2013年7月
標高1000mのホタル


 7月の中旬だというのに、夜の榛名湖畔の気温は16℃。昼間の服装のまま来てしまったため、日中の暑さが嘘のように肌寒い。
 その湖面を黄緑色の光が舞う。ゲンジボタルである。湖のすぐ脇を道路が通っているが、夜の榛名湖畔を走る自動車はまばらで、ホタルの光はその道路を越えて森の中にまでゆらりゆらりと飛んでいくのだった。
 以前、榛名山の北東麓の箱島のホタルを見たことがあったが、標高300mほどのところにあるホタルの保護地は、蒸し暑く、蚊に刺されながらのホタル観賞だった。そこにはゲンジボタルとヘイケボタルが盛大に光っていたのだが、休日とあってホタルもさることながらギャラリーの人間も相当な数だった。それに比べて、この榛名湖のホタルは静かで、涼しさのために蚊の心配もない。忙しく点滅するヘイケボタルこそいないが、暗い湖面の上をゆっくりと点滅しながら飛ぶゲンジボタルの光は幻想的だった。

 榛名湖にホタルがいる、というのは何年も前に聞いてはいた。
 この榛名湖のホタルはもともと自然にここに生息していたものだったのだろうか…?
 榛名観光協会のHPによれば、「榛名湖の水質が良くなった証として」、「保護育成の努力の結果」、近年たくさんのホタルが見られるようになったという。
 ホタルはその美しい光のために、いろいろな場所で保護活動が行われたり、それまでいなかった所に他の場所から移入したり、と、いろいろなことで一時に比べればその数は増えてきたように感じられる。
 だがその反面で、遺伝子の汚染の問題も生まれてきてしまった。同じゲンジボタル(Luciola cruciata)でも関東にいるものと関西にいるものでは、発光する時間が違うというのはよく知られた事実である。鈴木浩文(オリンパス光学研究所)の「ミトコンドリアDNAからみたゲンジボタル集団の遺伝的な変異と分化」によれば、日本全国のゲンジボタルは19ものタイプに分けることができるのだとか。地理的に隔離されることで地域的に微妙な違いを維持してきたわけである。
 ところが、人間がどこか遠いところからホタルを持って来て、タイプの違うホタルのいる場所へ移入すると、地域的な特徴が失われていく。遺伝子汚染である。このまま事態が進めば、微妙に違う19タイプのゲンジボタルはやがてみんな同じになってしまうはずだ。
 良かれと思ってやっていたはずのホタルの保護活動は、「移入」という安易な方法を採ったとき、不可逆な自然破壊を引き起こし始めた。それは「餌」」として放たれたカワニナにも同じことがいえる。

 数日後、昼間の榛名湖を訪れた。ゲンジボタルの飛んでいたあたりは「ホタル保護地」ということで、「立入禁止」の看板があって湖岸に降りることはできない。
 湖畔を周遊する道路から簡単に降りることができる北岸へ回ってみた。渇水らしく、いつもよりも湖岸線は引いていて、砂浜が広く感じられた。その砂地の水際には魚種はわからないがたくさんの稚魚が群れていた。そして、水面下にはオオタニシ、シジミ、カワニナの姿。
 カワニナをいくつも拾って見てみる。どれも同じようなもので、見慣れた日本全国にいるカワニナ( Semisulcospera libertina)と違って、殻には縦肋が目立ち、そしてカワニナよりもスマートな姿だ。チリメンカワニナのように見えるが、榛名湖のビジターセンターにあるチリメンカワニナの標本とは少し違うように見える。ビジターセンターの標本と比べるとタテヒダカワニナがより近いのだが、いずれにしてもどちらかだろう。ホタルが食うにはどちらでも構わないのだろうが。
 ヒトモッコ山の北側でも湖岸に降りてみたが、そこにも同じようなカワニナがシジミとともにたくさん生息していた。榛名湖はホタルの餌としては十分な量のカワニナが生息していそうである。
 ビジターセンターには昭和2年から昭和58年にかけての榛名湖の生物の変遷が展示されていた。それによると、昭和15年に滋賀県からセタシジミが移入されたときタテヒダカワニナが混入し、それ以降増えたらしい。それ以前にも県水試の生息調査では昭和6年(1931年)にカワニナの生息を確認しているから、人為的な移入が始まる前から自然分布していた可能性も高い。
 榛名湖畔を歩きまわって、再びホタルの生息する南岸へ戻り、ホタルのたくさん飛ぶあたりにある「彩湖庵」へ昼食がてら寄ってみた。店の入口でお客を待っている歳老いた男性が目に入ったのだ。
 生まれてからずっと榛名湖畔で暮らしてきたという老いた男性は昔のことをよく憶えていた。
 話によると、現在の場所にホタルが発生するようになったのは、それほど昔のことではなく、10〜15年くらい前のこと。それ以前はヒトモッコ山の北の湖岸線に発生していたというのだ。ヒトモッコ山というのは榛名富士の西側にある小さな丘のような場所で、榛名湖の東側に小さな半島のような地形を作っている。発生場所が移動したのがどんな理由なのかはわからない。そして、さらに前は、榛名湖から唯一流れ出る河川である沼尾川の流れ出し口あたりにいたのだとか。それが、沼尾川の改修で生息していた場所がコンクリートで固められてしまったときを境として、湖畔ぞいに南へ移動し、ヒトモッコ山の北側に移ったのだという。それが、その男性の知っているホタルについての一番古い記憶だった。50〜60年も昔のことだという。
 護岸をコンクリートで固められるというのはホタルにとっては致命的なことだ。ゲンジボタルの幼虫は水中にいるが、サナギになるときには陸上の土の中に入る。コンクリートで岸辺を固められてしまったら、サナギになる場所がなくなってしまうのだ。沼尾川の流れ出し口からヒトモッコ山の北の湖岸に移動したのは、棲みかを追われたということだ。
 榛名湖のホタルは、戦後のいわゆる高度経済成長期にはすでにそこにいたということになる。おそらくはそれ以前もそこに自然な姿でいたのだろう。
 それにしても、最初にいた場所が沼尾川の流れ出し口というのが興味深い。沼尾川をずっと下っていくと、やがて吾妻川に合流するのだが、この合流する近くにホタルの保護地である箱島があるのだ。箱島のホタルもそこに昔からいたものであると聞いた。
 カルデラ湖である榛名湖に最初からホタルがいるはずもないのだが、榛名湖のホタルが人間の手によらず、自然にそこに生息するようになったとすれば、箱島のあたりにいたゲンジボタルが餌となるカワニナとともに沼尾川を遡上し、榛名湖にまでたどり着いたというシナリオも書けそうである。


     


 
   2016年11月3日 追記

 榛名山に生息しているカワニナについて、殻の形状を再検討しました。螺層角、殻底肋の数、次体層の縦肋の数、等を確認し、また、浅い場所の砂礫という生息環境から、ハベカワニナ −Semisulcospira habei − が最も近い種ではないかと推測しました。そのうえで、 日本淡水魚類愛護会 の運営している 日本産カワニナ科図鑑 でも見ていただき、種名まで確定はできないものの、あえて同定すればハベカワニナとなるだろうとの答えをいただきました。また、胎殻がわかればさらにその同定に重みが増すとのコメントもありましたので、いつになるかわりませんが、胎殻を確認したいと思います。
 




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