2010年5月

烏帽子岩



深沢川沿いの林道から見た烏帽子岩


 榛名湖の北西、榛名湖から流れ下る深沢川の東側の稜線に「烏帽子岩」と名付けられた岩がある。紛らわしいことに榛名湖の北には烏帽子岳というピークがあるが、それとは別のものだ。鬢櫛山から北西へ高度を下げながら延びる尾根の一部にぽっこりと岩石が顔を出したような形になっている。国土地理院の地形図を見ると、1050mの等高線がかかるあたりに岩の崖の記号があり、「烏帽子岩」の名前がある。
  「烏帽子岩」は岩の名前としてはかなりポピュラーなものといえるだろう。日本全国あちこちに同じ名前をもつ岩がたくさんある。
  “烏帽子”はいうまでもなく平安時代ころからある和装のかぶり物で、烏帽子岩はその形に似ているということで名付けられていることがほとんど。それは榛名湖畔から眺める烏帽子岳の姿を見てもよくわかる。
 榛名湖から東吾妻町・原町へ下る県道28号線からも烏帽子岩の姿は見える。地図にはそこへ行く道は書かれていないが、そう遠くなく、迷うこともなくそこまでいけそうな感じだ。
 
 5月のある日、群馬県のヤブ山をよく歩いているというWさんから誘われて、この烏帽子岩へ出かけた。Wさんと一緒に山をよく歩いているWさんのヤブ友達というHさんがいっしょである。
 最初に地形図を見て作戦会議。どこから登ったらよいのかを確認する。烏帽子岩の西側には岩の崖の記号があるので、東側の尾根の岩の記号の切れたあたりを目指してかすかな支尾根を上がることにした。
 先頭をHさんが行く。ときどきGPSで位置を確認しながら、明るい広葉樹の中を進んでいく。足下には数種類のスミレ、シロバナエンレイソウ、もうすぐ咲きそうなユキザサ等、春真っ盛りという感じだ。途中には何のための道なのか、傾斜の緩やかな斜面に作業道のような道もあった。が、この道にはのらず、計画通りの尾根を行く。
 やがて、ほどなくして傾斜が急になると、頭上に巨大な岩が現れた。烏帽子岩の基部についたのだ。岩の表面にはコケや地衣類がくっついていてよくわからないが、安山岩のようだ。
 上はどうなっているのかよくわからない。さらに急傾斜のところを行くと、祠が現れた。それがいつ置かれたものなのかわからないが、かなり古そうだ。祠の前に五円玉や一円玉がいくつか置かれているのに混じって、黒くなって表面もよくわからないような古銭が一つ。真ん中に四角い穴が開いているので現在は使われていない硬貨であることだけはわかる。大正、明治、あるいは江戸時代?自分が地球に存在する遙か前にここへやってきた古人が、置いていった物なのだろう。おそらくはすでにこの世にいない人の痕跡がここには残っていた。山頂でもないこんなところにまで信仰の対象として昔の人は足を踏み入れていたのだ。
 信仰の山・榛名山にはいたるところにこんな祠が置かれている。
 祠から南東側に回り込むと、さらに上に行けそうな場所があった。岩の割れ目に灌木が生えて、手掛かりもありそうだ。Hさんがザックから8mmの補助ロープを取り出すと、すばやく自分の体に結んで、両側が切れ落ちた烏帽子岩に取りついた。Wさんがそれを灌木を利用して確保する。あうんの呼吸というやつである。
 しばらくして、Hさんが上の岩の向こうに消えた。が、烏帽子岩のてっぺんには届いていないようだ。その補助ロープを小さな木に結んで、フィックスロープとしてもらい、続いて上がる。高低差は5mといったところだろうか。だが、上に上がるとそこには別の風景があった。
まだ白い谷川岳から草津にかけての遠い雪山が青空の下に広がっていたのだ。樹林帯の中にいてはなかなか見えない風景である。
 岩を祭祀の対象として祀ることは珍しいことではない。近くでは榛名神社にも岩を祀ったものがある。岩の上に上がってみると、その理由の一つがなんとなくおぼろげに思えてきた。
 昔、まだ大きな道や開けた場所がなかったころ、山には木々が生い茂っていて、大きく空が開けていて遠くまで見通せる場所はそんなになかったことだろう。だが、烏帽子岩のような露岩があればそこには樹木が生えることはないので、その場所だけはいつでも大きく開いた空を見ることができたに違いない。それが稜線や山頂にある露岩であったならそのインパクトはさらに大きいものになることだろう。そんな場所は、神が降り立つ場所、あるいは空へ通じる場所、として特別な所とされたのではないだろうか… なんて。
 上にはまだ岩が続いていた。見上げると空と岩が接しているところ− 見かけ上、一番高いところにもう一つ祠が見えた。
 そこへ少しだけ登ってみた。両側が切れ落ちている岩稜で、行けそうだがもしかしたら滑り落ちるかもしれない、という微妙な角度の岩である。落ちたらただではすみそうもない。そんな先に石の祠が鎮座しているのである。そこへ石でできた祠を担ぎあげるのは、危険と隣り合わせだったに違いない。
 そこまで行って、行けるかもしれないけれど、大ケガするかもしれないという微妙な烏帽子岩のてっぺんは神の座なのだと納得して、足を踏み入れることなく岩を降りた。
 下から見上げた烏帽子岩はそう大きくは見えなかったが、いざ上ろうとすると想像以上の大きさでその存在感を誇示しているのだった。











祠に置かれていた古銭


烏帽子岩を登るHさん


さらに上にあった祠(屋根が見えている)

















WさんのHPはこちらです





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