“ブゥーン”という低周波の大きな羽音が背後から聞こえてきた。 この羽音からすぐ連想されるのはスズメバチの仲間だ。中でも人の親指ほどもあるオオスズメバチは恐怖を感じる存在である。偵察らしいオオスズメバチやキイロスズメバチがときどき我が物顔で庭先を横切り、ときには家の中まで偵察していくこともあって、この羽音は無視できない音なのだ。音源を特定しないことには安心できない。 ちょっと警戒して振り返ると、大きな黒いハチがホバリングしているのが見えた。大きさはスズメバチにもひけをとらないが、これはクマバチだった。こちらはスズメバチと違って、捕まえでもしなければ刺されることなどないというおとなしいハチである。 クマバチはその大きさと名前からずいぶんと怖いマイナスのイメージを被っている。 昆虫をよく知らない人からすれば、ハチはみんな刺すと思っているし、大きければ大きいほど毒も強そうだ。あんな大きなハチに刺されたら大変なことになるだろうという想像はすぐに成り立つ。 そして、その「クマバチ」という名前。地域によっては、スズメバチのことを「クマンバチ」と呼ぶ。思い出せば祖父もよくこのクマンバチを恐れていたものだ。少なくとも幼いころから生活していた埼玉県北部ではその昔(今も?)、クマンバチとはスズメバチのことを指していた。「クマンバチ」と「クマバチ」。取り違えない人がいないわけがない。 トラカミキリの仲間、モモブトハバチ、セスジスカシバ、コシアカスカシバ…。スズメバチの威を借りようと、姿を似せた種類は数多いけれど、クマバチは自らの姿をスズメバチに似せようとしたわけでもないだろうに、人が「クマバチ」と名付けたために、幸か不幸かその威を借りる結果となってしまっていたのだった。もっとも、その大きさと羽音はスズメバチに匹敵するようだけれど。 春から夏にかけて、大きなクマバチはスズメバチ以上に飛び回っている姿を見かける。蜜を求めて飛び回っているだけではなく、薪小屋、登り窯の小屋、パーゴラ、いたるところを物色でもするようにホバリングを交えながら飛びまわっているのである。共通しているのはそれが木でできている場所であるということ。その様子から彼らは巣を作る場所を探しているのだろうとすぐに想像できた。 しばらく見ていると、何度か止まる場所を変えたあとで、大きな穴の開いた場所にたどり着いた。1円玉ほどもありそうな大きなまん丸の穴がいつの間にか木に開けられていたのだ。クマバチは巣の候補の場所を探しているのではなく、巣の場所を見つけられないように、あちこちと寄り道をしていただけなのかもしれない。それにしても、まるで大きなドリルで開けたようなまん丸の穴である。枯れた木とはいえ、こんな大きな穴をきれいに開けるとはたいした口だ。ハチの巣というと、スズメバチやアシナガバチの巣のようなものを想像しがちだが、クマバチは集団を作らず、単独で巣を作る。それも自ら穴を開けて。 見る間にクマバチは大きな体をスッポリと穴の中に消していった。 いったい穴の中はどうなっているのだろうか。穴の中をのぞき込んでも真っ暗で何も見えない。ファイバースコープでもあれば中を覗くこともできるだろうが、そんなものはない。 |
クマバチについて書かれたものを読むと、この中はいくつかの部屋に分かれていて、各部屋にはひとつずつの卵が産み付けられているという。その卵の大きさはなんと15mm。昆虫の卵としては異常に大きい。孵った幼虫は母バチが用意した花粉団子を食べて育ち、夏には羽化する、とある。だが、ここで羽化した次世代のハチたちが巣から出てくるわけではない。羽化したとはいえ、まだ未熟なハチたちはこのまま冬を迎え、巣の中で母バチとともに越冬するというから驚きである。母バチは数年は生きるという。 成虫の姿になっても、まだ外界に飛び出さず、母バチと冬を巣の中で一緒に越すなんて、たしかにクマのようだ。「クマバチ」名前は伊達じゃない。大きな黒いハチだから「クマバチ」だとばかり思い込んでいたけれど、実は生態もクマだったりするのだ。 これからしばらくお母さんの忙しい子育てが続く。 ゆっくりと巣の中で眠るのはまだしばらく先のことになりそうである。 |
ぽっかりと開いたクマバチの巣の入口 |
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