2013年11月

夜明けの空に ISON をもとめて


 ISON彗星(C/2012S1)。 International Scientific Optical Network の頭文字をとってつけられた名前を持つ彗星が発見されたのは2012年9月21日のことだった。6.3天文単位という地球からはるか彼方で発見されたときの明るさは19等級。計算された軌道が太陽をかすめるように飛び去っていくサングレイザーと呼ばれるタイプの彗星とわかって、太陽に最接近したときには肉眼で見えるになるのではないかとにわかに注目を集めることとなった。一時は太陽に最も接近したときには−13等級にもなるのではないかと騒がれたものだ。だが、その後、予想は下方修正され、現在は最接近時に−6等の見積もりとなっている。もっとも、この最接近のときは太陽に重なるようになってしまうため、我々が彗星を見るのはおそらく不可能で、太陽観測衛星SOHOの画像をインターネット上で見ることになるのだろう。
 それでも、その太陽最接近の前後では肉眼で見えるような彗星になる予想で、見逃すわけにはいかない。なにしろ、このサングレイザーの彗星たちは、太陽に接近すると大化けするものが多いのだ。2011年に太陽をかすめていったラブジョイ彗星(C/2011W3)は南半球でものすごく長い尾を披露してくれたし、今や伝説となった1965年の池谷・関彗星(C/1965S1)もこのタイプだ。

 10月の中旬になって、撮影されたアイソン彗星の画像がインターネット上に流れてくるようになった。
 気合いの入った人の中にはすでに8月のうちにこの彗星の姿を捉えている人もいたが、本格的に多くの人が撮影に動き出したのは、おそらく10月の満月の前からだろう。
 天文業界?では前年が金環食、金星の日面通過、金星食と「“金”イヤー」だったのに対して、2013年は「彗星イヤー」といわれている。年始めのパンスターズ彗星から始まった「彗星イヤー」は年末になって、本命のアイソン彗星が登場してクライマックスを迎えようとしている。秋から冬の夜明け前の東の空にはアイソン彗星をはじめとして、ラブジョイ彗星(C/2013R1)、エンケ彗星(2P/エンケ周期彗星)、リニア彗星(C/2012X1)と4つもの彗星が8等級を切るような明るさで輝いている。こんなにたくさんの彗星が一緒に明るくなるというのはあまり記憶がない。
 ところが、今年は10月になっても暖かい夏の空気が榛名山上空に頑張っていて、いつまでも冬の透明度の高い乾いた空気はやってこなかった。夏の名残の水蒸気の多い空気はどんよりとした雲をつくり、毎日のように意地悪く星空を覆い隠していた。その晴天率は関東平野よりもはるかに悪い。ときには、深夜の時間帯には曇っていたのに、朝起きると透明度の高い青空が広がっていたようなときもあったけれど、おおむね淡い彗星を見るのには向かない日々が続いていた。
そんなふうにして、いつの間にか10月の満月を迎えてしまった。
 月の出は毎日毎日約50分くらいずつ遅くなっていくから、月没も遅くなる。満月から次の新月が近づくしばらくの間は、夜明けの空は明るくて彗星を見るどころではない。

 チャンスが訪れたかに思えたのは10月31日のことだった。夜半前、久しぶりに透明度の高い星空が榛名山の上空にあった。この日の月齢は26。明け方には新月を目前に控えた細い月が東の空にあるはずである。だが、そのくらいの月明かりは許容範囲だろう。
 午前2時。空は晴れて、南の空に立ち上がっている。行動開始だ。
 自宅では雑木林に阻まれて東の地平線付近は視界が無いので、望遠鏡を持ってどこか東の空が見える場所まで移動しなければならない。榛名山の山頂カルデラ付近の良さそうな場所が頭に浮かぶが、そこまで行くにはそれなりの時間が必要だ。
 バラした望遠鏡と撮影に必要な一式を自動車に詰め込んで、出発。結局、この日の目的地は自宅からそう離れていないところにある廃屋の前だった。走行時間はわずか数分。だが、たったこの数分の間に晴れていた空には怪しい雲が出現し始めていた。
 それでも、そんな雲は一時的なものであってほしいと願いながら、望遠鏡やらカメラのセットを始める。準備が完了するまで約30分。期待に反して、空の中で雲の占める面積が次第に多くなってきたのがわかった。
 一番容易に撮影できそうなのは、かに座にいるラブジョイ彗星である。しかし、この日はかに座とうみへび座の境界付近にいるはずなのだが、どうしても捉えられない。高度はそこそこ高い位置にあるのだが、雲は榛名山の西から天頂付近にかけて覆ってしまっていたのだった。見えそうで見えないところを雲が通過して行く。結局、雲の通り道となってしまったような場所にラブジョイ彗星は最後まで隠れ続けていた。
 ラブジョイ彗星を隠し続けた雲は、それでも東の方角だけは星空をかろうじて見せてくれていた。関東平野の上空は晴れているようだ。アイソン彗星のいるはずのしし座は、雲の合間に見え隠れてしている。

 夜明け間近。ついに雲間にアイソン彗星の姿を捉えた。関東平野の光と薄雲と薄明の始まった東の空は、星の光を見分けるのが難しいくらいとなっていた。肉眼でも双眼鏡でも全くわからない。かろうじて、30秒の露光時間でカメラが捉えた姿だけがアイソン彗星がそこに存在していることを教えてくれていた。



2013年10月31日のアイソン彗星

 2日後の11月2日。雨上がりの後に晴れ間が訪れた。
 月の姿が無くなった夜明けの空はこれから約半月続く。彗星を捉えるチャンスだが、これからアイソン彗星もラブジョイ彗星もエンケ彗星もみんな太陽の方向へどんどんと移動していってしまう。明るくなると同時に、より明け方の低空の空へ移動していってしまうので、見つけるのはより困難になることだろう。
 午前2時過ぎ、2日前と同じ場所へ。今度はよく晴れている。アイソン彗星が良い位置へ昇ってくるまで晴れ間は持ちそうだ。望遠鏡をセットする間も晴れ間は持続している。だが、望遠鏡を組み立てながら気がついたのはまとわりつくような湿気だった。足下も濡れている。立てた三脚もぬかるんだ土の上である。
 晴れた空で、高度の高い位置にあったかに座のラブジョイ彗星はあっけなく捉えられた。双眼鏡でも拡散した姿がよくわかる。
 ところが、カメラの構図を決め、撮影をしてみると星が流れてしまうのだ。星が流れるというのは、シャッターを開け、カメラの撮像素子に光が当たっている間にカメラが動いてしまうということだ。うまく写っているときには、星の動きに合わせて望遠鏡が正確に星を追尾し、カメラの撮像素子の一点だけにその星の光が当たって、星は点として写るのだが、カメラの向きが星の向きと異なった動きをすると、星は線となってしまう。
 こんなとき、原因として最初に疑うのは赤道儀の極軸のセッティングミスだ。だが、極軸を確認するが、狂っている様子はない。バランスもだいたい合っている。クランプ等、締めるべき部分は締まっていて、ガタつくところはない。どうしてうまく追尾してくれないのかわからないまま時間だけが刻々と過ぎていった。
 そうして、気がついたとき、望遠鏡のファインダー、そして望遠鏡のレンズまでが結露し、極度のソフトフォーカスがかかったような状態となってしまっていた。これでは撮影どころではない。こんなときはドライヤーなどで暖かい空気を送ってやればいいのだが、そんなものはない。もはやなす術はなかった。
 この日、アイソン彗星のいる場所が晴れていたのにもかかわらず、またしてもその姿を捉えることなく夜が明けていった。

 さらにその3日後。11月5日の早朝。前回の教訓から、水蒸気の上がりやすい草の近くを避け、さらに足場の良いアスファルトで固められた場所、という条件で撮影場所を探した。もちろん東の空がよく見えるというのは必須条件である。そうして、思いついたのは、倉渕町から二度上峠に向かう途中の駐車場だった。ここまでは約20分の道のりである。
 ところが、である。自宅で望遠鏡を積み込んでいたときには満天の星空だったのに、目的地について、上空を見上げると、星など一つも見えない。見事に全天を雲が覆っていたのだった。冬型の気圧配置が強まったとき、関東平野は快晴なのにこのあたりは雪になることがあるから、この日も似たような条件になっていたのかもしれない。
 そうとなれば、そこに長居は無用だ。晴れ間をもとめて、やって来た道を戻り、晴れていた榛名山麓へ。
 だが、あれほど晴れていた榛名山麓にも雲は押し寄せてきた。二度上峠の方からやってきた雲は、次第に上空を覆い、そして、関東平野の上空へと流れていった。
 そんな中、半分あきらめながらも、もしや…、という気持ちで望遠鏡を組み立て、わずかな晴れ間をついて北極星を見定めて極軸を合わせて、晴れ間を待った。
 そして、やはり時間だけがゆっくりと流れていった。


 翌日。11月6日の早朝。意を決して榛名山・高根展望台へ。標高1000mを少し超える高根展望台は榛名山の山頂から少し東に下ったところにあって、眼下に伊香保温泉、そして渋川市、前橋市、高崎市、さらに利根川の流れにそって沼田市の方向まで見通せる絶好の展望台である。
 自宅を出発するときは、やはり快晴の星空だった。風も少しあるが、風があるときは寒いけれど、結露の心配は少ない。
 東吾妻町の原町方向から榛名山山頂へ続く県道28号を上りつめると、山頂カルデラの外輪山の峠になる。設置されている温度計は2℃を示していた。
 ところが、峠から山頂カルデラの内部にある榛名湖に向かって降りていくと、あろうことか霧が立ちこめてきた。榛名山のカルデラ内は榛名湖から発生するらしい霧に覆われていたのだ。またしても…?
 暗い気持ちで榛名湖のあるカルデラ内部を慎重に走り抜けていく。榛名湖周辺では何度か霧に巻かれたことがあるけれど、原料がいくらでもあるためか、ここの霧は一度発生するととても濃い。湖畔の抜け、沼ノ原の長い直線の道も霧の中だ。やがてヤセオネ峠。ヤセオネ峠は榛名カルデラの東側の縁にあたる。ここからは榛名山の東の斜面をつづら折りに伊香保へと下る道となるのだが、ここまで来たときに、視界がパッと晴れた。上ってきた榛名山の北西の山腹がきれいに晴れていたように、東側も晴れていたのだ。榛名山のカルデラ内部だけが雲の中だったことになる。
 高根展望台上空は快晴の星空が広がっていた。地上には渋川、前橋、高崎のまばゆい夜景。星を見るには邪魔な光だが、東の展望は抜群だ。しし座も、北斗七星も立ち上がってきている。しし座の足下にはアイソン彗星、天高く上ったかに座にはラブジョイ彗星がいるはずだ。
 ラブジョイ彗星は双眼鏡ではっきり捉えられた。そして、しし座のアイソン彗星もそのいるべき場所に望遠鏡を向けて撮影をすると、真っ直ぐな緑色の尾をのばして写ってきた。地平線から上ってきたおとめ座には、前橋上空の光と地平線付近の霞に邪魔されながらもエンケ彗星の姿も捉えられた。
 ここでタイムアップ。10月20にアウトバーストして大増光したリニア彗星は、うしかい座にいるはずだが、残念ながら朝の光に追いつかれてしまった。夜明けの空に4つの彗星を見つけるのはとても忙しいものだ。


2013年11月6日のアイソン彗星(C/2012S1)

2013年11月6日のエンケ彗星(2P)

 リニア彗星を確認できたのは、さらに5日後の11月11日。場所は同じく高根展望台で、このときはアイソン彗星、ラブジョイ彗星、リニア彗星を確認できたが、エンケ彗星はついに見つけられなかった。
 ラブジョイ彗星もアイソン彗星もこれからどんどんと太陽に近づきながら明るさを増していく。しばらくは、夜明けの東の空から目が離せない。“彗星イヤー”の本当のクライマックスはこれからである。


2013年11月11日のラブジョイ彗星(C/2013R1)

2013年11月11日のリニア彗星(C/2012X1)


2013年11月11日のアイソン彗星




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