2014年7月
アリジゴクT



登り窯にあるアリジゴクの巣の群れ



 庭先でチェンソウを使って、登り窯の燃料として運ばれてきたアカマツの丸太を切っていると、横をヨタヨタとウスバカゲロウが飛び去っていくのが見えた。
 その様子は「風の谷のナウシカ」に出てくる腐海に住む生物のような雰囲気を漂わせていた。あるいは、中生代の巨大シダ植物のジャングルの中の生物とでも言おうか。
 トンボのように器用に飛ぶわけではなく、どこかぎこちなく、空気の中を泳いでいくようである。
 ウスバカゲロウの幼虫である“アリジゴク”は家の周囲のいたるところで見ることができる。雨のあたらないちょっとした場所があって、そこに土があれば、たいていアリジゴクのすり鉢状の巣ができあがっている。この土地を覆っている火山性の黒色土はアリジゴクのトラップを作るのに適しているのだろうか。中でも最も多くの巣が集まっているのは登り窯の周囲で、しばらく足を踏み込まないと、一面が月面のクレーターのようになってしまうほどである。
 アリジゴクの生き方は、ちょうど網を張ってその中央で待っているクモに似ている。しかし、アリジゴクの場合は、砂にすり鉢状の穴を掘って、その一番凹んだ場所に潜って待ちかまえていて、そこへ落ち込んでくる小動物たちを捕まえるのだが、クモよりもはるかに効率は悪そうである。


アリジゴクの巣

捕まえたアリジゴク
方眼の1目盛りは2mm

 庭先で1匹のアリをつまんで、アリジゴクの巣の密集している登り窯の小屋へと行ってみた。体長5mm程度のやや大型のアリである。捕まってしまったアリには申し訳ないのだが、アリジゴクにほんのわずかばかりの食料援助をしつつ、その様子を見せてもらおうと思ったのだ。
 アリジゴクの巣の集合住宅のようになっている場所にそのアリを置いてみると、やっと解放されたと思ったのだろう、アリは猛然と走り出した。小さなアリジゴクの巣では、少し脚をとられることはあっても、あまり関係ないようにアリは走り抜けて行く。小さなすり鉢状の凹みの中を通っても反応はない。主はいないのだろうか。
 アリがトラップにかかったのは、見るからに大きなアリジゴクの巣だった。この大きな巣に脚を踏み入れてしまったアリは、それまでの小さな巣とは違って、簡単に這い出ることができず、ずるずる…と巣の下の方へ向かってずり落ちていった。そして、次の瞬間、巣の最下部から、バッ!と砂がアリに向かって飛んだ。この巣にはアリジゴクが潜んでいたのだ。
 飛んできた砂を被ったアリはすり鉢の底まで落ち込み、半身が砂に埋もれてしまった。そして、そこからはもう上がってくることができない。アリジゴクの姿は確認できないのだが、おそらく捕らえられてしまったのだろう。本当にあっという間の出来事である。少しの間、アリはもがいていたのだが、すぐに動かなくなってしまった。
 アリジゴクは昆虫などに対する毒を持っているとのことで、大アゴで獲物を捕らえると、毒を注入して獲物を静かにさせてしまうのだという。
 近畿大学の松田一彦氏の研究によれば、その毒性はフグ毒よりもはるかに強いという。ただし、その対象は昆虫をはじめとする節足動物というから我々人間は心配には及ばない。
 ところで、そこにアリジゴクの巣があることはよく知っていたのだが、その巣の形状を詳しく眺めたことはなかった。大雑把に、砂地に円形をしたすりばち状の窪みとしか思っていなかったのだが、上からよく見れば、その形は完璧な円形ではなかった。どの巣を見てもややつぶれた楕円形をしているのである。
 すりばち状の巣の縁からの深さを測定するとその傾斜角を求めることができる。傾斜角をθとすると、tanθ=(深さ)/(半径) の関係があるから、tanθの値を計算して三角関数表を使えばその傾斜角がわかるのだ。
 もちろん、巣の短半径と長半径の方向ではその傾斜は異なる。短半径方向が急傾斜で、長半径の方が緩傾斜であるのは言うまでもない。
 登り窯でいくつかの巣を測った値から計算してみると、短半径方向の傾斜の平均は55.5°、長半径方向の平均は50.0°だった。予想以上の急傾斜である。命知らずのエクストリーム・スキーヤーをのぞいて、スキーなどではとても滑り降りることなど不可能な角度だ。雪面であったら、少し刺激を与えたらすぐに雪崩が発生するような角度だろう。だが、それもそのはずで、巣のトラップは崩れてこそ威力を発揮するのだ。
 砂や土を積み上げたとき、自然に崩れない最大傾斜を安息角という。この角を決定するのは、主に粒子の大きさ・粒子の角の丸み・粒子の形状、さらには湿度なども関係するのだとか。
 アリジゴクが巣を作るとき、最初は螺旋を描くようにして掘り進めていき、やがてすりばち状の巣の大まかな姿ができると、底から大アゴで砂をすくって遠くへ飛ばすようにしてトラップを仕上げる。巣の底から砂を放り投げ続けるにつれて傾斜は安息角に近づき、やがていくら投げてももう砂は崩れるばかりとなって、それ以上の急傾斜になることはなくなる。登り窯小屋のアリジゴクが作り上げた50°〜55°の傾斜は、このときの、この地面を作っている黒色土の安息角の値にほぼ一致するか、それに近いはずだ。おそらく、アリジゴクは常にこんな状態をキープしていて、その湿度に応じてメンテナンスも怠りないことだろう。
 大きさの差こそあれ、アリジゴクの巣は地球の重力とその土地の砂の性質が作る自然の決めごとの中で、必然的にその形状が決まっていくのかもしれないと思うとなんだか不思議である。






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