2012年2月

コダック


 −10℃まで冷え込んだ榛名山麓で、オリオン座に向けてシャッターを切った。
 デジタル一眼のニコン
D3100。レンズは安物のズームレンズ。ズームレンズはオリオン座が余裕で入る画角に設定して、撮影中に勝手にズームが動いたり、ピントの位置が変わったりしないようにレンズを粘着テープでぐるぐる巻きにして固定してある。
 今まで何度こうやってオリオンに向けてシャッターを切ったことだろうか。
 カメラやら望遠鏡やらのセッティングが一段落して撮影が始まると、露出終了の時間がくるまでひととき暇な時間ができる。そんなとき、昔のことを思い出した。

 

この日撮影したオリオン座

     ズームレンズの焦点距離  f 40mm
                   絞り F6.3

 感度 ISO1600に設定し、ノーフィルターで4分露出の画像を6カット。R1フィルターをつけた状態で10分露出した画像を4カット撮影した。
 R1フィルターをつけた画像は真赤な画像になるので、これをグレースケールに変換して、コントラスト、トーンカーブなどを調整。そののち、4カットを重ね合わせ、画像モードをRGBカラーに戻した。
 この画像をもとにして、ノーフィルターで撮影した6画像を同じようにトーンカーブなどを調整したのちに重ね合わせた。
 総露出時間は64分。

 これだけの露出時間をかけたのに、まだコントラストが全然たりない。これはレンズの明るさが致命的な問題か?



 最初に夜空に向かってカメラを向けたのは中学生のころだった。藤井旭氏の書かれた天体写真の写し方についての本を読んで、見様見まねで家に唯一あった富士写真光機製のコンパクトカメラに富士フィルムのネオパンSSというモノクロフィルムを装填しての試みだった。当時のコンパクトカメラは、オートフォーカスもAE機能もなく、とにかく「自動」と名のつくものは何もなかった。すべてを自分で設定するマュアルなカメラだった。だからこそ逆に、夜空という当時はあまり想定されていなかった対象にも対処できたのだろう。今のコンパクトデジカメを使って同じように夜空を撮影しようとしても、おそらく可能なものはあまりないに違いない。
 このコンパクトカメラを祖父の持っていた貧弱な三脚に載せ、夜更けの田んぼで空に向かってシャッターを切った。シャッターを開けたままにしておくレリーズを持っていなかったので、指でシャッターを押したままで数分をじっと息を殺して待つという離れ業を使ったと記憶している。
 こんな方法でも意外と星は写った。コンパクトカメラの焦点距離が広角であったのも幸いして、ぶれることも(たぶん)なく日周運動がわずかな曲線となって写っていたものだ。
 こうして、難物と思われていた星空が意外と簡単に写せるということがわかると、もっときれいに、そして、写っていないものまで写したくなってくる。
 高校生になるとコダックのトライXというモノクロフィルムが定番のフィルムとなった。感度は
ASA400。現在の感度の表示はISOだが、当時の感度の表示はアメリカ標準規格(American Standard  Association)を使っていたものだ。このASA400というのは当時の高感度フィルムに相当する。黄色いパッケージに入っていたこのトライXを最初に手にしたとき、思い過ごしでしかないのだが、違った写真が撮れるような錯覚を感じた記憶がある。富士フィルムからは同じASA400の感度のネオパン400というフィルムが発売されていたのだが、なぜかトライXが妙に馴染んだ。もちろん、馴染んだからといって、良い写真が撮れたというわけではないのだが。
 モノクロフィルムを使うようになると、自分で現像しなくては物足らなくなってくる。天体写真は自分で現像するべきだ、と当時の天体写真の撮影方法を書いた本にはよく出てきたのだ。当時、モノクロの現像液はコダックのものにD76とD19、富士フィルムからはフジドールとミクロファインとパンドールというものがあったが、街の写真屋にはコダックのD76は置いてあっても、D19はなかった。富士フィルムの3つの現像液はどれでもすぐに手に入るものだった。トライXで撮影したものはやはりコダックの、それも硬調現像液のD19を使いところなのだが、取り寄せなければ手に入らない貴重品だった。ときどき間に合わなくて、富士の増感用のパンドールを使ったり、微粒子用のミクロファンを使ったりもしたが、どうも相性が良くなかった。
 トライXで撮影を重ねているころ、同級生だったMが通信販売でコダックのスペクトロスコピック103
aE(普通「103aE」と略称で呼ぶ)という天体写真を目的としたフィルムを手に入れてきた。レンズにR1やらR64フィルターといった赤いフィルターをつけてこのフィルムで撮影すると、赤い散光星雲がおもしろいように写ってきた。オリオンを撮影したものでは、トライXでは絶対に写ってこないバーナードループやエンゼルフィッシュ星雲までが写っていた。この当時のアマチュアでは、この103aEをD19で処理したのがモノクロの天体写真では最強だったのではないだろうか。
 この後、粒子の粗い103aEに取って代わって、コダックのテクニカルパン2415というフィルムが天文写真界にブレイクする。複写用の超微粒子でハイコントラスト、そしてなにより赤い星雲の光をよく捉えるというフィルムだが、感度はそう高くはなかった。だが、このフィルムを水素ガスの中につけ込んでおくと感度が増し、天体写真として使えるようになるというフィルムだった。気むずかしい、管理の難しいフィルムだったが、効果は絶大だった。銀塩写真が衰退し、天体写真もデジタルに移行しようとしている中、既に生産は終了してしまったと聞くが、この水素増感されたテクニカルパン2415だけは今も天体写真を撮影する一部の人たちに支持され続けている。
 スペクトロスコピック103aE、テクニカルパン2415、さらには月明かりの中で流星撮影に使用した赤外フィルムのハイスピードインフラレッド、
ASA100が当たり前の時代にASA1000の感度を誇ったレコーディング2475ASA8000という桁外れの感度だったレコーディング2485…。
 今思えば、富士フィルムのモノクロフィルムがごく一般的なものをターゲットにしたのに対して、コダックはどんなものでも、写し取ってやろうとしていたチャレンジーだった。そして、その特殊なフィルムたちをどうやって使いこなすかという試行錯誤が、天体写真を撮影する人たちの楽しみでもあったといえば言い過ぎだろうか。少なくとも個人的には、フィルムの時代、天体写真はコダックとともにあった。

 2012年1月19日。イーストマン・コダック・カンパニーは米国連邦破産法第
11章(日本の民事再生法に相当)の適応を申請した。1880年創業の、初めてロールフィルムを世に出し、初めてカラーフィルムを販売し、初めてデシカメを開発した、世界を代表するフィルムメーカーはここで終わるのだろうか。
 南の空にはオリオンが、コダックが創業したころと同じ姿でまだそこにあった。




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