2013年10月

ヘビの記憶  ビロードスズメ


 連れ合いの最大の天敵は、おそらくヘビで間違いない。
 いっしょにいるときにヘビに遭遇すると大変なことになる。ヘビを認識したとたん、なりふり構わず、ギャ〜と声を上げると同時に逃げ出し、その巻き添いをくって、突き飛ばされ、あるいは、何かをぶつけられたりして、こちらも痛い目にあう。そして、本人もたいていの場合、その後に転んだり、何かにぶつかったりしてやはり痛い目にあうのである。
 一年にこんなことが数回はある。

 連れ合いによれば、人間のDNAには哺乳類が爬虫類にいじめられていた頃の記憶が記録されていて、本能的にヘビを恐れるのだという。
 だが、たった4種類の塩基で作られる配列にそんな記憶まで本当に記録されているというのは少し信じがたいし、現代の科学でもそれは明らかにされていない。
 そもそも記憶とは何なのだろう。
 脳科学は、記憶は大脳の側頭葉や大脳辺縁系の海馬に司られているらしいと突き止めた。さらに、恐怖を伴った記憶は大脳辺縁系の扁桃体に保持されているらしいとも。だが、これはあくまでその個人が経験したことで、そこに祖先の記憶が残っているというわけではない。本能的な働きを司るのは脳の奥の方に位置するやはり大脳辺縁系が重要な役割を果たすらしいということもわかっている。とはいえ、本能そのものの理解もまだ曖昧な部分がたくさんあって、本質が何なのかははっきりとはしない。
 ミーム仮説というのがある。イギリスの生物学者であるリチャード・ドーキンスが1976年「利己的な遺伝子」の中で最初にその考え方を示し、ミームという言葉を使った。
 生物学的進化の担い手がDNAであるのに対して、文化的進化の原因として、DNAと同じような働きをする「心の遺伝子」ともいえる“ミーム”というものを仮定したのである。ものすごく大雑把に捉えると、この“ミーム”が祖先の心を子孫へ伝えていく役割を担っているという考え方である。ただ、「ミーム」は生物学的な解釈、社会科学的な解釈、人類学的な解釈etc 様々な解釈があって、視点が様々な上、DNAが糖とリン酸と塩基で作られる物質として特定されているのに対して、「ミーム」を形成する物質は明らかにされていない。そして、そのメカニズムも曖昧なままで、科学的な裏付けはそれほどされているようには思えない。だから、「仮説」なのである。
 だが、そのミームがもし存在するとすれば、はじめの頃の人類がヘビを「恐ろしいもの」と認識し、ミームに記録され、子孫に伝えられていくということも説明がつくのかもしれない。

 秋が深まってきた雑木林の林床に、そんな人類が持っているかもしれない記憶を刺激するような生物に出会った。
 それはヘビではなく、イモムシだった。
 ビロードスズメ。スズメガの仲間の幼虫である。スズメガの幼虫は一般的に、終齢幼虫ともなれば人の指くらいになるものが多く、イモムシの姿をしている。そして、その尾部には、それが何の役割をしているのかはわからないが、一本の突起がくっついているのだった。
 ビロードスズメの幼虫も例にもれず、小指ほどの大きさで、尾部に突起がついている。 問題は、茶色いその姿だ。
 脚が写らないようにしてこの幼虫の前半分をクローズアップで写真に撮って、誰かに見せれば、慌て者の何人かはヘビの写真だと勘違いするかもしれない。
 大きさを考えなければ、このイモムシの姿は寸づまりの小さなヘビの姿によく似ているのだ。
 このイモムシも昆虫によくある目玉模様を持っていて、それはまるでヘビの目玉のように見える場所に効果的に使われている。その上、茶色の体にはヘビのウロコを思わせるような模様まで入っている。さらには、危機を感じ取ったときには、ヘビの頭部に相当する部分を膨らませて、その部分を持ちあげて威嚇するような真似をするという念の入れようだ。まるで、自らがヘビであるかのような振る舞いである。
 “ツチノコ”の子供だ、といって見せれば、もしかしたら信じる人だっているかもしれない。スズメガの幼虫の尾部についている突起は、ビロードスズメに限っては、ツチノコの尻尾のダミーとなり得る気もしないではない。もちろん、それは人間相手にツチノコを騙る場合だけだろうけれど。
 そして、そのヘビのような姿をしたイモムシがくっついていた植物がマムシグサだったというのがおもしろい。この幼虫の成長に使われたのか、すでに2枚あった大きな葉はほとんど食い尽くされ、残っているのは、その2枚の葉が付いていた葉鞘と花の付いていた茎だけになっていた。
 マムシグサはいわゆる花である仏炎苞がカマ首を持ち上げたマムシの顔のように見えるし、茎(偽茎)にはヘビのウロコのような模様が付いている。マムシグサまでヘビの真似をしているとは考え難いが、ヘビ似の昆虫が、ヘビ似の植物を食べるという、妙な組み合わせはできすぎた話だ。
 ところで、ビロードスズメの近縁にはミスジビロードスズメというのがいて、2年前には家のアジサイを丸坊主にしてしまった。こちらのイモムシは緑色で、やはり目玉模様を持っているのだが、何かのキャラクターにしてもいいくらいのかわいい姿である。
 両者はスズメガ科ホウシャク亜科のRhagastis属という同属で、成虫の蛾の姿はよく似ている。ところが、幼虫は似ても似つかぬ姿なのだ。この違いはDNAの塩基配列にして何個分に相当するのだろうか。そして、いつ、どこで両者の系統樹が枝分かれしてきたのか、興味は尽きない。
 さて、このビロードスズメの幼虫はヒトのミームに影響を与えるようなインパクトを持っているのだろうか。連れ合いを連れて来て試してみたい気もするが、ビロードスズメが退治されてしまってはかわいそうなので、“実験”は未だ決行できないでいる。

 ビロードスズメ Rhagastis mongoliana



顔をアップで見ると、もっとヘビに見えてくる


こんなふうに写すと、もっとヘビっぽい?






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