2013年12月
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遠 雷 |
夜明けの東の空に現れたアイソン彗星、そしてラブジョイ彗星を見るために、明け方、何度となく訪れた榛名山・高根展望台。 伊香保温泉のはるか上に位置するそこからは、北の方向に上越国境の山々が連なって見える。群馬と新潟を分ける谷川岳、仙ノ倉岳、白砂山といった山々は、太平洋と日本海の分水嶺でもある。 眼下の高崎、前橋、渋川の大きな街の光は、北へ向かい、利根川の流れを遡りながら、渋川から沼田、月夜野、水上へと続く一本の太い光の帯となって続いていく。この光の帯は、利根川に沿いながら、新潟へ続く上越線、国道17号線の線とも重なる。そして、その延長上にあるのは上越国境の三国峠、あるいは清水峠。 関東平野上空に星空が広がった夜にこの高根展望台に上がってみると、かなりの確率で上越国境の山の向こう側には、雷光が光っていた。そして、その山並みの黒いシルエットの向こうには低くへばりつくようにして雲が地平線近くにあった。ときには、その山々さえ雲が隠している場合もある。 そんなときに、上空にカシオペア、ペルセウス、おおぐま、こぐまといった北天の星座達が光り輝いている下で、時々、一瞬だけ空をまばゆい閃光が輝く。日本列島を大きく分ける分水嶺の向こう側で光っている雷の光・幕雷である。 榛名山から三国峠まで約32km。雷鳴はここまでは届いてこない。あの光の下は雪だろうか。星空の中、地平線付近だけで、音もなく雷が光っている光景というのは不思議なものである。 一瞬、稲妻が黒い山のシルエットから上空へ向かって走ったのが見えた。雷は空から地面に“落ちる”というイメージが強いけれど、いつもそうとばかりは限らない。 雷のメカニズムは完全には説き明かされてはいないようだが、基本的には静電気の放電である。雲の中の氷粒が擦れあって静電気を生じ、正の電荷と負の電荷に分かれて、電位差ができると、通常は空気中を電子が飛ぶことはないのだが、その電位差が限界を超えたとき、絶縁のはずの空気中を負から正に向かって電子が飛ぶ。そのときの電位差は300万V/mとも500万V/mともいわれる。一度飛び出した電子は、空気中の他の原子に衝突し、そこから電子をさらに叩きだして、負の電荷を持った電子は正の電荷の方向へ飛ぶ。逆に電子を失った原子は正の電荷のプラズマとなって負の電荷の方向へと飛ぶ。こうして、雪崩のように、電子とプラズマとなった原子がそれぞれの電極へと一気に流れていくというのが稲妻の正体である、と説明されている。 なぜそうなるのか、という理論は別として、雷雲の中では雲の上部に正の電荷、下部に負の電荷が集まることもわかっている。それゆえ、雲の内部で放電が起こるときには、電子は下から上に飛ぶことになる。この場合は、稲妻が地面に届くことはないから、落雷にはならない。 ところが、雲の下部が負に帯電していると、それに対応して、地面の地表には正の電荷が集まってくることになる。静電誘導という現象である。このとき、上空の雲の正の電荷の電位差と、地面との電位差を比較したとき、地面との電位差の方が大きかった場合には、電子は電位差の大きい地面に向かって飛ぶ。落雷である。 地表が熱せられて、上昇気流が生まれたときにできる夏の熱雷は、時には成層圏の一番下まで到達するような雄大な積乱雲を形成する。こんなとき、積乱雲の一番下の部分は負に帯電しているから、稲妻はセオリー通り雲から地面へと走り、雷が“落ちる”ことになる。 ところが、冬の、とくに日本海側でできる雷雲は背が低く、その上、上空の高さによって強さの違う風によって、雲の粒が流され、本来、上に正、下に負として分布するはずの氷粒は水平方向に引き延ばされ、上空が正になったり、負になったりする場所ができることになるらしい。そんなとき、たまたま上空に正の電荷がたまった状態になると、静電誘導により地面は負に帯電して、稲妻が地面から雲に向かって走ることにがおこるのだという。 北の地平線から上空に飛んだ稲妻は、上に向かっていくつかに枝分かれして、1本の立ち木のような形になった。雲から落ちてくる通常の稲妻の形とは上下が逆さである。それは、夏の遠花火のようでもあった。 凍りつくような冷気の中の満天の星空の下で、音もなく一晩中光り続ける冬の稲妻は神秘的で、まるで別世界の出来事を遠くから眺めているようであった。 |
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