1回目の探索の教訓から、2回目は季節を変え、夏草のなくなった冬。それも、上から探索するのではなく下から。最初に「スルス岩の下を掘った」というのが頭にあったため、どうしてもスルス岩を中心に考えてしまったのだけれど、理論的に考えれば、榛名湖の水を引くのだから、隧道口のある位置は榛名湖の水位と同じか、あるいは低くなければならないはずだ。榛名湖の水位は地形図で見ると標高1090m前後である。そして、「榛名白沢に落とす」というのだから、榛名白沢を下から遡行すれば見つけることができそうではないか。榛名白沢をつめた標高1090m付近が有力候補地ということになる。
榛名白沢はスルス岩の南側にある谷を源として、途中、ロッククライミングのゲレンデとして使われる黒岩を右岸に、鷹ノ巣山を左岸にみて、さらに相馬ケ原陸上自衛隊演習場をかすめ、箕郷町へと流れ下る。地形図を見ると、この沢には驚くほどたくさんの砂防ダムが作られている。榛名山が活発な火山活動をしていた時、この沢沿いに火砕流が頻発し、この流域にはそのときの堆積物がたまっているのである。それを防ぐためのダムだろう。
地形図をにらんで、ルートを定める。山頂カルデラの縁にあたる松之沢峠から道路を下って、右手に1236mのピークが過ぎたあたりから等高線の間隔が広くなった付近を沢沿いに降りたらどうだろうか。松之沢峠から300mあまり行ったところだ。そこから榛名白沢が4つにわかれる標高990mあたりの砂防ダムの上に出る。
1月のある日、2回目の探索。
計画通り松之沢峠から道路沿いに下る。道路からは榛名白沢の谷がよく見渡せた。途中、榛名白沢への下降ルートとなりそうな場所を探りながら歩いていると、いつの間にか1236mピークの脇あたりまで来てしまった。そこまで、どこからでも降りられそうだったのだが、どこでも途中でヤブになりそうな様子だったので下降点を定められないまま来てしまったのだ。すると道路が大きくカーブするあたりにガードレールが切れている場所があった。その先には作業道らしい道がついている。黒岩とスルス岩の中間あたりにポッコリとある標高約1070mの小山へ続く小さな尾根へ向かっているようだ。
幸いとばかり、その尾根筋の踏み跡を行ける所まで行ってみようと足を踏み入れた。以前降った雪がところどころに残っていて、ウサギやらタヌキやらの足跡がいくつも残っている。
踏み跡は1070mのピーク手前のコル(標高約1050m)まで続き、そこからさらに山腹を左に巻いて、北北東に派生するかすかな尾根へと続いた。途中には古い炭焼きの跡も残っていた。それはこの踏み跡がずっと前から使われていたものであることを示していた。地形図を見ればこのかすかな尾根はそのまま計画していた砂防ダムの上へ続いている。
道路から降りはじめて約30分。案の定、その踏み跡は榛名白沢本流へと到達した。まさに砂防ダムの上である。何のための道なのか。踏み跡はそこで消えていた。
沢はほとんど枯れていた。砂防ダムの上は上流からの土砂が堆積し、棘の生えた低木が茂っていた。わずかな沢の水はこのガレの下を伏流しているのだろう。
沢はそこで3つに分かれているように見える。上流に向かって左の沢は下ってくる予定だった沢。右の沢は完全に枯れ沢となっている。中央の沢の上にはスルス岩が見えていた。行くべき沢はこの中央の沢だ。
低木をかき分け、低い堰堤を2つ越える。落葉が厚くたまった下には氷と水が現れてきた。ガレがなくなり、不透水層が現れてきたのだろう。ところどころにイノシシの仕業なのか、カモシカの仕業なのか、沢底をかき回したようなところが続く。沢の側面には火砕流の堆積物らしいボロボロの土砂。それがときどき崩れ落ちてくる。この沢はものすごいスピードで崩壊しているのだ。
降り立った砂防ダムの上から歩き続けて約30分。沢はついに沢というより源頭といっていいような地形となった。
すると前方に小さな板きれがぶら下がっているのが見えた。それも2つ。さらにいくつかのカラーテープも風に揺れている。そのさらに奥に穴が!
隧道口である。近づいてみると、ポッカリと開いた穴から水が流れ出ている。板きれには“右京の泣き堀”と手書きされた表示と簡単な説明。ふと横を見れば、沢の両側に小道らしいものが見える。ここへの入口を示すものはどこでも見たことはなかったのに。この道はどこへ続いているのか?おそらくもっと楽に来られるルートがあったのだろう。
隧道はスルス岩と同じ角レキ岩を掘り抜いていた。入口は左側からの土砂がわずかにかかっているが、右側は掘ったそのままの四角い壁面が見えている。天井はしゃがんで歩けば余裕のある高さである。
少し隧道に入ってみた。隧道の断面は長方形となっていて、人工的に掘られたということがよくわかる。奥へ入るにしたがって、底の土砂はなくなり、染み出してきたのであろう水の流れがはっきりしてきた。5,6mくらい入ったところで入口を振りかえると、外の世界がとても眩しく小さく見えた。
300年前、どんな気持ちでここを掘り進んだのだろうか。岩盤はけしてやわらかいものではない。工事の途中では落盤事故もあったり、死傷者も出たという。人間の手だけでこのスルス岩下の岩盤を掘り抜き、榛名湖まで水路を通そうとしたその遠大な計画を思うとき、人間のたくましさを思わずにはいられない。
掘り抜いていたならば榛名湖から豊かな水が流れ落ちていたはずの隧道の口からは、今も、岩盤からしみ出してきた水が細いながら途絶えることなく榛名白沢へ水を落としているのだった。
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