2015年2月
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石棒が出てきたヤマイモ畑には二匹目のドジョウがいるに違いない−! 石棒を持って埋蔵文化財調査事業団を訪れたとき、「石棒は縄文の住居があったところに置かれることが多い」と聞いたときからそう確信した。 その場所に住居があったとすれば、石棒だけではなく、もっと別のものがあってもいいはず− と、考えるのは自然な流れだろう。たとえその場所が何度となく耕されていたとしても、何かが残っていそうだ。 冬の間、その畑は掘り返された状態のまま放って置かれるようだった。掘り返された黒色土に混じって、所々に赤土(ローム層の土)があってまだらな斑紋を作っている。そして、畑にしては異常と思えるくらいにたくさんの石が混じっていた。人の拳くらいのものや、ときにはカボチャほどの大きなものもある。畑としてはこんな石たちは歓迎されないに違いない。畑の周辺にはそんな石たちを取り除いたらしく、同じような石が無造作にいくつも置かれていた。 それらのいくつかを見てみると、すべてが茶〜灰色の岩石で、表面にはたくさんの小さな穴が開いている。遠目からは白っぽく見える岩石ではあるが、よく見れば黒っぽい結晶もたくさん見える。おそらくこれは輝石だ。石は榛名山麓のどこでもよく見る安山岩である。 何か変わったものはないか−? 時間を見つけては、“柳の下のドジョウ”を探しに畑を訪れた。だが、黒色土の中、赤土の中、と視線を走らせるが引っかかってくるものはない。あるのは少し面白みに欠けるような安山岩の石ころばかりだ。期待するのは土器や石器なのだが、やはりというか、当たり前だが、現実はそう甘くない。 それでも懲りずに、何かを期待しつつ、いつも期待に満ちて畑を訪れる。釣り人が、大量を思い描いて釣りに出かけ、まったく釣れなくても、もしかしたら次は釣爆かも…と、出かけるのと何か似ていなくもない。こんなとき、イメージは常にプラス思考なのだ。 それを見つけたのは何度目のことだったか。いつものように何かないか…?と畑を見回していると、黒色土の中に白い石が目に入ってきた。 たくさんの穴のあいた火山岩とは違う顔つきの白い岩石である。角は丸まってはおらず、そうかといって、割れたばかりというわけでもない。昔割れて、そのままずっと土の中にあったというような感じだ。 黒土で汚れてはいるが、その表面はどこにでもある安山岩とは違う。むしろカコウ岩に近いのではないかという様子だった。 持ち帰って洗ってみると、その様子はさらに鮮明になった。ルーペでのぞいてみると、やはりカコウ岩のような顔つきをしている。ただ、ひとつひとつの結晶はカコウ岩というには小さすぎるようだ。 だが、カコウ岩のような岩石が榛名山にあっていいものなのだろうか。カコウ岩は、マグマが地下深くでゆっくりと冷えて固まった岩石である。一方、榛名山を作っているのは、マグマが溶岩として流れ出した火山岩(安山岩)や火山灰、軽石、火山弾などの火山砕屑物、そしてそれらが流れ下った火砕流堆積物などで、深成岩であるカコウ岩があるとはとても思えない。これは謎の石である。
本当にカコウ岩の仲間なのだろうか。 薄片(プレパラート)にして偏光顕微鏡(岩石顕微鏡)で見てみることにした。 岩石片の片面をピカピカに磨いたあと、強力なボンドでスライドグラスに貼りつけ、それをカーボランダムやアランダムという磨き粉を使って、鉄板やガラス板の上ですり減らしていくのだ。めざす厚さは0.03mm。この厚さまですり減らして偏光を利用する偏光顕微鏡で見てみると、ただの透過光ではなく、カラフルな色が見えてくる。結晶が作る干渉色というものだ。厚さ0.03mmでの干渉色は鉱物によって決まるので、この色は結晶の種類を決める手がかりとなる。 はたして…?
できあがった薄片を偏光顕微鏡に載せ、のぞいてみる。2枚の直交する方向の偏光フィルターの間に薄片を置いた状態であるクロスニコルで見てみると、ほとんどの結晶が透明感のある黒から灰色、あるいは無色に見える。ステージを回転させると、その明るさが変化していく。石英である。別のいくつかの結晶は白黒の縞模様が見えたり、外側と内側で縞模様を作っているものもある。やはりステージを回転させるとその白黒の明るさが変化していく。こちらは斜長石だ。石英よりも少し大きいものが多い。とはいえ、両者は火山岩の組織の石基と斑晶のような関係ではなく、どちらも石基とするには結晶が大きい。肉眼で黒っぽく見える部分は角閃石か黒ウンモか…と思ったが、変質を受けてしまっているらしく、なんとも判断が付かない。それでも、小さな黒ウンモと判定できるような結晶もいくつか見つけることができた。 これは… 「アプライト」という岩石名が相当しそうだ。アプライトは「半カコウ岩」とでも表現したらよいような岩石である。カコウ岩のような成分でできた岩石だが、深成岩であるカコウ岩ほど深いところでゆっくりと冷えたわけではなく、そうかといって火山岩のように溶岩が流れ出したり、地下の浅い所で急に冷えたものでもない。深成岩と火山岩の中間的な岩石で「半深成岩」とされるタイプの岩石にあたる。 榛名山にある溶岩はみんな安山岩質〜デイサイト質の岩石で、カコウ岩質の岩石は見あたらないから、榛名山のマグマ活動で作られた岩石とは思えない。 それでは、この謎の石はどこからやってきたのか。榛名山の周辺ではこんな石はあまり見たことがない。 緑色片岩でできた石棒が最低でも25km以上離れた場所から持ってこられたとすれば、この謎の石も縄文人がどこからか持ってきた可能性もある。運んできたのはそれとも弥生人か、あるいは土砂を運んできたダンプから転がり落ちたのか。どれも否定する材料はない。だが、石は石棒のように何かの加工がされたような形跡はなく、自然に割れたような形状をしている。榛名山の安山岩よりも少し見栄えはするかもしれないが、この様子は宝飾品や祭司に使うものにはなりそうもない。縄文の石棒が出てきた場所から現れた謎の石だから、これにも縄文人が関わっているように思ったが、どうもあまり関連はありそうもない気配である。 「榛名山にカコウ岩質の岩石がある」との記述を見つけたのは「榛名町史・自然編」(平成19年 榛名町史編さん委員会)だった。榛名山の基盤、つまり榛名火山を載せている下の岩盤について書かれている部分で、野峠にある「角閃石デイサイト質軽石凝灰岩」の中に深成岩であるハンレイ岩、閃緑岩、そしてわずかながら砂岩、珪質岩、花こう岩質岩の異質礫が含まれているとある。「野峠」は榛名カルデラの北東の縁にあたる場所である。 同じような異質礫は旧榛名町に流れ下った室田火砕流やそれに相当する軽石流の中にも見つかっているのだとか。また、西麓にある軽石流の中には大きな粗粒黒雲母花こう岩の礫があるという。 どうやら、この謎の石もこの「異質礫」の仲間のようだ。これらの異質礫が軽石流の堆積物の中にあるということは、榛名山を作ったマグマが地下深くから上昇してきたとき、地下にあったカコウ岩やら閃緑岩などの岩石を溶かし、マグマの中に取り込んで地上にまで運んできたものということになる。榛名山の山体をつくった岩石よりもはるか昔にできた岩石だろう。謎の石はどこか遠くから運ばれてきたのではなく、榛名山の地下深くからやって来たのかもしれない。 畑の中から出てきた1個の石ころは、榛名山の地下深くに眠るまだ誰も見たこともない岩体を教えてくれているようである。 |
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