2014年11月
ウサギとキツネ



自動カメラがとらえたキュウシュウノウサギ  Lepus brachyurus brachyurus


 まだ人間は寝ぼけ眼で、意識もいまひとつはっきりしていない早朝のこと。(…とはいえ、「早朝」と感じているのは我が家だけのようで、周囲の農家の人たちはとっくに日常生活が始まっているのだが−。)庭に繋がれていたホタル(柴犬のような雑種犬・生後推定8ヶ月)が突然けたたましく吠え始めた。
 秋になって、どうしたわけか林の獣たちの動きが活発となっているようで、暗くなってから帰宅すると、庭にイノシシがいたり、林の中を何者かがガサガサ音を立てて歩いていたりと、榛名山麓は何かとにぎやかだ。そのたびにホタルはその方向に向かって吠え立てている。犬とはいえ、神経がすり減ってしまうのではないかと、その頻度を心配するくらいである。
 あまりの吠えように、何事…?と窓越しにホタルの様子を見てみると、やはり林の方を向いて吠えている。誰かがやって来たというのなら、入り口の方向を見ているはずだが、まるで方向が違う。
 すると、見ているすぐ前を弾丸のようにこげ茶色の塊が走り抜けていった。ウサギだった。ベランダのすぐ前、距離にして5mといったところを脱兎のごとく、その言葉の通りウサギが駆け抜けていったのだ。連れ合いも横で唖然としている。
 だが、それで終わりではなかった。その後から、今度は赤茶色の大きな塊がやはり見ている前を横切り、猛然と同じ方向に走っていったのだ。キツネだった。顔はよく見えなかったが、際だって大きい尻尾は間違いなくキツネのものだった。
 この間、わずか約1〜2秒の出来事である。見ている2人ともが唖然としているしかなかった。2頭が走り去った後には、その出来事がまるで無かったかのように、いつもの日常の風景が残されていた。あんなに吠えていたホタルもまた、いつもの様子に戻って、自分の小屋の前に立っている。日常の中に非日常の光景が一瞬だけ割って入ってきて、またすぐに戻ったという雰囲気である。

 それにしても、両者は共に夜行性のはずなのだが、この明るい時間帯に飛び出してきたウサギとキツネにはどんな経緯があったのだろうか。
 用心深いウサギが明るい時間帯にノコノコと林の中を動いていることはあまり考えられないから、この事態を引き起こしたのはおそらくキツネの都合である。
 腹を空かせたキツネが空腹に耐えかねて、昼間の時間帯にもかかわらず、食べ物を探して林の中をウロウロと歩き回っているうちに、偶然にじっと隠れていたウサギを発見して、千載一遇のチャンスとばかりに狩りを始めたのかもしれない。追われるウサギは、逃げる方向に人家があろうが、道路があろうが、もうそんなことを気にする余裕など全くなく、ひたすら逃げるのみ。そして、追うキツネも目の前にある命をつなぐための食べ物を追って夢中で追いかけていく。おそらく、キツネにとってもこのチャンスはヒトの存在など忘れてしまうほどの非日常だったのかもしれない。
 追われるウサギと、追うキツネ。この競争に勝った者には明日の命が与えられる。ウサギが負ければ、このウサギの命は永久に失われ、キツネが負ければ、食い物を得るチャンスを失う。
 キツネの寿命は10年ほどとされている。だが、野生の多くの個体は様々な事情で数年のうちに死んでしまうようである。そして、ウサギの寿命はさらに短い。肉食動物に狩られる対象のウサギはその多くが1年以上は生きられないという。

 あのウサギは逃げおおせたのだろうか。それとも、キツネが食事にありついたのだろうか。怒濤のように走り抜けていった2頭の行方はしれない。
 人間の日常では、とりあえず明日の生命を心配することはあまりない。だが、家の壁を隔てた外の空間では、ヒトの知らないところでこんな命のやり取りが行われているのだった。
 気がつけば、ヒトはいつの間にか自然から隔離され、自然の中に生きているということを忘れてしまっているのかもしれない。ヒトだけが自然の掟から逃れたと錯覚し、高いところから、神にでもなったようなつもりで自然界を眺めているのだろうか。


自動カメラがとらえたホンドキツネ Vulpes vulpes japonica

 



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