雑木林の入り口のようになっている林の縁で、巨大な毛虫の落としたらしいフンが目にとまった。そこはムラサキシキブの枝の上にノブドウやセンニンソウなどの蔓性の植物が絡み合ったような場所で、雑木林への侵入を阻んでいるいわゆる“マント植物”の領域だった。
フンはパイナップル、あるいは手榴弾のような形をしていて、ちょっと緑色がかった黒。毛虫やイモムシのフンはよく見るけれど、ここまで大きいのは珍しい。俵型のフンの長径は1cm近くにもなる。(あとで測ったら9mmだった)
こんな大きいのを落とすのはよほどの大物だろうと上を見るが、それらしいものは見当たらなかった。どこにいるのだろうと、少しの間キョロキョロと周囲を見回していると、まわりで時おり、パラ…パラ… と音がする。フンの降ってくる音だ。これはすぐ上というよりも相当上の方からの落下音のようだ。
探す視線をもっと上の方へ向けると…いた!巨大な薄青色の毛虫だ。頭上のはるか上方、蔓の植物たちの上に葉を出していたヌルデにくっついている。
その巨大なこと。10cmはあろうかという長さ、そして長い毛が生えているので、実体の2倍くらいの太さに見える。大迫力の毛虫だ。1匹みつかると、ここにも、そこにも、あっちにも…と、次々に目に入ってくる。見上げなければ視界に入ってこない頭上のヌルデの葉は、気がつかない間に、丸坊主とまではいかないものの、よってたかって食い散らかされていたのだった。
その巨大さからして、そしてその色彩と毛の長さからして、これはクスサンの幼虫だ。別名“白髪太郎”。あるいは“白髪太夫”とも。
クスサンはヤママユガの仲間の蛾である。幼虫が巨大ならもちろん成虫も巨大な姿となる。そして、幼虫の巨大さも驚くが、そのマユの形もユニークだ。
ヤママユガの仲間では、ウスビタガが黄緑色の“ツリカマス”と呼ばれる美しいマユを作ったり、ヤママユガが薄黄色のカイコのようなマユを作ったりするが、クスサンのマユは“スカシダワラ”の名前で呼ばれる。幼虫は糸をより合わせて網目のものすごく粗いマユを作り上げるのだが、粗い網目のために、このマユはシースルーなのだ。
これには、高温多湿な梅雨の季節を過ごすための工夫という説もある。クスサンが羽化するのは、他のヤママユガに比べて早く、まだそう寒くならないような秋口には飛び立つから、マユのすべてをふさいで保温に力をそそぐ代わりに、高温多湿に対応したと考えるのは確かに理にかなっているように思える。
この巨大な幼虫の食欲は旺盛だ。これだけ巨大な体を作るのだから食べないわけがない。そのうえ、大飯食らいの兄弟がたくさんいるから、クスサンの幼虫が発生するとたちまちのうちに葉が丸坊主になってしまう。そうすると、幼虫たちは食糧難で困ることになりそうなのだが、うまくできたもので、このクスサンは偏食がないらしい。なんでもよく食う健康優良児である。昆虫の多くは「この植物しか食わない」という頑ななものが多いようだけれど、クスサンには当てはまらない。たまたまこのクスサンはヌルデを食っていたけれど、クリ、コナラ、クヌギ、サクラ、ウメ、イチョウ、ウルシ、クスノキ… なんでも来いなのだ。おかげで一つの木を丸坊主にしたとしても、そう食料に困ることはなさそうである。
だが、羽化して蛾となったクスサンには、もはやエネルギーを取り入れる口はない。他のヤママユガの仲間も同様である。口吻は退化してしまっているのだ。
蛾となって翅を羽ばたかせる力も、交尾する力も、卵を産む力も、すべてはこの幼虫時代に蓄えたエネルギーだけが頼りなのである。このエネルギーを使い果たしたとき、クスサンの命が終わる。幼虫時代に蓄えたエネルギーを使い切る前に、次の世代を残さなければならない宿命を背負っているのである。
ヌルデをムシャムシャ! |
この巨大さ! |
これがスカシダワラ
2005.5.10. 榛名山麓で撮影
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数日後、あんなにたくさんいた幼虫たちは1匹を残してみんないなくなってしまっていた。その時期を知り、スカシダワラを作って中に籠もったのか。あの大きさからすれば、もう蛹になってもよい頃だった。
だが、少しその周囲を探してみたけれど、スカシダワラは一つも見つけることはできなかった。ウスタビガのツリカマスもそうだけれど、葉の茂った時期にマユを探し出すのは簡単なことではない。おそらくは少し離れた所で上手に葉を利用しながらスカシダワラを作って時を待っていることだろう。
初秋、巨大なクスサンが夜の闇に力の限り飛ぶ姿を見ることができるだろうか。
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