2012.12.

シカ掘り


 駆除された子ジカの死体をN野さんが埋めたのは今年6月初旬のことだった。
 今年は例年になくシカが罠にかかったというのは以前に書いたとおりだが、この子ジカもその一頭である。シカもイノシシも本来ならば食肉として利用できるのだが、残念ながらその肉からは放射性セシウムが検出されていて、流通に乗せるわけにはいかないことになってしまっている。「食べるならば自己責任で」とされてしまっては、安易に誰かにあげるというのも気が引けてしまうことだろう。そんなわけで、この罠にかかった子ジカは食べられることもなく、N野さんの飼っているヤギの柵の中の一角に埋められたのだった。 その骨を掘り出せないだろうか、と思ったのはその話を聞いたすぐ後のことである。骨格標本にするのである。ただ殺されて埋められただけでは浮かばれない、と考えるのは人間の都合でしかないのだけれど、ただ殺しただけというのに比べれば罪悪感は多少とも少なくなるような気がしないでもない。
 N野さんにそのことを話すと、「いつ掘ってもいいよ」という快い返事がもらえた。そればかりか、その後大きなオスが罠にかかったときにも教えてくれて、それも同じように近くに埋めてくれたのである。
 この話を埼玉県のW高校で生物の先生をしているKさんに話しをすると、すぐに乗ってきた。高校の生物部の生徒を連れて掘りに来たいという。さらに、その隣で話を聞いていた同じく埼玉県のU高校で生物の先生をしているNさんも話に加わって、シカ掘りの計画はすぐにできあがった。埋めたシカの死体を掘り起こそうという、普通の人が聞いたら眉をひそめて逃げ出すような話だが、フィールドで野生生物を相手にしている人たちにとってはワクワクする話なのである。
 最大の問題は掘り起こす時期だった。早すぎては肉が腐りきらず、骨が分離できない。そうかと言って、土の中に置きすぎては骨まで分解してしまうことになる。
 いろいろな人にその時期を聞いたが、答えはまちまち。関係すると考えられるのは、埋めた場所、埋めた深さ、経過した時間、時期、土壌の状態… と多岐にわたる。「ひと夏を越えたら大丈夫」という人から「数年かかる」という人まで、本当にいろいろな話を聞いた。Kさんも同じようにたくさんの情報を集めて、その時期を検討していたらしい。
 そんなふうに集めたたくさんの情報から、Kさんが決断した。
 「ひと夏すぎれば大丈夫」
 こうして鹿掘りが12月8日と決まった。

 シカ掘りの当日。快晴の真っ青な空だが、風が強い。強い寒気が入って、冬型が強まっているらしい。
 やって来たのは、Kさん、Nさん、そしてW高校の生物部員のふたりである。
 ヤギは事前にN野さんが繋いでくれていた。取りかかる前はこのヤギも心配の種で、最悪の場合、一人がおとりになって、このヤギと遊んでいるという計画もあったくらいだ。
 埋めた場所には目印のために、別のシカの頭骨が角だけ地面から出した状態で埋められていた。首から下はどこかで食肉となったらしい。この骨がそこに埋められたのは、今回掘り起こそうとしているシカの埋められたさらに1ヶ月後くらいのこと。この頭骨が骨になっていれば、下も大丈夫だろう。
 まずはその目印の別のシカの頭を掘り起こす。発掘では、ここで「えぃ!えぃ!」と鍬入れ式を行うところだが、さすがにそのときはそんなことは思いもつかなかった。
 少し掘り始めると、どう表現して良いのかわからないような異臭がしはじめた。だが、誰もその臭いを気にする様子もない。腐肉が土の中に混じって出てきた。土壌に返るにはあまりにも時間が早すぎたようだ。そして、すぐに、角のついた頭蓋骨が下顎骨が付いた状態で掘り出された。皮も付いているが、洗えば骨だけになりそうな状態である。
 めざすものはその下にあるはずだった。
 だが、それがどれほどの深さに埋まっているのか誰も知らない。埋めたN野さんによれば、ユンボで穴を掘って埋めたので、1mくらいの深さではなかったかというのだが、記憶は曖昧である。埋めたときは、掘り返すなどということは考えもしなかっただろうから、それも無理はない。
 まずは、高校生の2人がスコップを握った。軟らかい場所を選んで掘っていく。掘り返した場所なので、周りに比べて土が軟らかく、掘ってみれば埋めた場所はすぐにわかるものである。それでも、いつシカに遭遇してもいいように慎重に掘り進んでいく。
 しかし、いつ出るか、と思いつつ掘り進んでいくが、なかなかシカには至らない。
 最初にあたったのは60cmくらい掘ったときだったろうか。スコップに何かがあたった。肉か脂肪の腐ったようなものが土の中から現れた。そして、長い骨も。肉は消えてはいないが、骨とはきれいに分離していそうだ。脛骨のようだ。だが、骨の両端にあたる骨頭部分は離れてしまっている。足や腕の長い骨は大抵の場合、この骨頭が最初に外れてしまう。野外ではそのまま骨頭部分は無くなってしまうことが多いのだが、こんなふうに埋められている場合には、無くなることはない。あとで接着剤で付ければ何の問題もない。 最初の骨が見つかると、作業はさらに慎重なものになった。それまでは大きなスコップで掘り進んでいたのだが、そこからは小さな移植ごての出番だ。それは遺跡の発掘と同じようなものである。違うのは、出てくるのが異臭を放つ肉片に包まれた骨であるということ。
 最初の骨が見つかった頃、北から西にかけての空はいつの間にか雪雲に覆われていた。そして、さっきまでの青空が嘘のように、ちらちらと白いものが舞い始めた。昼食をとっていると、さらに雪は本格的に降り始めてしまった。だが、途中でやめるわけにもいかない。雪の中での発掘作業となった。
 最初に足が見つかると、どちらへ掘り進んだらいいのかという全体像が少し見えてくる。
 しばらくして、大きな骨の塊が出た。誰かが「頭の骨が出た」と言ったが、よく見れば骨盤だった。中には驚いたことに糞が詰まったままでそのまま残っている。あの特徴的なシカの丸い糞である。
 考古学の発掘のように、発見されたものを取り上げずに、しばらくそこに置いたままで慎重に掘り進んでいくと、埋められた状態もはっきりしてきた。両足を南側に向けて、頭を西に向けて横になっていたのだ。Kさんが生徒たちにその様子を穴に入って説明している。
 死体遺棄事件で埋められた他殺死体を掘り起こす、などというのはこんな具合にやるのだろうか。
 最後に取り上げたのは頭蓋骨だった。子ジカということで、まだ頭蓋骨がしっかりしていないかも、と思っていたが、そんなこともなく、壊れてはいなかった。無くなりやすい下顎の切歯や犬歯もしっかりと付いてきていた。これで収容作業は完了である。
 すでに短い冬の一日は日没の時間が近づいていた。
 あとはW高校の生物部にお任せである。うまくいけば、骨格標本が組み立てられることだろう。できあがりを期待しつつ、気長に報告を待つことにしよう。

 青空の下、シカ掘り開始



遺体の捜索? それとも発掘?



穴の底のシカの骨



最後に掘りだされた頭蓋骨





ヤギの“ムサシ”
お騒がせしました






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