2016年4月
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水たまりの中で繰り広げられるカエル合戦 |
ライトを片手に夜の雑木林で蛾を探していると、遠くからざわめくような音が聞こえてくるのに気がついた。最初はざわめくような音に聞こえていたが、耳を澄ますと、すぐにそれは高音のカエルの鳴き声らしいことが判った。 いったいどこから聞こえてくるのか。 昼間の林と違って、夜の林は驚くほど静かだ。鳥の声も、人間の生活音も、様々な雑音が消え去り、遙か彼方の物音が聞こえてくるようになる。 アズマヒキガエルだろうか…? 栃木県の益子町に住んでいたとき、家の前のあった小さな池で春先のある時期になると大きなアズマヒキガエルが何十匹も集まっていたのを思い出した。 通称“カエル合戦”。年に一度そのあたりに生息しているたくさんのアズマヒキガエルが繁殖のために水辺に集まり、オスがメスを獲得するために争奪戦を繰り広げる姿を「合戦」に見立てたものだ。決着がつくとメスはその池に産卵し、どこへともなく消えるのである。 翌日。小雨が降る中、声が聞こえていた方向へ“カエル合戦”の現場を探しに出かけた。 “カエル合戦”をやっているとすれば、水辺しか考えられない。カエルの声が届く範囲で水辺とすれば、家の前を流れる小さな沢だろう。その沢の広くなった場所に水たまりのようになった場所もある。 沢沿いの見当をつけていた水たまりへ近づいていくと、予想通りの、姿に似合わないかわいい声が聞こえてきた。声は水の中から生えているショウブらしい植物の中から聞こえてくるようだ。 だが、だんだんとそこへ近づいていくと、ピタッとその声がやんだ。そして、そのあたりの水面が一斉にザワザワと波立って、すぐに静かになった。カエルたちは水に潜ったのだろう。その波立ちの様子からして、相当数のカエルがいるらしい。 そこでその場にしゃがみ込んで、しばらく様子を見ることにした。 … しばらくそのままの状態で待ち続けると、やがてあちこちの水面からカエルの鼻先が現れてきた。だが、鼻先と上に飛び出した2つの眼が水面から出ただけで、それ以上の動きはない。 15分か20分も待っただろうか。どこかで1匹がかわいい声で鳴き声を上げた。そして、それに呼応するように、別の所でも鳴き声が続き、やがて、賑やかなカエルの声に包まれていった。そして、同時に水の中ではあちこちでカエルの激しいもつれ合うような姿が見られるようになった。その動きは少しずつ大胆な様子になっていったようにも見える。彼らも、1年のこの時期は最も重要な時期なのだろう。妨害者に邪魔をされて時間を無駄にはしたくないはずだ。 カエルはヒキガエルではなかった。ヒキガエルよりももっと小さな、そしてスマートなカエル。おそらくニホンアカガエルかヤマアカガエルだ。どちらともこのあたりに生息している。つかまえて見ればどちらかはっきりするのだが、せっかく再開したカエル合戦を台無しにしてしまうので黙って観ていることにした。 ほとんど身動きすることなく1時間以上、望遠レンズの先だけを動かしつつ、そして、足にしびれを感じつつ、カエルたちを見続けた。途中、上空をカラスが鳴きながら舞うと、これだけでカエルたちはさっと水の中に隠れてしまった。そうすると、またしばらくの間、静寂な水たまりに変わる。カエルたちが活動を始めるまではまた落ち着くまでの時間が必要になる。必死になってカエル合戦をしているようでいて、カエルたちは周りの状況にも気を配っているのだ。 カエルたちの一年に一度の“カエル合戦”はこんなふうにして、いろいろな邪魔が入りながらも延々といつ終わるともなく続いていた。
一週間後。“カエル合戦”が行われていた水辺を再訪した。 賑やかだった水辺はひっそりとして、お祭りの後のような妙に静かな空気が流れていた。あんなにたくさんいたカエルたちの姿はもうどこにもない。散り散りになって、また思い思いに好きな場所へ戻っていったのだろう。 岸辺には一週間前にはまだつぼみだったワサビの花が開いて、いかにも麗らかな春の様相となっている。水の底にはすでにたくさんの小さなオタマジャクシが群れていた。卵を包んでいたカンテン質のものもわずかに残っている。まだ卵から孵ったばかりといったところだ。 水の底いっぱいに泳ぎ回る小さななオタマジャクたちだが、大人のカエルになれるのはこの中のほんの一握りに過ぎない。そして、その幸運なものたちが、またこの水辺に戻ってくるのは2年後くらいだろうか。 アカガエルたちの野生での寿命は数年と推定されている。どこかへ消えていった親たちも次の“カエル合戦”に参加できるとは限らない。一年に一度の“カエル合戦”は、一年間生き延びることができた幸運なカエルたちが生きていることを確かめ合う貴重な数日間といえよう。 |
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