2016年10月
ヤギ小屋のスズメバチの巣



出入口の穴の周囲にたくさんのスズメバチが群れる巨大な巣
2016.10.2.


 ヤギ小屋の軒下の大きなスズメバチの巣に気がついたのは9月になってからのことだった。以前はNさんがダチョウを飼っていた小屋である。
 軒下からぶら下がった楕円球のような巣は高さ50cmはありそうだ。これほど大きな巣にお目にかかるチャンスはそうはない。巣の形状と場所からしてキイロスズメバチだろう。
 巣の中央よりやや上部には穴が開いていて、そこからしきりと働きバチらしいのが飛び立っていく。巣の表面にも数頭のハチたちがとまって何やらやっている。近づいて見ることはできないが、それは遠目からでもキイロスズメバチのようだった。
 ここはたまにイヌの散歩で通ることがあるので、そんな大きなスズメバチの巣があれば気がつきそうなものだが、人間の眼と脳はそれほど敏感にはできていなかったようだ。あるいは、スズメバチのような社会性のハチの巣は、秋になって個体数が増えてくると急速に大きくなるというから、こんな目立つ大きさになったのはそれほど昔ではないのかもしれない。
 昨年11月にはこの場所から30mも離れていない林の中の木に同じような形のスズメバチの巣ができているのを見つけていた。おそらく、このヤギ小屋の巣の女王の出身は昨年の林の中の巣だろう。昨年の林の中の巣は無傷のまま残っていたから、無事に次の世代の女王たちは巣立っていったはずだ。

 発見以来、ヤギ小屋のキイロスズメバチの巣は注目のポイントになった。意識的に散歩のコースをこちら方面へ多くして、その巣の様子を眺めていた。
 あるときは、何でこんなにたくさんのハチが巣の表面に出ているの?という不思議な状態になっていることもあった。あれは、オスバチたちや新女王たちの巣立ちだったのだろうか。それとも、巣の表面の拡張あるいは修理に動員された働きバチか…?あるいは、何かの攻撃に対してのスクランブルだったのか…?
 この巣はいつまでハチたちによって維持されていくのだろうか、という興味もある。秋のこの時期は、巣の中では新女王やオスたちが育っているはずだ。新女王やオスたちはすでに巣立ち始めているのだろうか。そして、その次世代のハチたちが飛び立ったあと、残された働きバチたちはいつまでこの巣を守るのか…?

 10月になっても巣は健在だった。巣の表面には何頭からの働きバチらしいのがいて、巣穴からも勢いよく飛び出していく。そして、気のせいか…、たぶん気のせいでもなく、巣はまだ大きくなっているようだった。
 ところが、夏の空気から冬の空気に入れ替わった10月のある日のこと。肌寒さを覚えながら、朝の散歩でヤギ小屋を訪れると、様子は一変していた。
 大きく成長した巣の下部が大きく壊され、スズメバチたちの姿はほとんど見えなかった。かろうじて表面に数頭がじっとしている。巣を修復するでもなく、為す術もなくただそこにいる、という様子だ。まるで廃墟のようである。あれほどたくさんいた働きバチたちが一斉に寿命が来て死んでしまうことは考えられず、何者かに襲われたに違いない。
 何者か…とは、おそらくオオスズメバチ。恐ろしいハチの大集団を襲うとすれば、オオスズメバチかハチ食の猛禽・ハチクマくらいのものだろう。
 体長がキイロスズメバチの2倍くらいはある巨大なオオスズメバチは最強のハチといえる。巣は林の中の地中に作るので眼にする機会はほとんど無いが、ときどき飛んでいる姿は見かけることがある。彼らは別のスズメバチの巣も襲って食料を確保することが知られている。


巣の下部には大きな穴が開けられていた
2016.10.12.
 秋になりオオスズメバチの一族も最大規模に拡大する。しかし、秋になると食料となる昆虫やクモなどは少なくなってしまうため、食糧難に陥ってくる。そんな中、キイロスズメバチの巨大な巣は、大量のタンパク源を確保できる絶好のターゲットだったはずだ。
 巨大なオオスズメバチと体こそ小さいが大集団のキイロスズメバチの攻防戦は熾烈な戦いだったに違いない。もちろん、オオスズメバチが負ける戦いを挑むはずはないのだが、全くの無傷でいられるはずもない。自らの犠牲を覚悟した上で、大量のタンパク質を手に入れるために戦いを仕掛けたはずだ。
 …廃墟のようになってしまったキイロスズメバチの巣の前で、しばし両者の戦いが頭の中を駆けめぐった。
 ヤギ小屋に残されたキイロスズメバチの廃墟の下には何の痕跡も見つからなかった。キイロスズメバチの死骸も、オオスズメバチの死骸も、何も残ってはいない。襲撃したオオスズメバチは、キイロスズメバチの幼虫・サナギを奪い去っただけではなく、戦って死んだキイロスズメバチも、そしてオオスズメバチの死骸さえも自らの幼虫たちのために肉団子にして運び去っていったのだろう。
 はたして、キイロスズメバチの新女王やオスバチたちは、どれだけ巣立って生き延びたのだろうか。身近な場所に巣を作られるととても迷惑な存在だが、こんな事態を眼のあたりにすると、彼らも厳しい自然の掟の中で精一杯生きているということがよくわかる。
 冬が一歩近づいた秋のある日、キイロスズメバチのある1つの集団が榛名山麓から消えていった。残された巨大な巣は遺跡のように、風化されていくのを、今、ただ待っている。





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