやってくるのを待つだけだった。 ところが…。あるとき、その場所に花束が枯れた状態で置かれているのが目に付いてしまった。おまけに、数珠まで置かれている。こんなのが置かれる状況というのは、たいてい死亡事故の現場である。だが、訳を知っているUさんが教えてくれた。そこは自殺現場なのだと。そして、さらに付け加えて、そこから10mも離れていない場所は、自動車ごと谷底に飛び込んで自殺した現場でもあると。なんと、この撮影ポイントは2件の自殺のポイントでもあったのである!背筋が寒くなる…。知らなければよかった…、と思ったが手遅れというものだ。 秋の訪れ。星空は冬の星達が夜半には昇るような季節となった。夏の間、星空を隠し続けた雲もさすがに切れ間を見せ始めた。 台風が過ぎ去った月のない夜のこと。榛名山の上空にオリオンが昇ってきた。地平線まで雲のないクリアな空…。あの場所が頭に浮かぶ。烏川の谷間を昇る冬の星達…。 チャンスである。月の照明は無いが、ほぼ条件は整ったかのように思えた。問題があるとすれば、その曰く付きのロケーションくらいである。 意を決して、クルマに撮影機材を積み込み、深夜の道路を走り出した。道路脇にいたタヌキらしい獣があわてて林の中へ駆け込んでいく。23時を過ぎるころの榛名山麓は行き交う自動車も皆無だ。寝静まったような集落をいくつか通り過ぎ、やがて、烏川の源流への道へ。道路脇には街路灯が設置されているがそこに光はない。 この烏川の上流部には倉渕ダムが建設されるはずだった。工事は1990年に着工され、ダムのための道路の付け替え工事が完了したのは2002年。そして、その翌年・2003年にダムの建設は中止された。もしも、倉渕ダムが建設されていたら、街路灯には煌々とした光が灯されていたのかもしれない。おかけで空の暗さは守られ、ここに生息するイヌワシやクマタカをはじめとする生態系もかろうじて守られることとなった。尾根を隔てた北側の八ッ場ダムが吾妻川の豊かな自然を切り刻んで破壊してしまったのと対照的である。 昼間何度も訪れたことのある駐車スペースにゆっくり自動車を入れる。例の数珠が置かれている場所からなるべく離れた場所に、直ぐに出られるような向きにして止めた。 エンジンを止めた瞬間に、それまでの雑音が急に消えて、しーんとした静寂が訪れた。エンジンがかかっているときにはその音に紛れていたその場の空気が急に身近なものとして感じられる。 一呼吸置いて、ドアを開けた。遙か下の方から増水したらしい烏川のザワザワした流れの音だけが聞こえてくる。こちらの気持ちの問題なのだろうが、昼間の雰囲気とはまるで違う。誰もいない山麓のお墓の横で撮影したことは何度もあるけれど、こちらの方が、ずっと不気味な雰囲気を感じだ。 あの木の下には人影はないだろうか…?谷の下の方から誰か呼んではいないだろうか…?ここを最期の地とした2人の姿が、想像もしたくないのに浮かんでくる。 約1時間。背中に重いものを感じながら、星空を眺めつつ、カメラが撮影を続けるのを見守った。なんとも落ち着かない。撮影が終わって、クルマに戻ったとき、中に誰かがいたらどうしよう… などとあり得ないようなことまで想像してしまう。 結局、できあがった画像は… やはり、想像したものとはかけ離れたものだった。やはり、星景写真は難しい。 それでも、星空を撮影した画像の中に人の姿が写り込んでこなかったので、とりあえずヨシとすることにしようか。生きている限り、再チャレンジの機会はいくらでもある。 |
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