2015年5月
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ギンラン Cephalanthera erecta |
林の中を切り裂いたような、人間のために作られたアスファルトの道は、野生の側から見ると無惨なものだ。アスファルトで固められた道は、生態系を分断し、極端な場合、その右と左で全く違った植生となることもある。 そんなアスファルトの舗装道路の道脇にギンランを見つけた。今や畑の縁や荒れ地は外来種が我が物顔で居座り、日本の固有種は肩身の狭い思いをしながら細々と生きのびている。ギンランはそんなよそ者たちの中に混じって小さな花をつけていた。 ギンランは環境省が定めたレッドデータにこそリストアップされていないが、都道府県が別に定めた地方版レッドデータでは多くの地域で絶滅危惧種扱いとなっている。2015年現在、関東地方では、群馬と東京で絶滅危惧T種、埼玉・栃木・千葉で絶滅危惧U種、茨城で準絶滅危惧種である。関東に限っていえば絶滅危惧種としておかしくない。 そんなレッドデータの植物が、排気ガスが吐き散らされるような悪条件の道路の脇に何気なくあったのである。1株見つけると、そのすぐ脇にもう1株が見つかった。 さらに数日後、同じ場所を訪れてよくよく探してみればさらに4株。合計6株ものギンランがクルマに踏みつぶされそうになりながらそこで花をつけていた。 何もそんなところで咲かなくても…。と思うのは人間の浅はかな感想でしかないかもしれない。 植物は自らの意志で育つ場所を選べない。幸運にも生きられる場所に着地した種だけが花をつけるまでに成長することができるのだ。雑木林の林床にもたくさんのドングリが落ち、たくさんの芽が出るけれど、その大部分はそのまま枯れるしかない。芽が出て少しの間は種子の中に蓄えられた養分で育つけれど、あまり光のあたらない場所で芽を出したものたちは十分に光合成でエネルギーを作ることができずに枯れる運命にある。 道路脇のギンランは、そこが生きられる場所であったからこそ花をつけられたともいえる。 実のところ、ギンランはどこでも育つことができるというわけではない。 ランの仲間のほとんどは菌類と共生関係にあることがわかっている。菌根菌とよばれる菌類がランの根の表面に付いたり、中に入り込んだりして、リン酸や炭素や窒素などを取り込んで植物体に供給し、その代わりに植物が光合成で作ったブドウ糖などの炭素化合物をもらうという共生関係である。あるいは葉緑体を持たないツチアケビやオニノヤガラなどは共生というよりも菌類に頼り切っているといえるかもしれない。 菌根菌はランの種類によって違っていて、ツチアケビやオニノヤガラはナラタケ菌、ギンランによく似たササバギンランではベニタケ科・ロウタケ科の菌などがわかっている。ギンランはイボタケ科の菌が関係するようだ。 ギンランが属するキンラン属はとくに栄養源を菌根菌に依存する傾向が強いとされ、「日本産キンラン属における共生菌の多様性および共生菌への栄養依存度の解明」(2013年 坂本裕紀ほか)によれば、ギンランが菌根菌に依存する割合は、炭素源が48〜59%、窒素源は90%以上にもなるという。 さらに、「ギンランの生活史およびその生育と菌根菌との関係」(2009年 能勢裕子ほか)によれば、ギンランは土壌水分容量が15%以下になると水分ストレスが発生するが、菌根菌が共生すると、水分ストレスに対しての耐性が強まるとされている。 同属のササバギンランの環境条件について考察した「希少種ササバギンランの生育環境特性:横須賀市久里浜におけるマテバシイ植林の事例」(2014年 小嶋紀行)によれば、キンラン属にとって好条件なのは落葉層(地表面の植物遺体およびその分解過程にある有機物層)が薄い場所であるという。これは菌根菌が生きていくのに好条件な場所ともいえるのだとか。 こうしてみると、ギンランにとって菌根菌は無くてはならない存在で、菌根菌がいなければとても生きて行けそうにない。 道路脇のギンランを見ていると、数年前のある光景を思い出した。 群馬県藤岡市のある公園のことである。そこは丘陵地帯の小高い丘のようなところが公園として管理されている場所で、市街地から近いこともあって訪れる人も多い。 緩やかな坂道を登っていくと、上の方から話し声が聞こえてきた。そこには夫婦らしい中年の二人がいて、近づくと、男性が少しあわてた様子でその場から少し離れ、手にしていた何かをそっと下に落とした。 そこには最盛期のギンランが小さな白い花をつけて、いくつも生えていたのだった。そして、その少し離れたところに、根の少し上でちぎれたギンランが1本。たぶん、その男性が落としたものだ。 そこに立ち止まって、ギンランを写そうとカメラを取り出そうとしていると、男性はばつが悪そうにして、その場を離れていった。ちぎって花瓶にでも挿そうと思ったとは思えない。引き脱いて自分の庭にでも植えようとでも思ったのだろう。根ごと引き抜こうとしたのに、あわててしまい、ちぎってしまったというのが真相だろうか。 盗掘され、安易に移植されたギンランが育つとは到底思えない。ギンランが生きられるのは、菌根菌がたくさんいる場所。それはギンラン自身がよく知っている。 アスファルト道路の道端の外来種が繁茂するようなところでも、それはギンランにとって生存が許された場所なのだ。もっといい場所へ移してやろう…と考えるのは、たぶん、人間の思い違いでしかない。 |
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