2014年5月

ウスバサイシン



ウスバサイシン  2014.5.16.  榛名山

 榛名山の山頂カルデラにある榛名湖は多くの人が訪れる観光地である。その周辺には多くの歩道があって、ハイカーだけではなく、自動車などで気軽にやって来て、少しだけ散歩をしてリフレッシュして帰っていく人たちも多い。
 5月のさわやかな日、そんな散歩道の1つを歩いていると、ふと足下に見慣れない葉が目に入ってきた。タチツボスミレやムラサキケマンなど春から初夏の花たちが咲き競う道端で、薄緑色をした丸いハート形の葉がいくつも群れているのだった。
 もしや… と思って、葉の下をのぞき込むと、予想通り地面に接して1つの茶色の目立たない花がこちらを向いていた。カンアオイの仲間であろう。そして、葉の様子と花からしてみると、それはウスバサイシンのようだった。
 立ったままの状態では、葉に隠されて花は見えない。ここを歩く人のほとんどはこの花に気がつかないまま通り過ぎていることだろう。それ程にひかえめな花である。

ウスバサイシンの地味な花

 ウスバサイシンといえば、ヒメギフチョウである。春の女神・ヒメギフチョウにとってウスバサイシンはなくてはならない食草である。よく似たギフチョウの食草はカンアオイ。どちらもウマノスズクサ科の植物で、花も葉に隠れるように地面に横たわって咲くという同じような様子である。さらに付け加えれば、その花も実は花びらなど無く、ガク片だけがあってそのガク片が3裂して花びらのように見えるということも共通している。だいたい、ウスバサイシンの仲間もカンアオイの仲間も葉の付き方や花の様子など似たところが多い。大きな違いがあるとすれば、ウスバサイシンは冬に葉を落とすのに対して、カンアオイは冬の間も葉を落とさないということだろう。
 ウスバサイシンを食草とするヒメギフチョウも、カンアオイを食草とするギフチョウも環境省のレッドデータリスト入りをしてしまっている。ギフチョウは絶滅危惧U類、ヒメギフチョウは準絶滅危惧である。
 両者ははっきりとしたすみ分けをしていて、その境界線にはリュードルフィアラインという名称まで与えられている。「リュードルフィア」というのはギフチョウの属名の Luehdorfia からきた名前で、リュードリフィアラインは「ギフチョウ線」である。この区分によれば、ここ群馬県に分布するのはヒメギフチョウのはずである。とはいえ、群馬県でその姿が見られるのは、唯一赤城山のある地域のみとなっていて他にはない。群馬県では県指定の天然記念物扱いである。
 赤城山のヒメギフチョウの保護活動の中心となっている「赤城姫を愛する集まり」によれば、昭和15年ころには赤城山西麓で乱舞するようにたくさんのヒメギフチョウがいたという記録が残されている。旧敷島村(現渋川市)のことで、榛名山とは利根川を挟んで対岸の位置にあたるような場所である。榛名山から目と鼻の先のようなところで、それもそんなに山深いところではない場所で、ヒメギフチョウが早春の里山を飛び回っていたのだ。夢のような光景としか言いようがない。
 そのころ、榛名山にもヒメギフチョウはいたのだろうか。
 1972年に煥乎堂から発行された布施英明著「群馬の蝶」には赤城山のヒメギフチョウのことは書かれていても、榛名山のことにはふれられていない。日本鱗翅学会がまとめたものでは、群馬県内の赤城山以外での記録は沼田町の愛宕山、子持山、昭和村の長者久保、十二ヶ岳、下仁田町矢川峠での記録があるようだが、やはり榛名山は含まれていない。
 もともと榛名山に生息していなかった蝶なのか、それとも記録に残るよりもはるか以前に姿を消してしまったのか…。
 榛名山で見つけたウスバサイシンの葉を丹念に見ても、もちろん何も見つけることはできなかった。記録にも残らない遠い昔、このあたりにもヒメギフチョウが飛び交うような風景が見られたかもしれない、という微かな期待にもならない想像だけが頭の中に浮かんで、消えていった。




TOPへ戻る

扉へ戻る