2015年5月
異常? 正常? ジョウカイボンたち



ジョウカイボン  Athemus suturellus

翅・触覚の縮れたジョウカイボン
2015.5.17. 榛名山西麓


 梅雨入りの前、新緑だった雑木林は下草が地面を覆い、鬱蒼とした様相に変わろうとしている。この季節、林の中に入ると目に付いてくるのはシリアゲと茶色のカミキリムシに似た甲虫・ジョウカイボンである。
 シリアゲの仲間はヤマトシリアゲ、プライヤシリアゲ、キシタトゲシリアゲなど数種類、そしてジョウカイボンの仲間も数種類を数えることができる。
 ジョウカイボンはカミキリムシに似ているとはいえ、触ってみると見かけによらず意外なほどに柔らかい体をしていることがわかる。分類上はカミキリムシ科からはかなり遠いところに位置するホタルに近い仲間なのだとか。
 そのジョウカイボンに異常なものを見つけた。今年最初に気がついたのはジョウカイボンが出現を始めたころのこと。上翅がヨレヨレになった個体が地面に近い葉の上にとまっていたのだ。その様子ではとても飛べそうな状態ではない。羽化したばかりで上翅が伸びている途中というわけではなさそうだった。脚も頭も胸部も、羽化してからそれなりの時間が経過しているような様子を示しているから、羽化の途中で失敗した可能性が考えられる。
 昆虫が羽化をするときは、サナギの中で折りたたまれていた翅が出てくると、翅の中に体液が通って、次第に伸びていくのだが、このとき何かトラブルがあると体液が入っていくことができずに、翅が伸びないという事態がおこることがあるようだ。
 こんなジョウカイボンを今年は3頭見た。昨年も見ているから、今年に始まったことではない。あるいは、別の場所でもこんなジョウカイボンが写真に撮られているから、そう珍しいことでもないようだ。他の甲虫に比べて、ジョウカイボンは羽化のときに失敗しやすいのだろうか。
 そんな思考をめぐらせていると、別の可能性も頭をよぎる。放射線のことである。
 たまたま羽化のときに失敗したのではなく、遺伝的にこんな姿になってしまったのかもしれない、という可能性である。遺伝的にというのは、放射線によって遺伝子が傷つけられてしまった、ということを意味している。

 一般に昆虫は放射線に対して強いと考えられている。
ある特定の害虫に対して、放射線によって不妊化させた個体を飼育し、それを野外に放出することにより、全体の個体数を減らそうとする「不妊虫放飼法」と呼ばれる対策がある。 
 1972年〜1978年にかけて、沖縄・久米島でウリミバエに対してこの方法がとられたのだが、そのとき不妊化させるためにサナギの照射したγ線は70Gy(=70000mSv,放射線源がγ線だった場合には1Gy(グレイ)=1Sv(シーベルト)と単位を置き換えてとらえることもできる)だったという。また、同じ久米島では2001年からイモゾウムシに対して150Gyを照射して不妊虫放飼法を実施している。あるいは1994年から鹿児島県でアリモドキゾウムシに対して行われたものではサナギに対して50〜80Gyのγ線を照射している。
 日本応用動物昆虫学会のHPによれば、不妊となる目安は鱗翅目(蝶や蛾)で40〜400Gy、双翅目(ハエやアブ)20〜160Gy、鞘翅目(甲虫)で43〜200Gyである。
 不妊虫放飼法では、生殖能力が無い個体が正常な個体と交尾することによって子孫を作らせないという方法をとるので、生殖能力以外の働きは放射線を浴びていない個体と同じでなければ効果は期待できない。そのため親に照射するγ線の量は、不妊にはなるけれどその他の機能は大丈夫、という微妙な量に調整された値になっているのだ。不妊ではなく、個体そのものが死ぬためにはさらに10倍〜100倍もの放射線が照射される必要があるようだ。
 ちなみに、1999年に東海村のJOCで起こった臨界事故の事例からして、ヒトの致死量は10Gy程度ではないかと考えられることが多い。あるいは6〜7Gyの放射線を浴びても致死率は99%にもなるという資料もある。いずれにしても、昆虫類の放射線に対する耐性は人間に比べてはるかに高い。
 一方で、琉球大学の大瀧研究室では、シジミチョウの一種のヤマトシジミについて、2011年の福島第一原発の事故による放射性物質の影響を継続的に調査して、2011年の秋に成虫の異常がピークとなったことを報告している。また、正常なヤマトシジミに対して、汚染された地域と沖縄の食草(カタバミ)を与え、食草からの放射線による内部被爆が死亡率と異常率を上昇させるという報告もしている。
 また、北海道大学の秋元信一教授は、2012年に福島第一原発から32km離れた福島県川俣町でアブラムシの一種のワタムシについての異常を調べ、非汚染地域と比較して死亡率と異常率が高くなったとしている。ただ、この異常は遺伝することなく、2013年にはワタムシの群集は回復しているとも記している。
 1986年のチェルノブイリの事故に関しては、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアなどで遺伝子の異常によると考えられる生物の異常がいろいろと報告されている。その中のひとつ。チェルノブイリ事故での昆虫について、名古屋にあるNPO法人「チェルノブイリ救援・中部」の機関誌「ポレーシュ」No115の中で、分子生物学者でもある河田昌東氏がチューリッヒ大学のコルネリア・ヘッセ・ホネッガーが調べたカメムシの異常について紹介している。25年間に16000頭のカメムシを調べた結果、チェルノブイリ周辺、スイス・ドイツの原発周辺、フランスの再処理工場周辺で明らかに奇形カメムシが多く見つかっているというものである。
 こうしてみてみると、昆虫は短時間の高レベルの放射線に対しては高い耐性を持っているけれど、長い時間の低レベルの放射線に対してはそれほど強くないようにも思える。

 榛名山麓の奇形ジョウカイボンはどうしたというのだろうか。
 2011年に榛名山麓に降った放射性物質は高濃度というほどではないが、全くなかったというわけではなかった。現に、榛名湖のワカサギからは今だ100Bq/kg近い放射性物質が検出されている。(2015年5月30日現在の最新の値は2014年11月10日採集のサンプルの値94Bq/kg)
 だが、福島第一原発の事故の前にジョウカイボンにどれだけの異常が発生していたのかがわからない今、その原因が放射性物質だとはとても言い切れない。むしろ、羽化の時に失敗した、と考える方が自然なような気がする。あるいは、農薬や環境ホルモンの影響だって考えられる。しかし、また、放射線の影響ではない、と言い切ることもできない。
 福島第一原発の事故、そしてチェルノブイリの事故、さらに遡れば広島・長崎の原爆の投下の後、そこに残された低レベルの放射性物質がどんな影響を生態系に与えてきたのかまだよくわかっていないことが多い。
 今、福島とそこからまき散らされた放射性物質が積もった日本の各地は、巨大な実験・観察のフィールドになっているという現実を忘れてはならない。自然界に何か見慣れないもの・異常なものが姿を現したとき、まず放射線が頭の中をよぎってしまうという不幸な事態は決して「風評被害」などという言葉で片づけるべきものではないだろう。




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