シラカンバ − 「シラカバ」の方が通りが良いような気がするが、標準和名ではこちらを使うらしい。“白い樺の木”の意味であるのはどちらでも同じである。名前は別にして、その姿はすぐに頭に思い描くことができる。 軽井沢 蓼科高原 清里 日光・戦場ヶ原 … シラカンバで思い出すのは高原。それも夏の涼しい快適な高原。明るい陽射しの中で、それでいて、涼しい風に涼やかに揺れる黄緑色の葉と白い幹。シラカンバは高原を象徴する樹木である。 そんな高原の象徴が敷地の雑木林の中にたった1本だけある。数年前までは近くにもう1本あったのだが、いつの間にか倒れ、今はこの1本だけになってしまった。山腹というよりは尾根筋に近いところにあるこのシラカンバも、周りをコナラやミズキに囲まれ、その上空のわずかな隙間だけがこのシラカンバに与えられた光の空間となってしまっている。 シラカンバは陽樹である。日当たりが良いところに育つ樹木で、裸地から始まる植物の遷移では最初のころに入り込んでくるパイオニアの一つ。調べてみると、寿命は長くはなく、数十年程度とあった。自然界の法則に従えば、日当たりの良い荒れ地に育ってきたシラカンバは、やがて下から育ってきた、もっと弱い光でも育つ陰樹にその場所を譲ることになる。 時間を遡って想像をしてみる。 この場所は昭和40年代に伐採されたという話を何度か聞いた。雑木林は周期的に伐採するのが本来の姿なので、ごく自然のことだ。伐採後の雑木林は、下草が優勢になって踏み込むのも大変なヤブになったことだろう。でも、その中の切り株からは再び芽吹き、切り株を覆うように何本もの枝が光を十分に浴びて広がっていったにちがいない。事実、今の林に入ってみれば、株立ちした樹木を見ることができる。 そんなヤブに覆われたところへ、どこからかシラカンバの種子が風に吹かれてやってきた。シラカンバの種子には風を受ける翼がついていて、遠くへ飛べるようになっているのだ。敷地内の尾根に1本残ったシラカンバの他に、近所では北斜面を下ったところにもシラカンバが数本ある。もしかしたら、これらも同じところから飛んできた種子かもしれない。それとも、我が家のシラカンバの親だろうか。 ヤブとなった伐採地にはきっと何本か同じようにシラカンバが育っていた。育つのが早いシラカンバは低木をあっという間に追い越し、荒れ地では目立つ存在になっていたことだろう。 だが、時間は植生を変える。それが遷移というものだ。後から育ってきたコナラ、サクラ等がぐんぐんと大きくなって、シラカンバを追い越していった。高木には高木の争いがある。枝を上空にどれだけ広げているかが木の勢いのバロメーターだ。光を受け取れなくなった枝は枯れ、やがて消えていく。日々、年々、樹木たちは制空権を争っているのである。そして、コナラやサクラにシラカンバは勝てない。シラカンバの時代の終焉である。 シラカンバはもう何事もなければやがて消えていくしかない運命なのだ。それが植物界の掟である。敷地内にたった1本あるシラカンバは、おそらく最後に残った1本だった。 このまま放っておけば林はまた別の姿に変わっていくことだろう。 |
だが…、里山の雑木林はそれでいいのか? 里山の雑木林は人工の林で、原生林ではない。この榛名山西麓の雑木林は、長い間、薪炭の材料として、キノコの原木として、繰り返し伐採されながら管理されてきた林だったはずだ。その流れからすれば、この遷移はもうそろそろリセットの時期に来ているのかもしれない。 風前の灯のようなシラカンバは、今、それを問うているようにも見える。 |
シラカンバのために開いた上空の隙間はほんのわずかとなっている |
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