2010年6月レッドデータ |
榛名山の某所でレッドデータとなっている植物を偶然に見つけた。群馬県の基準では絶滅危惧1類、環境省の全国の基準では絶滅危惧U種とされる種である。 その植物は今までに見たことがなかったが、すぐに図鑑のあのあたりのページに載っているものだな、と思い出すことができるほど特徴的な植物だった。 けれど、その植物をここで紹介することはしない。悲しいかな、そうした絶滅に瀕した植物は、珍しいが故に盗掘にあうリスクを背負っている。たぶん、もう花も落ちて、かなり植物に詳しい人でなければその植物を見分けることもできなくなっていることではあると思うけれど。 以前、家の前の道路に県外ナンバーの自動車が止められ、林の中から何か植物を根こそぎ掘り出して出てきた場面に一度ならず遭遇したことがあった。山菜採りで、植物自体は枯れないようにして、葉や若芽を摘んでくるというのではない。悪気があるのかないのか、悪びれる様子もなく、大きなビニール袋に根のついた植物を入れ、ヤブの中から出てくるのだった。その土地の持ち主の可能性がないわけではないが、おそらくは盗掘である。街の方からやってくると、雑木林は手入れされていようが、放置されていようが、“誰の持ちものでもない”と思えてしまうのだろう。だが、もちろん、みんな私有地である。勝手にそこに生えている植物を掘り起こして持って行っていいなんてことはあり得ない。 だが、そんなことよりも、問題はもっと深いところにある。 盗掘していく人は、そこの植物が絶滅するかどうかということについて関心は薄い。関心があるなら、盗掘などするはずないのだから。こんなところに生えているのならば、いっそ手入れされた我が家の庭へ…なんて考えるのかもしれない。 その盗掘された植物は、その場を離れた瞬間から「自生」を失う。移された場所で生きながらえたとしても、それは「自生」ではなく移植である。「移植」は「自生」が物理的に不可能となったときの最終手段だと思いたい。 その植物がその場所に自生しているのだとすれば、そこは、その植物が誰の力を借りることなく生きることができる条件を満たしているのだ。そこの環境が変わらない限り、その植物がなくなることは考えにくい。それを盗掘という行為で、成功するか失敗するかわからない大きなリスクを持つ移植を行うということは、個人的なエゴでしかない。そして、そのエゴがそこの生態系を破壊し、貴重な動植物を消し去ってしまうことにつながっていく。
街となってしまった平野部の自然はもうどうしようもないくらい破壊の限りをつくされてしまった。次にやってくる破壊は里山だろうか。関東平野の丘陵地帯はその多くがゴルフ場に作り替えられ、どこにでもいたなじみ深い生物たちは姿を見つけることができなくなってしまった。 メダカ、タイコウチ、ミズカマキリ、ゴマダラチョウ…。かつて、関東平野に住んでいた頃、こんな生物たちを探し出すのはその季節であればそう難しいことではなかった。だが、今、これらの生物たちを一日で探し出す自信はない。確実に急速に平野部の生物の種類は減少の一途をたどっている。 偶然にも、我々が移住してきたこの地域は、群馬県でも里山の環境としてはとてもよい状態で自然が残されている場所であるらしく、群馬県自然環境課による学術調査も行われていたことがわかった。それは、「良好な自然環境を有する地域学術調査報告書(]]]V)」としてまとめられている。この場所には多様な環境が存在し、昔ながらに雑木林の手入れが行われ、伝統的な農業が行われていることよって、昔ながらの多様な自然が残されてきたのだろう。 だが、そんな里山の自然環境も危うい状況にあることに変わりはない。 近所の農家の人たちは高齢となり、いつ離農してもおかしくない状況にある。雑木林は数十年の間隔で伐採され、手入れされながら更新されていくことは今やよく知られることとなったが、そのままになってしまっている雑木林もある。手入れをする人がいないのである。手入れをされながら続いてきた里山の自然環境は、変わっていくはずである。 そして、県の自然環境課が「良好な自然環境を有する地域」とまでしているのに、公的な保全措置はなにもなされていない現実がある。無神経な道路の拡張により、アズマイチゲの群落は消え去り、ほどよい蛇行をしていた水路は、無粋なU字溝に変えられてしまった。 盗掘の防止対策、継続的なモニタリングについても学術調査報告書が必要性を指摘しているが、公的にはなにも動いてはないように見える。どうも町は自然環境に関してはあまり熱心ではないようだ。期待はできない。とはいえ、このまま放っておけば、自然環境は悪化の一途をたどるのは見えている。いったい我々には何ができるのだろうか。 |
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