2014年10月
ツチハンミョウU


 ほとんど枯れたアザミのもとにいたツチハンミョウは、翌日になってから探しても、もうその姿を見つけることはできなかった。のろまそうで、歩くことさえ上手くなさそうなのだが、さすがにずっとそこにいるわけではなかった。自然界の黒幕が一瞬だけ姿を現したかのように、ふたたび闇の世界に戻っていってしまったようだ。
 ツチハンミョウについては、「昆虫記」で有名なアンリ・ファーブルが詳細な観察をしている。
 1823年に生まれたファーブルが「昆虫記」を書いたのは1879年から約30年間。そしてツチハンミョウやツチハンミョウの仲間のゲンセイなどを観察していたのは1855年から1858年の頃のことのようである。
 榛名山麓でツチハンミョウを目撃してから、ツチハンミョウについて書かれている「ファーブル昆虫記」を取り寄せて読んでみた。ファーブルの昆虫記は原書で全10巻の大作で、1922年にアナキズムの思想家として知られる大杉栄によって最初に翻訳本となったのをはじめとして、その後も何度もいろいろな人によって翻訳本が出版されている。
 手元に届いたファーブル昆虫記は、1991年に集英社から発行された奥本大三郎訳の「ファーブル昆虫記6」というもので、サブタイトルには「ツチハンミョウのミステリー」とある。本は奥付のページに「10歳から大人まで」のコピーがあるとおり、多くの漢字にかながふってあるジュニア向けのもので、ファーブルが書いたものを翻訳したというよりも、訳者がファーブルの原書を読んで、それをもとにして書き直したようなものだった。訳者の奥本大三郎氏は、フランス文学者としてよりも昆虫マニアとしての知名度の方が高いような人物で、大学教授の傍ら、「日本アンリファーブル会理事長」の肩書きもある。かつては日本昆虫協会の会長も務めたこともあるという筋金入りの虫屋でもある。
 自らも昆虫に関する本を著しているくらいだから、この「昆虫記」はファーブルの原書を解説するようなわかりやすさである。
 ファーブルはツチハンミョウ、そしてその仲間のゲンセイの驚くような生態を数年に渡って追跡していた。
 ファーブルが解き明かしたところによると、数千もの卵から孵ったツチハンミョウの一齢幼虫は花に隠れていて、そこにやってきたハナバチに飛び移り、ハナバチの巣に侵入し、産卵の際にハナバチの産んだ卵に飛び移って、その卵を食い、さらにそのハチの幼虫のために用意されていた蜜や花粉を食べて成長していくという。さらに、幼虫がサナギのような姿になってからもう一度幼虫の姿に戻るという過変態と名付けた不思議な現象も観察している。まさにツチハンミョウはミステリーに包まれているような昆虫だったのだ。

 ファーブルが見たツチハンミョウはいったいどんなものだったのだろうか。飛べないツチハンミョウが、遠く離れたフランスと日本で同じ種類とは考えにくい。日本のツチハンミョウもファーブルが見た150年前のツチハンミョウも、同じようにハナバチに乗ってハチの巣の中へ紛れ込む大冒険をするのだろうか。そして、そのハチの種類は…?
 ツチハンミョウの小さな一齢幼虫がハナバチに飛び移るとき、ハナバチを待っているのはキク科の花であると昆虫記には書かれている。アザミの花というのはまさにピッタリの状況だ。だが、榛名山麓のツチハンミョウのいたアザミが花をつけるのは秋のこと。ファーブルの観察したツチハンミョウの幼虫がスジハナバチにとび移るのは初夏のことである。アザミの根元にいたというのは偶然なのだろうか。
 この寒くなった10月という時期に姿を現したことを考えると、榛名山麓のツチハンミョウはヒメツチハンミョウという種類だった可能性が高い。ヒメツチハンミョウは秋に成虫となり、そのまま越冬して、春になってから産卵するという。10月中旬に見かけた個体は成虫になったばかりの個体だったのかもしれない。
 4000あるいは5000匹以上もいたはずの彼の兄弟達はおそらく、もうほとんどいない。
 榛名山麓のツチハンミョウがファーブルの観察したツチハンミョウと同じような生態であったとしたら、孵化した数千匹の幼虫たちはともにキク科の花に潜んで、花にやってきた昆虫たちにしがみついたはずだ。あるものは蝶に、あるものはハチに、あるものはアブに、あるものは何かの昆虫に…。当たりくじを引いたのは、ある種のハナバチにしがみついたものたちだけだ。この幸運な幼虫だけが食べ物のありかであるハナバチの巣へたどり着くことができた。その他の昆虫に乗ってしまった幼虫はそこで生存競争から脱落である。ファーブルの観察では、幼虫たちは何に乗るのが正解で、何が間違った選択であるのかは判断がつかないと考えている。とにかく、やって来た毛の生えた昆虫にしがみつくのだと。そして、幼虫たちが運良くハナバチにしがみつく確率はとても高いとは思えない。
 運良く正解のハナバチに乗った幼虫もそれがオスであったら、メスに乗り換えなければならない。ハナバチが産卵する瞬間にその卵に乗り移るという離れ業を行うには、メスに乗っていなければならないからだ。
 こんな宝くじを当てるような、運を天に任せるような生き方では、いくつ命があっても足りない…、いや5000、6000個程度の世代を繋ぐ候補があればそれでもよいということか。ツチハンミョウはこれまでこうやって命を繋いできたのだ。数千の犠牲を出してもその中のいくつかが生き残ればそれでよし、と。
 生命というものは不思議な存在である。
 「生命は遺伝子によって利用されている乗物に過ぎない」
 1976年、リチャード・ドーキンスは自らの著書「利己的な遺伝子(The Selfish Gene)」でそう表現した。
 ツチハンミョウという種の生き方は、たしかに遺伝子が主人公であるような生き方に思えてくる。



 





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