「浅間山の上の方が赤くなっているのが何日間か見えたよ。」
前にお住いの井村さんがそう教えてくれたのは、年も明けてまもなくの1月9日のことだった。
火映現象である。火口内のマグマが熱くなって、そのために火口上空の噴煙や雲などが赤く輝いて見えるのだ。昨年の秋から冬にかけて空気が澄んできて、浅間山がはっきり見えるようになって、噴煙が多いような気がしていたのだが、気のせいではなかったようだ。浅間山の活動が活発になっている証拠だ。
井村さんはさらに付け加えた。
「あの噴煙が消えると爆発するんだ。」と。
活火山の火映現象については、話には聞いていたし、映像も見たこともある。だが、まだ自分の目で見たことはなかった。写真も撮ったこともなかった。とても珍しい現象というイメージが頭の中にインプットされてしまっているせいもあって、見たいとは思いながら、見えないだろうという先入観が先に立っていたのだ。
だが、数日間にわたって見えていたという話は、行動に移すのは十分すぎる情報だった。
火映を見る(撮影する)には晴れている、あるいは、晴れていなくても、浅間山が雲に隠れずに見えていることは必要条件だ。透明度の高い冬の間はこの条件をクリアするのはそう難しくはない。その上で、できれば月明かりのない夜の方が弱い火映でも捉えることができるので好条件といえる。もちろん、火口が熱くなっていなければならないというのは言うまでもない。
現在、浅間山が噴煙を上げている火口は北に開いていて、榛名山麓からでは直接火口を見ることはできない。その点で榛名山麓から火映を見るのはあまりよい条件とはいえない。
火口が見えるのは嬬恋村の方向からだ。昼間、嬬恋村から見る浅間山は、逆光となって、火口から立ち上る水蒸気も黒々と見え、おまけに火口から流れ出した天明3年の噴火のときの溶岩流がくっきりと見え、威圧的である。嬬恋から火映が見えたらすごい光景になることだろう。
さらに悪いことに、浅間山からの噴煙はほぼ毎日、南東方向へ流れている。たとえ、火口が赤くなったとしても、その噴煙自体が邪魔をしてしまって、榛名山麓からは火映は見えないということもあるだろう。そう考えると、風向きが逆になるときが良さそうだ。それは浅間山の北、あるいは西に低気圧があるとき、すなわち、これから天気が崩れていこうとしているときである。もしくは、噴煙の量が少ないときも狙い目かもしれない。
井村さんに話を聞いたその日から夜の浅間山ウォッチングは始まった。とはいっても、実際に外に出て浅間山を見るというわけではない。幸いなことに、活発な火山である浅間山の周囲にはライブカメラが多数設置されていて、その映像がインターネットで配信されている。それを小まめにチェックして、異変があれば“出動”というわけである。
“異変”に最初に気づいたのは、1月17日のことだった。ライブカメラには浅間山上空の噴煙が赤くなっているのが映っている。まだ夜も始まったばかりの午後7時ころである。急いで三脚とカメラを担いで、最も自宅から近い浅間山ビューポイントへと向かった。歩いて3分、走って1分の井村さん宅上の路上である。道路とはいえ陽の落ちた土曜日の夕方にここを通る車など滅多にいない。暗闇のひと気のないこんな林の道で人にあったらドライバーは幽霊でも見たかと思うかもしれない。
雪に覆われた浅間山を見る− が、それらしいものは何も見えない。いつものように噴煙が風に流されているだけである。それでも、もしや…と思って、三脚にカメラを付け、星空を撮る要領で浅間山を撮影してみた。しかし、やはりそれらしいものは写らず、噴煙が灰色に写っているだけであった。
そんなことをしていると、近所にいる気配に敏感な犬たちが人の気配に気づいて鳴き始めた。悪いことをしているわけでもないのだが、気分のいいものではない。この日は早々に退散した。
次は3日後の1月20日。近所の犬に悟られないように気配を消しながら、以前と同じビューポイントへ。同じように撮影してみるが、やはりダメ。
ところが、帰ってライブカメラを見直すと、火映は確かにあるのだ。榛名山麓からは何かが障害となって見えない…?
もう一度Uターン。今度は犬に見つかってしまった。
犬の遠吠えを横から聞きながら再度カメラを向けたのだが、結局、結果は同じ−。
そんなことで1月は終わってしまった。
そして2月1日。ニュースが浅間山に地震が増え、警戒レベルが「3」に引き上げられたことを伝えている。だが、ライブカメラの映像には大きな変化はない。むしろ噴煙は少ないといっていいほどだ。この日は午後11時すぎまでライブカメラをチェックしていたのだが、早朝に昇ってくる明るくなったルーリン彗星を撮影しようと、浅間山が気になりつつも早めに寝てしまった。
後悔は必ず後からやってくる。
2月2日の早朝4時。起きてすぐにライブカメラの映像を見ようとパソコンを立ち上げると、いきなり「浅間山が噴火」のヘッドラインが飛び込んできた。あと3時間待っていたら、壮大な映像が撮れたかもしれなかったのだ。
後から考えれば、井村さんが言ったように、確かに噴煙が少なくなった後の出来事だった。
すぐにカメラを持って、いつものビューポイントへ向かう。さすがにそんな時間には犬も寝ているのだろう、気づかれることはなかった。だが、すべては終わった後だった。浅間山はまるで何もなかったようにそこにあった。千載一遇のチャンスを逃したようだった。
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噴火の約3時間後の浅間山
2009.2.2. 午前5:06ころ
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翌3日。さすがに噴火直後の浅間山の火口には熱いものがたくさん残っているようで、この日も火映はライブカメラにきれいに映し出されていた。職場から帰宅して、さっそく出かけ、いつものように望遠レンズで撮影を試みる。あいかわらず双眼鏡で見る限り何も変化はない。だが、この日の画像は違っていた。浅間山の山頂のわずかに右よりから噴煙が真上に立ち上り、ある程度の高さからいつものように左へと流されているのだが、火口のすぐ上の噴煙が赤黒くなっている。初めて捉えた火映である。ライブカメラで見る火映と比べると見劣りはするが、火映には違いない。吠える犬を無視して、数カットの画像を撮影して満足して帰宅した。
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山頂の左がわずかに紅くなっている。
解像度を落とすと、わからない!?
2009.2.4. 午前0:56ころ
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その後。
2月9日、浅間山小爆発。昼間のことで、榛名山麓にはいなかったため、見逃す。
2月12日、月明かりの中、わずかに火映を撮影。
2月14日。
歩いて3分の路上で犬に吠えられるのに神経を使いながら浅間山を見るのにうんざりしたため、自動車でちょっと走って、榛名山の山麓を通っている広域農道まで出かけてみた。吹きさらしの場所で家の前よりも気温はぐっと下がっている。おそらくマイナス10℃は下回っていたことだろう。
天気はあまり良くなくて、星は見えないが、浅間山は見えているという状況である。天気予報では天候は下り坂。噴煙は少なく、どちらかといえば、見ているこちらへやってきているようだ。
いつものように撮影してみると、やはりわずかに山頂が赤く写る程度で、盛大な火映ではない。数枚の写真を撮影して、帰宅。
ところが、帰ってライブカメラを見ると、すごい火映が映し出されている。嬬恋村方向からのカメラだ。火山の状態は常に変化していて、農道で見ていたときよりもずっと火映が明るくなっている。
これはチャンスだ!防寒具を脱ぐこともなく、再び極寒の農道へもどった。
いそいでカメラをセットして撮影。
写った! 300mmの望遠レンズでアップになった浅間山の山頂付近が赤々としている。見事な火映である。
1時間ほどその場所で繰り返し撮影をしながら、双眼鏡で浅間山の様子を観察した。じっと見ていると、2度、噴煙の右端の方がほんのりと赤みがかって見えたような気がした。気のせいかもしれないというくらいの赤さである。
いったい、井村さんが見たという火映はどれほどの赤さだったのだろうか。双眼鏡も使わず肉眼だけで見える火映というのは、相当の明るさだろう。
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文句無しの火映
曇っているため、星は見えない。
2009.2.14.
午後11:45ころ
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もしかしたら、肉眼火映が出ているかもしれないと思うと、しばらくの間、浅間山からは目が離せない。
上空の噴煙を赤く染めるような火映が現れるのは今晩かもしれない。
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