2013年10月
10月のホタル


 月明かりのない夜の雑木林は漆黒の闇につつまれる。
 上空にはついさっきまでは星空があったのだが、南の方から拡がってきた雲は急速に星の光を隠してしまった。見上げれば、雑木林の木々は黒いシルエットとなり、それに比べて、雲のある夜空がとても明るく見えている。人工の光の無い雑木林は、街の中では考えられないほどの暗闇を作り出す。
 その暗黒の中に、小さな光る点があった。目を凝らすと、黄緑色の小さな光が、光っては数秒のうちに消える、ということを繰り返している。ライトをつけずに、暗闇の中でじっとしていると、そんなゆっくりとした光の点滅が、そこ、ここと数カ所で見つけられた。
 この光の点の存在は以前から知っていて、その光の正体が何かの、おそらくはホタルの仲間の幼虫らしいということまでは突き止めていた。夜の雑木林で、その光を見つけて、そっと近づき、場所を特定したあとでライトで照らしてみれば、その姿を見つけるのは容易なことだった。ゲンジボタルのように飛び回ることがなく、草の上や落ち葉の上にじっとしているので、光るのをじっと待っていれば、その場所を教えてくれるのだから。
 あらためてこの正体を見極めてやろうと、そのうちの1匹を採集して、室内へ持ち帰ってみた。ピンセットでつまんで、紙の上に置いてみると、死んだふりをして、微動だにしなくなってしまった。暴れないのを幸いに、ひっくり返してみると、尾部に並んで2つの発光器があるのがわかる。この様子はやはりホタルの幼虫のようだ。
 ホタルというと、最初にイメージされるのはゲンジボタルとヘイケボタルで、幼虫が水中にいるのはよく知られている。だが、世界的には2000種はいるとされているホタルの仲間のほとんどは陸生で、日本にいるという47種も、5種だけが水生で、他は陸生だという。だから、ホタルの幼虫が陸上にいるのは当たり前で、むしろ幼虫が水中にいるのが珍しいのである。
 このあたりで見かけたことがあるゲンジボタルとヘイケボタル以外のホタルといえば、クロマドボタルとオバボタルあるいはオオオバボタルというのがいる。この3種の幼虫の姿を比較してみると、最も似ているのはクロマドボタルだった。似ているというより、まさにそのものという感じだ。そして、その生活場所も、オバボタルの幼虫は土壌中、オオオバボタルは朽ち木の中ということで、草の上に出て光るのはクロマドボタルしかいない。
 クロマドボタルの幼虫はよく光るので昔から知られているらしく、“秋蛍”の名前を持っているのだとか。暗闇の雑木林で光っているのは、その光り様、姿、そしてその行動パターンからして、クロマドボタルの幼虫と断定してよさそうだ。
 クロマドボタルの成虫の姿は、黒い前胸背板に黒い上翅で、ゲンジボタルやヘイケボタルのように全胸背板に赤い斑紋はない。その代わりに、全胸背板の前の方には2つの丸い小さな透明な部分があって、まるでそこに眼があるように見える。これが“窓”とみなされたものだろう。
 こんな姿のホタルは7月のころ、昼間飛んでいるのをよく見た。クロマドボタルは昼間活動するのだ。飛んでいるところを捕まえて、ひっくり返して腹側を見ると、小さな発光器らしいものがあるのだが、明るいところでは何の役にも立ちはしない。もっとも、その発光器も微かな光しか出さないというから、暗闇の中で飛んだとしても、どれほどの効果があるのかは疑問である。とはいえ、発光器を持ちながら、昼間飛ぶというその行動には理解に苦しむ。
 だが、こんな姿をしているのはオスだけで、クロマドボタルのメスはとてもホタルとは思えないような姿をしている。図鑑等でしか見たことがないのだが、翅が退化し、全く無いか、あってもほんの痕跡程度にしか残っていないのである。飛び回るオスはよく目にするのだが、飛べないメスはどこかにいるのだろうが、未だに見つけたことがない。
 クロマドボタルの成虫は昼間活動し、幼虫は夜光る。ゲンジボタルやヘイケボタルはその光でコミュニケーションをとっているのだという。だが、幼虫の段階ではそんな必要はおそらく無い。いったい、何のために幼虫は光っているのか。それは未だに謎なのだそうだ。このクロマドボタルの説明のつかない行動には、何か理屈がつくのだろうか。


葉の上の幼虫

幼虫の腹側
尾部にハの字に2つの発光器がある

 明るい所に連れてこられた幼虫は、しばらく死んだふりを続けた後、突然スイッチが入ったかのように動き出した。
 何を食べるのだろうか…?知らない動物を見つけたとき、まず頭に浮かぶいくつかの疑問の一つはこれだ。
 ゲンジボタルの幼虫の餌はカワニナ。ヘイケボタルはタニシやモノアラガイ。ホタルの幼虫の食べるものといえばまず思いつくのは巻き貝だ。とすれば、陸産のホタルならばカタツムリだろうか。
 ところが、昔はいくらでもいたと思っていたカタツムリだが、見かけることは珍しくなってしまった。ここ榛名山麓でも、いざ見つけようと思ってもすぐには見つからない。そこで、水槽の中に発生しているサカマキガイを1匹幼虫のそばに置いてみた。
 サカマキガイはモノアラガイとよく似た淡水にいる巻き貝だが、モノアラガイとはその貝殻の巻き方が逆で、左巻きである。水の中にいるくせにエラがなく、薄い外套膜を通して直接空気を取り込むということをしている。分類上は有肺目というとこに入る。モノアラガイも同じ有肺目である。
 すると、置いて5分も経たないうちに、幼虫はサカマキガイにとりついていた。どうやって、そのサカマキガイを察知したのか、目を離したちょっとしたの間のことだ。そうして、しばらくの間、サカマキガイの貝殻の上に頭部を置いていた幼虫だったが、1〜2時間後にもう一度見ると、今度はすっかりとサカマキガイの貝殻の中に頭をつっこみ、食いついていた。明らかに食っている。そのまま放っておいたら、数時間をかけて小さなサカマキガイを完食してしまった。
 おそらく、それまで食べたことがなかったであろうサカマキガイだったが、クロマドボタルは餌として認識したのだ。その後、何度かサカマキガイを与えたが、そのたびに食いつき、食べ尽くした。
 後に、クロマドボタルについて書かれているものをいくつか読むと、幼虫は他のホタルと同じように肉食性で、陸産の貝− つまりはマイマイの仲間を食べるらしいという記述がいくつかあった。
 「クロマドボタルの生活史と幼虫の斑紋変異」(2002 修士論文)という群馬大学大学院教育学研究科の大谷雅昭氏の論文には、クロマドボタルの幼虫が何を食べるのか、という実験が報告されている。群馬県藤岡市上日野のクロマドボタルで調べたもので、ウスカワマイマイ、ナミギセル、オナジマイマイ、カワニナ、ヒメタニシ、モノアラガイ、ナメクジ、といったものを試している。これらのうち、幼虫と同じ所に生息しているウスカワマイマイ、ナミギセルと陸産貝類であるオナジマイマイは捕食。モノアラガイには一時的に食いつくが、食べるまでには至らず。カワニナ、ヒメタニシ、ナメクジは食べなかった。という結果がある。大谷氏は考察の中で、「陸生のナメクジや水生貝類は食べないことがわかった。」とまとめている。
 この論文よれば、サカマキガイは実験されていないが、モノアラガイは食わない、ということになっている。よく似ているのに、食う食わないの好みの違いはどこにあるのだろうか。あるいは、地域差もあるのだろうか。藤岡のクロマドボタルは食わないけれど、榛名山麓のは食べる…とか。榛名山麓のクロマドボタルにモノアラガイを与えてみるというのはおもしろい実験になるかもしれない。
 10月のホタルはまだまだ解き明かされない謎を秘めていそうである。



サカマキガイに取りついた幼虫

貝殻の中に頭を突っ込んでお食事中





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