2011年5月盗 掘 |
ヤマシャクヤクという可憐な花がある。れっきとした山野草だが、びっくりするくらい大きな白い花をつけ、とても野生のものとは思えないくらいの存在感を放つ植物である。こんなのを林の中で見つけると、まるで宝石に出会ったような、あるいはこの世のものではない妖精にでも出会ったような気持ちになるものだ。 この宝石のような自生のヤマシャクヤクに、ある山(榛名山ではない)の登山道で出会った。それも集落からそれほど離れていない、登山口からちょっと入っただけの場所である。場所からして誰かが植えたのかも、とも思ったが、周りの様子からすると、自生している可能性が高いと判断できる感じだった。
ヤマシャクヤクはレッドデータに名前を連ねている植物の一つでもある。環境省の評価では準絶滅危惧、群馬県の評価は絶滅危惧T種。いずれにしても、絶滅に瀕している貴重な野生植物である。その姿ゆえ、盗掘の憂き目にあい、今や自生している姿を見ることなどほとんどないと言ってもいいくらいだ。おそらく、庭に植えられているのは見たことがあっても、自生しているのを見たことがあるという人はほとんどいないことだろう。 このヤマシャクヤクのことを最近知り合った県の植物のレッドデータの調査をしているというMさんに連絡をしてみた。そして、Mさんは忙しい時間の合い間をみつけて、現地へ行ってくれた。…のだが、すでにヤマシャクヤクはなかったというではないか。 盗掘である。その間わずか8日。貴重な自生のヤマシャクヤクは消えてしまった。 こんなことを続けていれば、絶滅の日はあっという間だ。 日本のトキが佐渡から消えようとしていたとき、ほとんどの日本人はそのことを知っていただろうと思う。最後のトキが保護される前のことだ。そんなトキをさすがに撃ったり、傷つけたりしようとした者はたぶんそんなにはいなかったことだろう。みんながそのトキの危機を知っていたから。 しかし、野生のヤマシャクヤクは盗られ続け、その数をどんどんと減らしている。その危機を知らない人たちの為せるわざなのだろう。自然に対する無知は犯罪を引き起こしているのだ。それとも、確信犯的に自生する植物が現金に見えているとすれば、相当悪質だ。 ヤマシャクヤクに限らず、盗掘の話を聞くたびに、そして目撃するたびに、人間のエゴを強烈に感じて、人−Homo sapiens −が醜い生物に見えてくる。どうして、山に生えている貴重種を自分だけのものにしようとするのか。 5月の花の季節。本当なら楽しいはずの花の季節なのに、心は穏やかではない。いっそこの花の季節が早く終わってくれた方がいい、とまで思う。 |
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