2016年4月




オクタマスミレ  Viola x savatieri
2016.4.16.  榛名山麓



 4月中旬、榛名山麓はスミレの季節である。
 ヒナスミレが花を見せ始めたと思ったら、すぐにエイザンスミレ、アカネスミレ、タチツボスミレ、マルバスミレも追いついてきた。春は本当に忙しい。
 いったい何種類のスミレが自生しているのだろうか…?この季節になるといつもそんなことを考えながら雑木林を行く。だが、いざスミレの種類を正確に決めようとすると、ルーペを片手に図鑑と見比べなければなかなか種名にまでたどり着くことはできない。おまけに、家の庭には連れ合いがどこかでもらってきたスミレとか、園芸種らしいものもあって、どこからが自然にあるものなのか、判断に迷うものも少なくない。さらに、別の種類どうしでもスミレは交雑種をつくることがよくあるとのことで、ますますわけが判らなくなってくる。生半可に見ている者にとって、スミレはなかなか悩ましい植物である。

 そのスミレを見つけたのはそれほど陽当たりの良いとは思えない北西斜面だった。
 緩やかな傾斜を下っていくと、ピンク色が見えたので、エイザンスミレかヒナスミレかアケボノスミレだろうと思って近づいて行ったのだが、それはそのどれにも当てはまらない姿だった。ピンク色の花は明らかにスミレの花なのだが、葉の様子はそれまで見たことのないもので、ヒナスミレの葉に大きく切れ込みを入れたような形をしている。切れ込んだ葉といえば、エイザンスミレの葉にはかなり変わったものもあるが、3裂しているわけではないのでそれではない。
 ピンク色の花をのぞき込んでみると、少し旬は過ぎてしまってはいたが、それはヒナスミレの花によく似ていた。
 ヒナスミレのような花に、ヒナスミレの葉に大きな切れ込みを入れたような葉。これはヒナスミレの交雑種だろうか。交雑種とすれば、その相手は、葉の切れ込み具合からしてエイザンスミレの可能性が高い…。
 さっそく、植物に詳しいMさんに写真を添えてメールで問い合わせてみると、すぐに返事が返ってきた。
 「オクタマスミレ」。想像通りヒナスミレとエイザンスミレの交雑種とのことだった。
 親はヒナスミレとエイザンスミレ、その子供がオクタマスミレということになる。まさしく子供・オクタマスミレは2つの親の特徴を備えた中間的なスミレである。
 ここで根本的な疑問が生まれてくる。
 「種」とは何なのだろう?
 高等学校の生物基礎の教科書(東京書籍)を見てみると、
「生物を分類する基本単位。種の基準として数多くの考え方があるが、ここでは互いに交配し子孫を残すことが可能かどうかを基準にする。」と書かれていた。
 つまり、子供を作ることができれば同じ種、ということになる。…とすれば、ヒナスミレもエイザンスミレも同じ種!?
 ヒナスミレとエイザンスミレは明らかにその姿は違う。そして、その子供も親とは明らかに異なる姿をしている。親と同じ姿にならないから別の種類というのも一理あるかもしれないが、遺伝の世界ではメンデルの遺伝の法則に従わない両親の中間的な形質が現れる「中間雑種」というのもある。あるいは、子供・オクタマスミレは交配して子孫を残せないから「種」としては認められない、という考え方もできる。(本当に稔性が無いのかな?)突然変異で変わったというわけでもないのに親と子が別種というのは何だか変な話だ。
 そもそも「種」とは、もともとは生物の種類を分ける基本単位だった。ところが理解が深まるにつれて、さらにその種の中でもちょっとだけ違った群集が見つかったりして「亜種」「変種」「品種」などとさらに分けられるようなケースもたくさん出てきた。多少姿は違っていてもこれらは交配可能であることが普通である。
 現実として、「交配可能かどうか」という考え方は動物には適応できても、菌類や原生動物のように、交配せずに子孫を残す生物もたくさんいるから、すべての生物に対して、交配できるか、できないか、ということだけで「種」を定義することは意味を持たなくなってしまう。分類学の祖・リンネ先生は世の中にそんな生物がいるとは夢にも思わなかったことだろう。
 「種」とは何か−。簡単そうな問いは、実は奥底が見えない。
 生物が時間と共に進化という形で姿を変えてきたことを考えると、「種」を定義するには少なくとも時間と空間を考えなければならなくなってくるのだろう。四次元の世界である。
 形態を比較して生物を分類することに加えて、マイア(Ernst Walter Mayr 1904-2005)の考えた「生物学的概念」や「系統学的概念」や「生態学的概念」… 理解しようとすれはするほど「種」の定義がわからなくなってきた。
 しばらくの間いろいろな資料を読んでみて、唯一判ったことは、生物学者の誰もが納得する「種」の定義など存在していないということだった。生物という不思議なものを突き詰めていくと、そこにははっきりとした境界線などないのかもしれない。






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