寒風の吹く西上州の山歩きから帰ると、倉渕に住むTさんが待っていた。 Tさんはボーリング・コアを持って来てくれたのだった。それは倉渕で何人かの仲間たちと共同で井戸堀をしているという場所で掘られた最深部のものだという。以前、井戸を掘っているという話を聞いたときに、ぜひ見たいと言ったのを覚えていてくれたのだ。 留守の間にTさんを迎えた連れ合いは、持ってきたそのボーリング・コアを見て、コンクリートの塊を持ってきた、と思ったらしい。持って来てくれたボーリング・コアは直径約11cm、長さ35cm。よく見ることのあるボーリング・コアよりもずいぶんと太い。 全体的には灰白色に見える岩石の表面には無数の白い斜長石が見える。その間にときどき黒っぽい有色鉱物がある。おそらくこれは輝石。岩石は安山岩である。 安山岩は榛名山では珍しい岩石ではない。山頂部へ行くと露頭として安山岩を観察することは普通である。ものすごく大雑把に言ってしまえば榛名山を作っている岩石が安山岩なのだ。 安山岩はマグマが冷えて固まった岩石である。マグマが冷えて固まった岩石は、地下深くでゆっくり冷えた「深成岩」と、地表近くあるいは地表で急冷した「火山岩」、そしてその中間的な「半深成岩」があるが、安山岩は火山岩に分類される。そして、その実体は多くの場合、溶岩である。 話を聞いてみると、掘っているのは榛名山の南西麓の標高670〜680mの場所。地表から28mくらい掘ったところでこの岩石になって、それからずっと地下100mまで続いているのだとか。Tさんとしては、このまま掘り進んでいいものかどうか、思案の真っ最中というところなのだろう。 |
翌日。埼玉で理科(専門は地学)の教員をしているNさんに同行をお願いして、Tさんの案内で現地を訪れた。100mも掘ったという現場を見たいという連れ合いも一緒である。
現場は烏川へ流れ込む小さな沢の左岸にあった。地形的には、なだらかな尾根から小さな沢へ至るなだらかな斜面である。 細い道脇の造成地に、青いビニールシートに包まれた高さ10mはあろうかというヤグラが北風に吹かれていた。その脇には、Tさんが持って来てくれたあの安山岩のボーリングコアと同じものが、延々と並べられていた。それらは凍りついてしまっていて、簡単には動かすことさえできなくなっている。掘り出すたびに並べていったコアは、ついには1列では並べきれず、最初に置いた場所の隣に2列目として続いていた。言葉で言う「100m」をこうして実際に目にしてみると、その長さに圧倒されてしまう。残念ながら、最初の岩石ではなかった28m分は保存されていないというから、そこに並べられていたのは70m程度なのだろうが、それでも十分に長い。 並べられた最初のものから見ていく。 失われた、岩石ではなかった部分がどんなものであったかは、もうわからない。Tさんもあまり記憶していないということだった。その後の岩石を掘るのに費やした時間と労力があまりに大きいものであったのだろう。しかし、おそらくは、榛名山からの火砕流・土石流・泥流などの堆積物やロームがのっていたのだろうと思う。 残されているコアの最初の部分は、赤く変色したような安山岩。安山岩のレキのように見えるものもある。地表にあって風化したようにも見える。火砕流堆積物か、と思ったが、Nさんは溶岩流の表面の部分だろうという。Tさんの話では、このボロボロの部分から連続的に新鮮な灰白色の岩石に変わっていったということで、Nさんの言うように溶岩流の表面というのが正しいのだろう。そして、その下に続くのは灰白色の安山岩。クラックがたくさん入っているようで、きれいな円筒形のコアはほとんどなくて、その多くはどこかが欠けている。こんなのが最後までずっと続いていた。見た目では岩相的には全く変化がない。切れ目も分からないから、一連の溶岩流ということになるのだろう。 地下水があるとすればこの安山岩の上、このボーリングでは地下28mあたりが一番可能性があったことだろう。地下水は水を通さない不透水層とよばれる地層や岩盤の上にあるのだ。ここではこの安山岩が不透水層にあたる。だが、もちろん、この層のどこにでも水があるわけではない。不透水層が窪んだ場所に地下水はたまるのだ。 しかし、このボーリングはそんな不透水層の上面をはるかに越えて、その下へ掘り抜こうとしていた。 その下には何があるのか? はたして使える水が出てくるのか? 掘っている当事者にとって一番の気がかりはそれに違いない。 |
井戸堀りの現場 並べられたボーリングコア ボーリングコアは凍りついて、地面から離れない |
だが、そんな現実的な問題とは別のところで、この井戸堀りと、かつてソビエトが北極海にも近いコラ半島で掘った超深度掘削のプロジェクトがオーバーラップしていた。1970年から1989年にかけて、学術調査の目的で掘ったそのボーリングは、最終的に12261m地点まで進んだところで予想外の180℃という高温の地熱のために断念されたのだが、当時の最深の記録だった。 大陸地殻を掘り抜いたとき、その下に現れるのは何なのか? さらには、地殻を掘り抜いたとき、本当にマントルが現れるのか? 人類は、空へ、宇宙へ、と進出していったけれど、実は海の中や、足元のことはまだ分かっていないことが多い。そんないくつかの疑問を解決してくれるかもしれない大プロジェクトだったのだ。 榛名山南西麓の井戸堀ボーリングはそれには比べようもないスケールだ。だが、その深さまで掘り進むのに要した時間は3年という。岩石部分を掘るようになってからは、1日掘っても30cm程度しか掘れなかったとも聞いた。3年間のそのほとんどの時間はこの安山岩を掘り抜くのに使われたことになる。農作業の合い間をぬって行われたというこの井戸堀りは、気持ちの上では、コラ半島のそれに匹敵するような大仕事だったに違いない。そして、まだ、それは終わってはいない。 それにしても、この溶岩の下には何があるのだろうか? |
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