2016年11月
雨の雑木林 
ハリマキビ



ハリマキビ  Parakaliella harimaensis
2016.11.19.  榛名山西麓



 11月にしては暖かい雨が降った。まだ枝に残っている紅葉の黄色や赤の鮮やかさを失いつつある葉も少し潤いを取り戻したかのように見える。
 雨上がりを待って、そんな雑木林に入ってみた。
 晩秋というよりも初冬の気配の雑木林では動くものを見ることはそう多くはない。何か珍しいものを発見するという期待はあまり無かったが、湿度たっぷりの濡れた雑木林という環境で、何かおもしろいものを見せてくれるのではないか、という期待が少しあった。 雑木林の中に入るとすぐにコナラの幹に小さな白いものが見つかった。顔を近づけて見ると、白い菌糸に被われた昆虫のように見える。カメムシのようだが、定かではない。ボーベリア菌の仕業だろうか。幹の黒っぽい色彩に対して、この白い菌糸はとても目立って見える。その菌糸に侵された昆虫の写真をクローズアップで撮影して、デジタルカメラのモニターで確認してみると、その画像の片隅に思わぬものが写り込んでいた。小さなカタツムリである。
 そこにいても見えない、というのは何日か前の榛名湖のフユシャクでもあったばかりで、相変わらずの“節穴”ぶりには毎度呆れてしまう。
 あらためてその“現場”を見てみると− 確かにいた。茶色の殻のカタツムリだ。分解能の落ちた肉眼では、それをカタツムリと認識するのが困難なくらい小さい。意識しなければ、ただの茶色いゴミとしか見えないことだろう。あるいはそれすら見えないかもしれない。ヒトは、眼で視覚情報を得て、その情報を脳へ送るが、見るのはやはり眼ではなくて脳だということだろう。ヒトは見ようとするものしか見ない、あるいは見えないのだ。 1匹のカタツムリが見つかると、その周囲に同じようなものが次々と見つかる。同じ木に、同じような大きさのカタツムリがいくつもくっついているのだった。そして、その木ばかりではない。別の木の幹にも、林床の落葉の上にも…。微小カタツムリモードの眼で林を見て回ると、たくさんのカタツムリが見えてきた。湿った雑木林だからこんなにいるのか?それとも、いつもいるのに気がつかなかっただけなのか?
 そして、このカタツムリの正体は…?
 3匹をつかまえて室内へ持ち帰ってきた。湿度の高かった林の中では殻から軟体部をのぞかせていたカタツムリだったが、すっかり殻の中へ引っ込んでしまった。
 殻を眺めてみると、殻の巻き方は多くのカタツムリの仲間がそうであるように右巻き。渦巻きは5回巻いているように見える。
 3つの個体の殻径と殻高を測ってみる。殻径とは上から見たとき丸く見える殻の直径、殻高とは殻を真横から見たときの高さである。あまりに小さいので、ノギスで挟んで殻を壊してしまいそうだ。結果、殻径は2.7mm〜3.0mm、殻高は2.0〜2.3mmとなった。殻径/殻高の比はそれぞれ1.27、1.30、1.35である。明らかに殻高よりも殻径の方が大きい。
 さて…。根本的な見極めが必要だった。そもそも、この微小なカタツムリはこれで成体なのか、それとも生まれたばかりの稚貝なのか…?
 一般的にはカタツムリは成体になると殻の入り口(殻口)が反り返って、殻が壊れにくくなるという特徴がある。撮影した画像を見直してみると、そんな様にも見ようによっては見えなくもない。しかし、採集してきたこの小さな貝殻の殻口をルーペで見てもそんな様子は見きわめられない。もう一つのヒントは、多くのカタツムリ…マイマイ属の螺層、つまり巻いている回数が5〜6回だということ。カタツムリの仲間は、殻を持った状態で生まれ、成長するにしたがって殻も成長して、巻き数が増えていくので、その殻の巻いている状態を見ればある程度成長の度合いを測ることができるという。とすれば、螺層が5くらいというこのカタツムリは、成熟しないまでも、稚貝より成長しているものと判断できそうだ。
 保育社の東正雄著「原色日本陸産貝類図鑑」を端から見ていく。
 クラクラしそうなくらいたくさんの種類が掲載されているが、陸産貝類は飛ぶことができないので、生息分布が限られる種が多く、最初から除外できるものも多い。
 形と大きさを手がかりとして、さらに分布が矛盾しないものを探していくと、たどり着いたのは「ハリマキビ」と「ヒメハリマキビ」だった。図鑑に載っていたヒメハリマキビは標本ではなく生態写真であったため、さらにネット上でヒメハリマキビの標本の写真を確認すると、横から見てヒメハリマキビの方がより釣鐘型をしていることがわかった。この3つの貝殻はそんなに尖ってはいない。とすれば、これはハリマキビ…か。
 それが何度もルーペで見直して出た結論だった。あとは専門的な知識を持った人に見てもらうしかないだろう。

 後日、寒いけれど良く晴れたある日、その小さなカタツムリがいた周辺を“微小カタツムリモード”の眼に切り替えてもう一度見て回った。しかし、落葉の下にでも隠れてしまったのか、あれほどいた微小カタツムリの姿は1つも見つからなかった。
 彼らはいつも雑木林で見られるわけではなく、雨に濡れた湿気たっぷりの雑木林に入っていくような酔狂なことをすると、何かの拍子に眼にすることができる森の中の小さな命だったようだ。






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